こうなってくると議論の中心は、どのような内容の診断書を確保できたかではなく、
体験日直後に状態悪化が始まっていたことの立証。そこに焦点が絞られ、これ以降、
その口惜しさが私の意識を支配していくことになる。
当初からそれが困難であるとの思いがあったからこそ、誠意を見せないセンター相手に
苦心して会談にこぎ着け、ようやく取り付けたセンター長との認識の一致を間違いなく
本社との交渉に反映させていくことが私の役割だったはず。
思えばセンター長においては、最初に苦情を申し入れた時点から、
・通り一遍等の適当な苦情対応を繰り返した事。
・年内には会談を設定すると直接約束をした事。
・当事者同士一対一で、母の訴えを聞く日を設けると了解した事。
口約束はその場限りで、何ひとつまともに実行されたものはない。
最後の社長同席の会談においては、施設の管理責任はおろか、その<責任>の意味すらも、
まだ何も解っていないただの若造であったと、馬脚を露わす結果となった。にも関わらず、
センター長の「自分が(私達に)話してきた事は、そのまま保険会社に引き継ぐ」という
性懲りもない口約束をアテにする形で、私は会談を終えてしまった。
仮にも、彼の言葉通りに事後処理を進めたりすれば、その瞬間、社長と副社長が嘘をついたと
認めることになり、どう転んでも「本意ではなかった」と合意は翻されていたのかもしれない。
だがこれは、同じ不本意な結末でも、やるべきことを全てやり尽くして出される結果と、
やれることがまだあるのに、やらないまま突き付けられる結果とでは、後の意味合いが
全く違うものになるという話なのだ。
会談でも『下らないことに時間を使っている、もう、いい加減に終わらせたい』
そんな辟易する気持ちを抑えられずにいた。雑になっていく自分が修正できず、
交渉の詰にも甘さが出て、自責の念と制度への不信ばかりが増すことになった。
会談を終えるにあたっては、覚書の一枚も交しておくべきだったし、更に言えば
「センター長と母を一対一で」などと悠長なことを言っている暇にも、立会人を
準備し、発言にもっと責任を持たせる環境を、先ず以って造っておくべきだった。
もっとも今更それを言うなら、骨折後も、もっと早く同居に踏み切っていれば、肉離れ自体、
防げていたかもしれないし、体験利用の際も、もっと早く医者に診せてさえいれば相手側の
誠意を見極め、導き出すなど、虚しい算段に骨を折る必要もなかったのだ……。
センターにとって不利益となる私達の主張。それを一切、消し去るための先駆けとして
代理人からは「体験日以降の症状を把握するのには、提出された診断書では不十分」と、
診察した医師から診断内容を直接聞き取る<医療調査>の同意を求められることになる。
太刀打ち叶わず、このままねじ伏せられ「所詮、片手間でやっていたことだから」と、
また言い訳するか。そんな有り様は金輪際払拭し、弁護士というプロの代理人とでも
対峙していく腹を今一度括り直すか、そこを誤魔化したままでは、もう何一つとして
通用するものはないのだろうと思った。そして、そんな状況そのものが私にとっては
何とも疎ましいものだった。
春雪に小鳥がこぼす白い息