<医療過誤>や<介護の事故>といった言葉を検索し、何か有用の情報はないかと、見廻り
<医療事故弁護士法律相談センター>開設の<医療裁判の勝訴率>というページに眼が止まった。
原告側の請求が一部でも認められた判決割合・認容率の近年の推移と解説が掲載されている。
それによると、昭和40年頃の認容率は10%程。それが50年代には30%台にまで上昇、
最も高かった平成15年が44%。近年はまた減少傾向で20%程と原告には厳しい状況で、
世情により増減はあるが、とにかく、医事関連の訴訟はそこまで立証が難しいという内容だ。
医事関連以外の民事訴訟における容認率、及び勝訴率は85%程はあるということ。
「裁判をすれば勝てる」と見込めるからこそ、人は訴訟を起こし解決を目指す訳で、
「主張を認めさせることは法的には厳しい」と認識を持った時点で「裁判」という
選択自体が消える。民事訴訟において容認率が高いことは当然、との分析もあった。
年間の訴訟申し立て件数でも大きな差がある。医事関連の約千件に対し、それ以外の地裁での
通常の民事訴訟は約十数万件。法律相談に出向いてはみたものの、医療事案に関しての厳しい
現実を告げられ、裁判には踏み切れなかった結果が、この数字にも表れているのかもしれない。
私の場合は、相手が正規の医療機関ではないことで「裁判所が定める証拠を確保できない」と
悲観的な見通しが告げられた。遠回しに「早く忘れろ」と諭された印象さえある。損害賠償を
勝ち取れる見込みもないのに、裁判官相手に無念の思いだけをぶつけても意味が無いといった
見方になるのであろう。だが、そうなると「医療事案は立証の困難さ故に勝訴率も低い」との
理解には腑に落ちない点が出てくる。
原告となった人達が勝算も確かめず、闇雲に訴訟を起こしているとは考えにくい。先ずは、
私と同様、専門の弁護士を探し、法律相談に出向き、医療裁判の事情や分析を聞くはずだ。
その上で勝訴率が2割しかないとはどういうことか。性懲りも無く毎年毎年、8割ずつも
負け続けるというのはどういうことなのか、といった思いである。
毎年8割ずつ負ける。それは「法的には主張を認めさせることが困難」と法律家から諭され、
「勝てない」と承知の上でも、医事に限ってだけは裁判に訴え出るということではないのか。
信頼をもって預けた命や健康が誠実に扱われない局面があった。それは金銭に替えられない
<損得以上>の問題だ。ましてや、自らの無念を当人が晴らすことができなくなってしまい、
その代弁を果たそうとするのが家族というものだとしたら。
時に人は、街角に立ち署名を集めることもあれば、メディアの前て不条理を訴えもする。
そして、裁判が唯一残された手段となった場合は、勝算など度外視してでも訴えるのが
家族というもの…。
医療裁判の認容率・勝訴率の低さについては最初の無料相談においても、先ずは聞かされた。
その時には、特に意外でもない一通りの事情として聞いていた事柄を当事者となり一年近く、
交渉を続けて来た果てに、このように見詰め直していた。
老女また花火の音に立ち上がる