筋膜損傷

母の右足の再悪化から丸三か月、私同様、妻帯に失敗した弟が一人で帰省した平成26年正月。

鍼灸マッサージ師の弟が、盆休みの帰省で母を観て以来、一転している状況。事情を伝えられ

「どうなってるんだ?」と詰め寄られるものの、私は父にそうしてきたように、弟に対しても

交渉についての経緯を話すことはしなかった。『今、何か話しても、正月気分が壊れるだけ』

そんな想いだった。

 

母にとって、息を殺した時間の中で、じっと痛みが消えるのを願っているだけの正月だった。

私にとっても、そんな母をただ介護していたことしか思い返せない、一年前と同じ年末年始。

副社長が「返事をする」と言ったがアテにできるのか、無意味な長い待ち時間。

それも終わるとまた病院通いが始まるだけ、そうやって過ぎていった正月休み。

 

デイサービスと入れ替わりに通い始めた整形院は個人開業だけど立派な佇まい。

車椅子専用の駐車スペースが数台分、完全バリアフリー。リハビリ科まである。

とにかく痛みを取り去って欲しい、治療に役立てて欲しいと、ただその一心で

「完治していない肉離れの右腿を揉まれた、そこから痛みが強くなっていった」

知人から「熱心だ」と紹介を受けた医者に、母は一生懸命に説明する。

 

鉄壁なまでに擦り込まれた整形医学の知識の講釈には、やたらと熱が入るこの医者も

「原因については何とも言えない」と母の話について、状況の検討に入ることはない。

『原因が分からない時こそ患者からの話を詳しく聞き、それを治療に反映させるのが

 医者ではないのか…』この医者には、そんなもどかしさが常について回り、

肉離れの時に往診を頼んだ医師にも診察を受けてみようということになった。

 

駐車場もなくバリアフリーでないテナントの医院だけれど、くどい年寄りの話も面倒臭がらず

じっと聞いてくれる人柄で、パーキンソン病診断の神経内科紹介状もここに頼んだ経緯がある。

 

母はここでも一生懸命に説明する。

「圧迫を受けたことで筋膜が損傷したのだろう」との診断。マイクロ波照射を勧められた。

それが、どれ程の効果があるものなのか見当もつかない。だが、なにより私達の話を聞き、

それをもとに診断してもらえたことに救われる思いがあった。

 

医院の前に別の車が止まっていると、隣のスーパーの駐車場から移動しなければならない。

それでもマイクロ波をあててもらいに行こうと、1月は二つの医院を掛け持つことになり、

次第にそちらの方が中心になっていくことになった。

 

対本社会談の再要請の返事。

副社長から「返事をする」といなされ、年末年始を挟み、ほぼひと月。

待ってはみたものの、やはり、副社長から連絡が入ることはなかった。

 

      子守唄ポインセチアは何時眠る