機能麻痺

その頃、元々難聴の傾向にあった父は電話の呼び出し玄関チャイムも気付けない

ところまで症状が進んでいた。人と話す際は補聴器が必須となるが、使用するのは

他人と会話する時だけで、それ以外は家族に対しても催促しないと使おうとしない。

 

雑音の拾い方が不快だということであるが、話し掛けられる私達家族は目の前の

父に向い、川の向こう岸にいる人に呼び掛ける如く大声で応えなければならない。  

父との会話は億劫で、こちらからの用向きも最低限の筆談で済ませるようになっていた。

必然的に母が来客担当となり、そのために骨折の憂き目を見ることになったという訳だ。   

 

老々生活の備えとして、母と共に介護認定を受けてみると要支援2。杖歩行で

要支援1の母は「誰が見ても私の方が不自由なのに」とその結果に憮然とした。

 

もはや、これまでの役割分担は見直さなければならないと、 

宅配などは後に不在連絡届で私の責任において受け取ることにして、

玄関チャイムは音を切り、来客には敢えて応対しない方針を決めた。

 

そのような状況で室内バリアフリー化計画が進んでいった。

計画は母の自室から茶の間とトイレまでの段差を解消する

床高調整と通じる部屋の扉を引き戸に変更するというもの。

タンスや食器棚の移動、そのための荷物整理は家族総出の想像以上の仕事量であった。

 

だが、この計画には根本的な見落としがあった。

母の自室は縦長の6畳で幅180cm。間もなく簡易便座の使用が始まるのだが、

ベッドの足元に便座を置くとほぼ幅一杯に場所をとることになる。簡易便座は

ベッドの足元横に置かなければ意味をなさない。配置を色々と工夫してみたが

どうしても人の動きに無理が出て、介護部屋としては使えない間取りだったと

その時になって気づき、せっかくの改装も放棄して玄関脇の客間を母の自室に替えることになる。

 

荷物の整理も含めて丸ひと月、平成24年の師走は

そんな工事にために翻弄されることになりました

 

   露地奥にまた露地がありはやり風邪