老々夫婦

私は長男で弟がいるが、私達は老々となった両親の生活を危惧しながらも、ただ、なんとなく

それを静観していた。並大抵でない父の家長意識が、私達を実家から遠ざけていたのだと思う。

 

湯飲みや茶碗、箸などは家族間でも、自分専用を持つのは自然なことだと思うが、

父の場合、急須に茶葉、漬物、菓子等、家族なら皆で使って分け合う類の物まで、

なにかと自分専用を確保し、置き場所までいちいち細かく<聖域>を作っていた。

そして、それを勝手に触ったり摘まんだりすると、たちまち機嫌を損ね、文句を

言われてしまう。無許可で置き場所を変えるなど、もっての外ということなのだ。 

 

生活の時間も厳格で、起床から三度の食事に入浴、就寝まで父はそれを崩すことを極端に嫌った。

骨折以前の母はそんな父の機嫌を損なわないことを第一に、家事全般を担っていたと言っていい。

 

共に満83の齢に至り、こんな秩序がまかり通っている所以は、母自身がそれを受け入れ、

尊重してきたことにある。父の機嫌を損ねる弟と私の無神経な振る舞いは、父から文句を

言われる以前に、先ずは母からたしなめらる。それが我が家の慣例となっていた。 

 

それに加え退職後、難聴の兆候が出ていた父は、玄関チャイムや電話の着信に気付けないまでに

症状が進み、人と話す際は補聴器が必須となった。だが、使用するのは他人との会話の時だけで、

家族に対しては催促しないと使おうとしない。

 

雑音の拾い方が不快。ということだが、私達家族は眼前にいる補聴器をつけない父に向い、

川の向う岸にいる人に呼び掛ける如く、いちいち何度も大声で言い直さなくてはならない。

父との会話は億劫で、こちらからの用向きも最低限の筆談で済ませるようになってしまい、

おのずと、来客担当までも母の役割となり、挙句、転倒骨折の憂き目にあったという訳だ。

 

母の骨折はこの役割分担を見直す契機となった。宅配等は私の責任において不在連絡で

受け取ることになり、敢えて来客の応対をしないことにした。そして、その徹底のため、

玄関チャイムは音を切ってしまうことにした。

 

夫婦は部屋を更えて久しく、互いの趣味・趣向は干渉しない。夕食を済ませると会話も早々、

各々の自室に引き揚げ、床に就いてしまう素っ気なさであるが、両親はすっかり染み着いた

この生活を可能な限り二人で続けていこうとしていた。

 

 

     ひとつづつ暮れ落ちてゆく鴨の陣