tentoumushi


2017年

3月

21日

不法行為と債務不履行2

自分が通念としてきた道徳観や善悪の基準と、実際の法律の解釈はまた別物。

日を改めての法律相談、そのことを、つくづくと思い知らされることになる。

 

過失傷害(不法行為)での立証が難しくても、契約を正しく履行しない(債務不履行)という話なら、

示せる根拠が何なりとある。本来の事実経過を説明すれば、不当な契約解除を措置を無効にできる筈。

と、私は考えていた。だが、それすらも「難しい」と弁護士は言うのだ。

 

「全く非はない」と前センター長が宣言し、こちらが「それは受け入れられない」と反論した以上、

デイセンターにとって私達は「不信」な存在。信頼を前提にしての契約関係が維持できなくなった。

その言い分については、法的に成り立っているのだと。

 

私達が苦情を申し立てた必然性や、それ以降の経緯などは、関連を切り離して考えなければならない。

どう角度を変えて見直したところで、必要なことは「全く非はない」を覆す医学的見地に基づく立証。

結局はこの問題、医学的立証無くして、状況を変える(相手を交渉の席に着かせる)ことは出来ない。

と…。

 


 

「私なら、この材料で戦おうとは思わないだろう」弁護士の立場から見ると、そういうことらしい。 

「もし、あなたがこの立場であっても、そう言って諦めるか?」そう問い返す私に対し、弁護士は

「勝つための見通しを持てない弁護士が裁判を戦っても、意味のある結果にはならない」と答える。

 

そもそも、債務不履行だけに争点を絞っての訴訟など、たとえ勝訴したとして、どれ程の賠償が

得られるのか…。採算も勝敗も度外視し、悔いを残さない<終焉>の有り方として、裁判という

手段に固執しているのならば、別に弁護士を代理につけなくても、一人で好きにやればよかろう。 

結論はそういうことのようだ。

 

『その裁判所はこの法律事務所とは、目と鼻の先にあるのだが…』考えてはみるものの、意識は

そこに集中しない。むしろ『何をしても勝てない』そんな敗北感の方が強く自分を支配していた。

 

このトラブルに見舞われ、もうじき丸一年になる。この問題に支配し続けられてきた一年だった。

『決定的に判断・対応を間違えた』と、刻印されていることがある。言い出せばきりがない。が、

ケアマネ(居宅)・包括・その他の相談窓口、そして弁護士。世の中には、こんなにも<駒>が

揃えてあるというのに、自分はどれ一つ満足に活用することができない。その無能さ、無力さが、

ただ、恨めしかった。

 

    義仲よ このジャケットは軽すぎて

 


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2016年

12月

21日

不法行為と債務不履行1

「母の体調は二日前の体験利用と比べ、格段変わった様子はなかった、故に自分に全く非は無い」

当事者である前センター長は代理人を介し、こう見解を翻した。それを受け、前回の法律相談では

ほぼ最初から最後まで、医学的な立証の困難さについての講釈を聞かされ、終わったといっていい。

 

更に数か月経ち、改めての相談とは言っても、何か目新しい立証材料が確保できている訳ではない。

今回は前センター長の発言の整合性により照準を絞り、相談を展開する。デイセンターとの僅かな

記録を照合しただけでも、その時々の発言は矛盾だらけで、実意が備わった人格とは到底言い難い。

 

裁判所というもの、このような不実で信憑性を欠く発言の真偽にまで、杓子定規に医学的な立証を

要求してくるものなのか。状況を鑑みての判断や容認などは、絶対にあり得ないのか。燻り続ける

そんなわだかりに、先ずはケリをつけたい。その上で、捨ておくわけにいかない無念があることを、

弁護士に共有させなければならない。

 

 法テラスでの相談時間は一回30分の制約。だが、これはデイセンター側の過失による傷害

(不法行為)を立証し、損害賠償を勝ち取るという話。相談は1時間の予約で取られている。

私は母の既往歴もそこそこに、一連の事柄を時系列にまとめた書面や文書類を提示しながら、

デイセンターの対応に重点を置いて話を進めていった。そして、そのことをそのまま、この

センターが契約を正しく履行しない(債務不履行)業者との訴えにも繋げていくことになる。

 


 

一通りの事情説明に、30分を使い切ることになった。それに対し、弁護士は質問を返してくる。

どの医者からどんな診断書が確保できているのか、更にどんな所見を追加する必要があるのか…。 

拒否したままになっている医療調査を合意した上で、事態を前進させるための方策を考えていく。

問答は母の通院歴に関する事に集中し、前回の相談の再現を見るかのような展開になっていった。

 

弁護士はセンターからの最初の通知書に膝関節症等、母の既往歴の記載があることも付け加え、

「原因は前センター長の処置以外にも考えられる筈」と、押し通される前提での想定を続ける。

「原因は前センター長の処置以外には考えられない」と、反論するのに必要なのは、最終的に

診療記録と診断書。処置を受けてから受診までの時間が空きすぎていることが、何と言っても

致命的だと。

 

「母の体調は二日前の体験利用と比べ、格段変わった様子はなかった、故に自分に全く非は無い」

たとえ他の発言が矛盾だらけでも、相手がこの一点さえ崩さなければ、こちらは医学的な立証を

求められる。相手の人格が不誠実だから過失も犯した、とはならない。不法行為で相手を訴える

場合の被害者に求められる立証責任とはそういったものだ、と。気付けば、相談の論点は完全に

立証の困難さに移行していた。そして、そこでその日の相談は時間切れとなった。

 

医療裁判の勝訴率は他の民事裁判に比べ、圧倒的に低い。かけがえのない命や健康がぞんざいに

扱われた。その無念と理不尽を訴える手段が、もう裁判しか残されていないのなら、勝てないと

承知の上でも、家族は訴訟を起こすのだ。使える手段は全て使い切ってからでないと、再び前を

向くことが出来ないのだ。ただ、そのことだけ、それだけが自分の中で実感となって腑に落ちた。

「これに関連した相談が、もう一つある」私は弁護士にそう告げ、次の予約を取り、法律事務所を出た。

 

    ことごとく夏樹をめぐりゆく蝶か

 


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