検証会談

往診の医師、パーキンソン入院での整形科医とリハビリの理学療法士、神経内科主治医、

そして、デイサービスセンター長。これまでに母の肉離れを触診してきた医療関係者の

内訳であるが、その中でセンター長の処置だけが他の医師達とは異なったものであった。

触診の域を超え、患部の<揉み解し>まで行為が及んでしまった。

「これが母の主張なのだが」と当日の検証に話を持ち込んでいく。

 

センター長は、母が<揉み解し・マッサージ>と感じ「止めて欲しい」と訴えていたこと、

二日後の通所日には<圧迫>を加えた箇所について「違和感がある」と母と私の双方から

親告を受けたこと、そして、その日は用心して母の足に触れることなく対応したことなど、

きちんと記憶していた。

 

その上で「揉み解し・マッサージではなく<評価>だ」とセンター長は反論する。

<評価>つまり、筋肉の状態を確認・把握するための診断の範囲だ、ということ。

当日、母が体験メニューをこなす度に、センター長は右大腿部に両手を巻く行為を行っている。

診断というなら、何故そう何度も繰り返す必要があるのか。少なくとも、他の医師達の診断は

そこまで執拗ではなかった。

 

「痛みの確認を行っていた」ということらしい。

「痛めた筋肉に<圧迫>を加え、痛みの反応を観る。痛みの確認をその都度行っていた。

 だが、その<圧迫>は力を十分に加減し、患部に負担がかからない範囲で行った」と。

その処置を母は、負荷の強過ぎる<揉み解し・マッサージ>と感じ「止めて欲しい」と

訴えている。それついてセンター長は「伝わり方の違いがあった」そのように表現した。

 

ならば<揉み解し>であれ<評価>であれ、そんな「伝わり方の違う」処置を繰り返すこと、

それ自体が不適切であり、その患部に状態の悪化が出ているとなれば、因果関係を抜きには

考えられない、と私は話を詰めていく。

 

「座位でのゆっくりとした運動を1時間程実行(残りの時間は)膝と腰の痛みの訴えがあり、

 横になって頂くなどして対応した」二日後に通所した連絡帳のこの記載より、この日には、

2時間予定のスケジュールが消化できておらず、異常の兆しが出始めていたとの認識を確認。

体験日でのセンター長の処置が右足痛再燃の原因となった可能性があると、ここでようやく、

その同意を得ることができた。

 

センター長は施設責任者として、会談設定の尽力がこれまでいい加減だったと改めて謝罪。

「責任を持って対本社会談の設定をする、必ず連絡を入れる」と約束。連絡を待つことに。

これが<5度目の正直>。こちらの真剣さは今度こそ、間違いなく伝わったはずであった。

だが、それから一週間が過ぎ、27日仕事納め・終業日、相変わらず私は待たされていた。

そして結局、連絡が来ないまま、センター午後の就業を終える時間を迎えることとなった。

 

     お歳暮が松から来たよ鳶(とび)の笛