代理人としての役割

この様な展開になってくると、どういう内容の診断書を確保できたかということではなく、

状態悪化が体験日直後に始まったと、立証を迫られている状況の口惜しさが頭を支配する。

 

当初から、それが困難であるという思いがあったからこそ、

誠意を見せないセンターを相手に苦心して会談を執り行い、

ようやく取り付けた当事者・センター長との認識の一致を

間違いなく交渉に反映させていくことが私の役割だった筈。

 

思えば、センター長においては最初の会談要請の時点から、

通り一遍等適当な苦情対応を繰り返した事。

年内には会談を設定すると直接約束した事。

当事者同士一対一で、母の言い分を聞く日を設けると了解した事。

何ひとつまともに実行された事はなかった。

会談が無視されてきた経緯についても、社長同席となると「憶えていない」と

つい今しがたの発言まで翻しシラを切り出す始末で、施設の管理責任はおろか、

その“責任”の意味すら、何も解っていない30歳に届かないただの若造だった。

 

「自分の過失については0ではないかもしれないが、(診断書が出ていない)現時点では

 100とも言えない、ここで(私に)話した事をそのまま尊重し、保険会社に引き継ぐ」

 私はこのセンター長の言葉をアテにするという形で会談を終えてしまった。

 その事自体に甘さがあった。これが仕事で与えられた役割だったとしたら、

 担当を降ろされても仕方ないほどの大失態ということになる。

 

 センターが非を認めるということは、苦情対応を無視した契約違反の問題が

 同時に発生することになる。所詮、何をしても最終的には代理人を立てられ

「発言は本意でなかった」と返され、結果は同じことであったかもしれない。

  

しかし、同じ不本意な結末でもやるべきことを全てやり尽くして出される結果と、

やれることがまだあるのに、やらないまま突き付けられる結果では自分にとって

後の意味合いが全く違うものになってしまう。 

  

 会談を終えるにあたっては覚書の一枚でも交しておくべきであったし、更に言えば

 

「センター長と母とを一対一で…」などと悠長なことを言っている暇にも立会人を

 準備し、自分の発言にもっと責任を持たせる環境をまずは造っておくべきであった。

  

代理人からは体験日以降の傷害の状況把握が、提出された診断書では不足だとして、

診断の内容を医師から直接確認する医療調査のための同意を求められることになる。

  

弁護士という国家資格を持ったプロの代理人によって、私達はセンターに不利益な

存在として徹底的に排除されていく。そして、私は母の代理としていかに不満足で

中途半端なことしか出来ていなかったかを思い知らされていく。そんな顛末だった。

 

      春雪に小鳥がこぼす白い息