在宅介護延長

介護が始まり数日たったある日、母が急に息苦しさを訴えることがあった。
今にも息が止まりそうで、私の手を取り「今日まで、本当にありがとう」などと言い出す始末
寝たきり同然になったとはいえ、僅か数日で呼吸停止寸前まで陥るとは、どうにも不可思議で、
『何なんだ?』とただ狼狽するばかり。
 
『冷静に』と自分に言い聞かせ、状況を見渡し直してみたところ、酸素欠乏ではないかと、
エアコンの空調を嫌う締め切った母の部屋の暖房、酸素が欠乏状態になっているのではと。
急ぎ部屋の換気を行ったところ、呼吸は次第に落ち着きを取り戻し事なきを得たものの、
右往左往と場当たり的に翻弄されている素人介護の危うさを思い知らされ、この一件より、
私は母が発する声に過敏なり、昼夜の区別ない介助生活が続いていくことになる
 
見学を兼ね、説明を聞きに行った介護老人保健施設では、希望者に対し、個別リハビリが
用意されていたが、支援相談員からは「『安静が必要』と医師からの診断が出ている以上、
先ず、治すことを優先させる、リハビリは回復の様子を見てからになる」とされた。
 
つまり、入所はあくまで家族の負担軽減のためと割り切る必要があるということだ。
また、短期入所は日数制限があり、回復次第では帰宅までに地域内での施設移動も
必要になる、とも聞かされた。
 
工事が終わる頃、母の両足はすっかり肉が削げ落ち、右足は左より更に細くな
大腿部から下の皮膚は干からび、魚鱗が纏わりついたかの如く足全体を覆っていた。
を動かす感覚を呼び戻さなければと、痛みのない左足など上下動を促してみるた。
すると母もそれに応え、瘦せ細った足を弱々しくも慎重に、ほんの僅かでも動かす

  
骨折よりおよそ2年、積み重ねてきた機能回復の日々が水泡に帰し、歩行はおろか
自力での起きがりすら不能、そんな無慈悲な現実を突き付けられることになった。
 
短期入所に踏み切るか自宅で介助を続けるかの思案の末、私は当面の間、休職を延長し、
在宅での母の介添えを続けていくことにした。両親と本格同居を再開させることになる。
どうせ私は、父の癇に障るような粗相を何なりとでかし、いさかいも起きるのだろう。
だが、母からの小言を聞かされることだけはもうなかろうと思われた。

 

      しこしこと五十路はじまる赤まんま

 


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コメント: 2
  • #1

    matu8 (木曜日, 11 12月 2014 23:24)

    お年寄りの苦しみは自分が誰かに頼らなければならないということの認識に起因します。

  • #2

    てんとうむし (水曜日, 17 12月 2014 00:00)

    > matu8さん
    コメントありがとうございます。
    全くその通りだと思います。
    これは約2年前の話ですが母は今でもその「苦しみ」から解放されているとは言えないでしょう…。
    そして私自身もその葛藤と向き合い続けています。
    そのようなことを見つめ直すためにも、と始めたブログです。
    何処にたどり着けるのかまだまだ神のみぞ知るといったところです。