父の生活、母との接点

結婚当初は共稼ぎだった両親、私達兄弟が産まれると母は専業主婦となった。

運転免許を持たない父、定年後は簡単な昼食と風呂の準備、洗濯、ごみ出し、

味噌や醤油、洗剤など、母に頼まれた日用品の買い出しを自らの役割とした。 

 

趣味は読書。自室には、読み漁った文庫本が煩雑に積み上げられ、手を付ける

隙もない。それ以外の楽しみに、母の献立での晩酌がある。機嫌の良いときは、

日本酒を3合ほども呑み、そのまま酔い潰れ眠てしまうことも珍しくなかった。

 

そんな父が、その夕飯の支度も含め、家事の一切を一人で担うことになった。

母からレシピを聞いて再現を試みたり、宅配弁当を活用したりと奮闘するも、

なかなか母からの合格はもらえず「味付けは、自分の好きにやらせてもらう」

となっていくのだが…。

 

既に総入れ歯の父は、この頃には、嚥下(食物の飲み込み)にも難が出始め、

食事中に唐突に咳き込んだりする。それに対し、母は右上の奥歯3本につき、

部分入れ歯を使用してはいるが、食べ物のそしゃく・飲み込みに問題はない。

 

「お父さんの料理は私が作っていたのと比べて、倍柔らかく倍味が濃い」

愚痴を聞かされるのは専ら私の役割で、父本人に向けられることはない。

父自身、察してもいたようで、私が母の介護に専念すると聞くやいなや、

「それなら、母さんの食事もお前に頼む、自分のことは自分でやるから」

となり、判で押したような父の一日がより一層、規則的になっていった。

 

起床5時半。朝食6時。

朝刊に一通り目を通した後、買い物など所用の外出は午前中に済ませ、

母が好みそうもない菓子など、適当に買ってきては枕元に置いていく。

昼食12時。1日おきの入浴2時。夕食の支度3時。

 

炊事場の使用が私と重なると私の背後に立ち、作業が終わるのを待っている。

「鬱陶しいんだけど」と言うと2・3歩下がりはするも、待つのは止めない。

猫舌のため、調理後は一旦温度を落ち着かせ、夕食5時。就寝8時。

この時間厳守が父の安寧の維持にとって、先ず第一の条件であった。

 

一方、母は痛みのため、一日の殆どを眠っているか、まどろんでいるかといった状態。

何か助けて欲しいことがあり、父の気配に「お父さん、お父さん」と呼んではみるも、

すっかり耳が遠くなってしまった父に、そのか細い声は届かない。

 

はかなく切れかかっている夫婦の接点を、互いに繋ぎ止めようとしているのか…。

五十路を迎え、単身の身で実家に戻った私にとって少々切なく映る光景だった。 

 

      わけもなく誉められてゐるおでん鍋

 


コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    matu8 (月曜日, 29 12月 2014 15:40)

    コメントありがとうございます。訪問を再開させていただきます。また、よろしくお願いします。