肉離れ

茶の間フローリングの全面重ね貼り、家具と荷物の整理は想像以上の作業量で、
辺りは足の踏み場もない状態と化す。そんな折、母に知人からの電話が入った。
夕食も済ませ、そろそろ床に就こうか、という頃合いだった。
 
「すぐ近にいる、これから少し会えないか?」と待つ間もなくやって来た知人に、
慌てて応対することになった母は、ベッドに戻る時には足に違和感を感じていて、
翌朝には身動き一つとれない状態へと陥ってしまう。再び私は「すぐに来い」と
父から連絡を受ける羽目に。
 
痛めたのは骨折した左ではなく右足で、その痛がり方は今回の方が強いように思えた。
全身を硬直させ、目は宙を泳ぎ、肩で息をしている。着替えのために体を起こしたり、
体勢を変えようとして、ごく僅かでも足に可動が及ぶと、悲鳴を上げて猛烈に痛がる。
全くどうすることも出来ず、やはり救急隊を呼ぶほかなかった
 
搬送された救急救命室での決められた検査の後、担当の医師からは、
「肉離れの可能性があるが骨に異常がないので、このまま帰宅してもらいます」などと、
「当面の痛み止めを処方する、以後の治療は改めて整形科の受診で判断を仰ぐように」と。
それに対し「この状態ではとても家で介助できない、とりあえず入院させて頂きたい」と、
いくら頼み込んでも「骨には異常ないから」と聞き入れられず、結局、連れて帰ることに。
 
翌日、地元の整形医に往診を依頼したところ、やはり肉離れであろうと。気長に焦らず
自然に痛みが引くのを待つしかないと骨折から1年10か月。手術した左足の太さは
未だ元に戻ることなく右足の半分のまま、無意識に左足を庇ううち負担が右足に蓄積し、
急な来客応対で遂に限界を超えてしまった、そんな顛末だった。
 

<パーキンソン症候群>との診断で介護認定の区分変更を届け出、3か月、この母の肉離れが、
<親の介護>という否応ない現実に私を引きずり込んでいくことになるのだが、この時の私は、
そんな実感も算段も何もなく痛みに悶える母を目の前に、ただ、うろたえているだけだった。
 
     サンダーバード素っ跳ぶ雪の無人駅