不法行為と債務不履行2

自分が通念としてきた道徳観や善悪の基準と、実際の法律の解釈はまた別物。

日を改めての法律相談、そのことを、つくづくと思い知らされることになる。

 

過失傷害(不法行為)での立証が難しくても、契約を正しく履行しない(債務不履行)という話なら、

示せる根拠が何なりとある。本来の事実経過を説明すれば、不当な契約解除を措置を無効にできる筈。

と、私は考えていた。だが、それすらも「難しい」と弁護士は言うのだ。

 

「全く非はない」と前センター長が宣言し、こちらが「それは受け入れられない」と反論した以上、

デイセンターにとって私達は「不信」な存在。信頼を前提にしての契約関係が維持できなくなった。

その言い分については、法的に成り立っているのだと。

 

私達が苦情を申し立てた必然性や、それ以降の経緯などは、関連を切り離して考えなければならない。

どう角度を変えて見直したところで、必要なことは「全く非はない」を覆す医学的見地に基づく立証。

結局はこの問題、医学的立証無くして、状況を変える(相手を交渉の席に着かせる)ことは出来ない。

と…。

 


 

「私なら、この材料で戦おうとは思わないだろう」弁護士の立場から見ると、そういうことらしい。 

「もし、あなたがこの立場であっても、そう言って諦めるか?」そう問い返す私に対し、弁護士は

「勝つための見通しを持てない弁護士が裁判を戦っても、意味のある結果にはならない」と答える。

 

そもそも、債務不履行だけに争点を絞っての訴訟など、たとえ勝訴したとして、どれ程の賠償が

得られるのか…。採算も勝敗も度外視し、悔いを残さない<終焉>の有り方として、裁判という

手段に固執しているのならば、別に弁護士を代理につけなくても、一人で好きにやればよかろう。 

結論はそういうことのようだ。

 

『その裁判所はこの法律事務所とは、目と鼻の先にあるのだが…』考えてはみるものの、意識は

そこに集中しない。むしろ『何をしても勝てない』そんな敗北感の方が強く自分を支配していた。

 

このトラブルに見舞われ、もうじき丸一年になる。この問題に支配し続けられてきた一年だった。

『決定的に判断・対応を間違えた』と、刻印されていることがある。言い出せばきりがない。が、

ケアマネ(居宅)・包括・その他の相談窓口、そして弁護士。世の中には、こんなにも<駒>が

揃えてあるというのに、自分はどれ一つ満足に活用することができない。その無能さ、無力さが、

ただ、恨めしかった。

 

    義仲よ このジャケットは軽すぎて