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2014年

10月

10日

転倒骨折

共に昭和2年生まれ、2011年、満83歳。郊外の築40年の実家に、ひっそりと暮らす

両親がいる。父は血圧が高めで、母には軽い緑内障と、季節や気圧の変化に伴う喘息がある。

それぞれに、齢相応の課題はあるが、介助や介護は必要としない老々夫婦二人暮らしだった。

 

2月に入ったある日、書留郵便の受け取りに出た母が、玄関先の庭石につまずいて、転んでしまった。

左足の付け根に衝撃を受けた母の脳裏には、緑色の閃光が浮び上がった。体全体が宙に浮いたような

感覚になっていくが、恐怖や不安はない。むしろ、心境は穏やかさ、安らかさに包まれていたらしい。

『人の死とはこのようなものなのかな…』そのようなことを考えながら、意識が薄れていったそうだ。

 

その後、母は郵便配達員によって室内に運ばれ、頭に浮かんだ光体も萎んでしまい、意識を取り戻し、

激痛に襲われることになる。私の家は実家から車で約10分。遅めの出勤支度をしていた私に父から

「すぐに来い」と電話が入った。

 

母は玄関脇の部屋で痛みにもがいていた。その体勢は匍匐前進試みるも、身動き取れない兵隊のよう。

『骨折をしているのかも』と推測された。地元総合病院に救急搬送。そして、やはり左足鼠蹊部骨折。

 

担当医から「手術をしなければ、このまま寝たきりになる」と診断結果が告げられた。

同意書にサインするやいなや、割れた骨を繋ぐため、ボルト2本を埋め込む緊急手術。

術後数日で直ぐに、リハビリが開始された。

 

入院中に東日本大震災が起こる。 

一時帰宅の許可が出たのは手術から約2か月後。丁度、地元の桜が満開を迎えていた。

車の窓を全開にし、ゆっくりとアクセルを踏み、住み慣れた実家に母を連れて帰った。

 

その後、私は病院のソーシャルワーカーから介護制度について、基本からの説明を聴くことになる。

老々の親を横目で観ながらも、それまで介護など全く無縁だった私には、その制度についても殆ど、

知識の持ち合わせがなかった。

 

入院から約3か月後、母の左足は右足のほぼ半分の太さになり、杖歩行。要支援区分1の

介護認定を受けての退院となった。『区分認定には要支援から要介護への段階があるか…』

この時の私の介護に対しての実感は、まだまだ、その程度のものだった。

 

   さくらさくらとてんとう虫が目を醒ます

   


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2014年

10月

20日

要介護認定

杖歩行で要支援1、それでも母は、入浴も含めた自立生活を諦めてはいなかった。

しかし、骨折以前と同じである筈がなく、買い物から家事全般までが父の担当に。

地域包括支援センターのケアマネージャーが担当になり、週に一度、室内清掃の

ためのヘルパー訪問が始まった。また、介護用品からは立ち上がり用の手擦りを

レンタルすることになった

 

当面のリハビリについては、自力の歩行訓練や体操で脚力の回復を目指すとし、

天候の穏やかな折には、自宅近くの神社境内を歩くことが日課になっていった。

取り組んではみたものの退院より丸1年、母の左足は以前の太さには戻らない。

用心していても出先や室内でまた転んでしまい、回復は思うよう進まなかった。

 

「歩き出そうとする際に、特に最初の一歩目が踏み出しにくい時がある」と訴える母は、

「パーキンソ病ではないか?」とケアマネージャーからの指摘を受け、地元総合病院の

神経内科を受診したところ、やはり、その兆候があり<パーキンソン症候群>との診断。

脳内に不足している神経伝達物質ドパミンを補う<メネシット>という薬が処方された。

とりあえず、毎食後半錠。一日1・5錠で、その効果の様子を観ることに。

 

それを受け、2012年9月、介護認定の区分変更が届けられ、支援1から一気に3段階上がり、

要介護区分2となった。地域包括支援センターが支援認定者へケアマネージャーを派遣する場合、

要介護と変更された時点で、民間の事業所に担当を引き継ぐ決まりがあるとその時に告げられ、

選定を迫られることに。初めて聞く名前ばかりが列挙された事業所一覧から、一つを選べと言う。

 

判断がつかずに「どこか推薦して欲しい」と地域包括のケアマネージャーに頼むと、

設立して約20年、市内に6支所の居宅介護支援を置く社会福祉法人を紹介された。

そして、その地元支所で副主任という立場のアマネージャーが次の担当に決まった。

 

年齢は60歳前後といったところだろうか。物腰の柔らかい、ふっくらとした体型の女性だったが、

銀縁眼鏡と少し高めの声からは、生真面目な人となりが感じられたケアマネージャーといっても

地域包括のスタッフならば、身分的には市役所の職員で、公務員ということになる。

およそ役人らしからぬ、ざっくばらんな前任と比べ、新担当は対照的な印象だった。

 

<メネシット>の服用で、踏み出しにくさについては、確かに改善の効果があるように思われたが、

蹴躓きや転倒の克服については、やはり、地道な筋力の回復に取り組んでいくしかないようだった

 

       梅雨湿めり梯子達磨は傷だらけ

 


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2014年

10月

30日

機能麻痺

その頃、元々難聴の傾向にあった父は電話の呼び出し玄関チャイムも気付けない

ところまで症状が進んでいた。人と話す際は補聴器が必須となるが、使用するのは

他人と会話する時だけで、それ以外は家族に対しても催促しないと使おうとしない。

 

雑音の拾い方が不快だということであるが、話し掛けられる私達家族は目の前の

父に向い、川の向こう岸にいる人に呼び掛ける如く大声で応えなければならない。  

父との会話は億劫で、こちらからの用向きも最低限の筆談で済ませるようになっていた。

必然的に母が来客担当となり、そのために骨折の憂き目を見ることになったという訳だ。   

 

老々生活の備えとして、母と共に介護認定を受けてみると要支援2。杖歩行で

要支援1の母は「誰が見ても私の方が不自由なのに」とその結果に憮然とした。

 

もはや、これまでの役割分担は見直さなければならないと、 

宅配などは後に不在連絡届で私の責任において受け取ることにして、

玄関チャイムは音を切り、来客には敢えて応対しない方針を決めた。

 

そのような状況で室内バリアフリー化計画が進んでいった。

計画は母の自室から茶の間とトイレまでの段差を解消する

床高調整と通じる部屋の扉を引き戸に変更するというもの。

タンスや食器棚の移動、そのための荷物整理は家族総出の想像以上の仕事量であった。

 

だが、この計画には根本的な見落としがあった。

母の自室は縦長の6畳で幅180cm。間もなく簡易便座の使用が始まるのだが、

ベッドの足元に便座を置くとほぼ幅一杯に場所をとることになる。簡易便座は

ベッドの足元横に置かなければ意味をなさない。配置を色々と工夫してみたが

どうしても人の動きに無理が出て、介護部屋としては使えない間取りだったと

その時になって気づき、せっかくの改装も放棄して玄関脇の客間を母の自室に替えることになる。

 

荷物の整理も含めて丸ひと月、平成24年の師走は

そんな工事にために翻弄されることになりました

 

   露地奥にまた露地がありはやり風邪

 


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2014年

11月

10日

右大腿部肉離れ

工事に取り掛った直後、母の知人から急な電話が入った。

「すぐ近くまで来ている、これから少し会えないか?」ということ。

「チャイムも鳴らないし、工事で散らかっているから」という母に、

「戸を叩くので顔だけでも」と知人。手渡したい物もあったらしい。

待つ間もなくやって来た知人に慌てて応対した母はベッドに戻る時には

右足に違和感が生じ、翌朝には身動き一つとれない状態に陥ってしまう。

再び、父から「すぐに来い」と連絡が入ることになった。

 

全身を硬直させ目は宙を泳ぎ、肩で息をする母。

今度は右足を痛がっている…。

そして、その痛がり方は今回の方が強いように思えた。

着替えのため体を起こしたり、体勢を変えようとして、

ごく僅かでも右足の可動に影響が及ぶと、悲鳴をあげて痛がる。

全くどうすることも出来ず、やはり救急車を呼ぶしかなかった。

 

 運び込まれた総合病院の救急救命室で決められた検査を行い、担当の医師から

骨に異常はない。肉離れの可能性があるが詳しい診断と治療は整形科の受診で

 判断を仰ぐように、当面の痛め止めは処方するので今日は連れて帰って下さい」と。

 それに対し「この状態では家で介助しきれない、とりあえず入院させて頂きたい」と、

 散々頼み込んでも、骨には異常がないからと聞き入れられず、結局連れて帰ることに。

 

翌日、地元の整形医に往診を依頼したところ、やはり肉離れであろうと。

回復は若い人でも3か月程掛かることもあり、

高齢なので、されに時間が必要かもしれない、

自然に痛みが引くのを待つしかないとの診断。

 

骨折した左足を無意識に庇う癖がついてしまい、負担が右足に蓄積し、

急な来客の応対でついに限界を超えてしまった。そんなてん末だった。

ケアマネージャーに介護計画を相談することにしました。

 

    サンダーバード素っ跳ぶ雪の無人駅

 


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2014年

11月

20日

介護計画相談

母は痛みのために寝返りを打つことすら自力では困難な様子だった。

介護用オムツを購入したものの、寝たままでの排便などは気持ちも

体もにわかに順応できるものではないと、当初は車椅子でトイレに

連れて行っていたのだが、直に簡易便座を置くことになる。

人も動物も体に痛みがある時は、眠って直そうとするのか、

母もまたその様で、起床時間が全く不定期になっていった。

 

これまでのヘルパー利用は宅内清掃のみだったので、

介護そのものを目的とした場合はどのようなものか

ケアマネージャーに相談を持ち掛けたところ…。

 

訪問介護や訪問看護は、

1・時間と利用目的を決めること、食事・着替え・その他介助全般、いつ何を頼むかということ。

 (見守り、待機などの単なる付添いは不可)

2・1回の利用は長くても1時間半までで、1日複数回利用の場合は数時間、時間を空けること。

 (連続の利用は不可)

など、制度上の決まりをまず告げられ、それで対応しきれない場合は

特別養護老人ホーム(特養)の短期入所生活介護や

介護老人保健施設(老健)の短期入所療養介護の形をとる

教えられた。ほぼ全てこの相談で初めて知ったことであった。

 

レスパイト、という入院形態があることを後になって知らされる。

急性期病院で入院を打ち切られ、自宅での看護が困難な人に対し、

家族の負担軽減のために、健康保険で療養入院をするというもの。

リハビリテーション科を備え、レスパイト入院を受け入れる療養型病院が近くにあり、

この時に教えられていれば、期限付きの入院だとしても申し込んでいたかもしれない。

 

しかし、運ばれた総合病院では制度を導入していなかったためか、

ケアマネージャーからは、あくまで介護保険利用の範囲の相談と思われてしまったか、

この時点では聞かされず、レスパイト入院がこの対応の選択肢に入ることはなかった。

 

バリアフリー化工事の諸々対応と母の介助を難聴の父一人に

任せておくことも出来ず、私の実家に泊まり込みが始まった。

老健の短期入所を問い合わせてみようと思いました。

 

   予備校の冬のサルビアくらくらする

 


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2014年

11月

30日

介護生活突入

バリアフリー化工事とその後片付けが一段落するまでを目途に私は休職して当面の母の

介助に専念することに。そして、同時に短期入所の手続きも進めていくつもりであった。

 

慌ただしく工事が進む中、トイレのためにベッドから

出る以外、ほとんど寝たきりの療養生活が続いていく。 

往診での痛め止めの注射もさほどの効果もなく、

治るまでにはやはり長期戦の覚悟が必要だった。

 

介護が始まり数日たったある日、母が急に息苦しさを訴えることがあった。

今にも息が止まりそうで、私の手を取り「今まで、どうもありがとう」などと言い出す有様。

寝たきり同然になったとはいえ、僅か数日で呼吸停止寸前まで陥るとはどうにも不可思議で、

『何なんだ?』とただ狼狽するばかり。

 

『冷静に』と自分に言い聞かせて、状況を見渡し直してみたところ酸素欠乏ではないかと、

エアコンの空調を嫌う締め切った母の部屋の暖房、酸素が欠乏状態になっているのではと。

窓を開け放し空気を入れ替えると、呼吸は次第に落ち着きを取り戻し事なきを得たものの、

切羽詰まった素人介護の危うさを思い知らされることになった。

 

私は母が発する声に過敏になり、昼夜の区別がつかない介護生活になっていった。 

工事が終わる頃、母の両足はすっかり肉が削げ落ち、右足が逆に左より細くなり、

弛んで乾燥した皮膚が魚の鱗のようになって両足大腿部から下を覆い始めていた。

 

このままでは本当に寝たきりになってしまう…。

体を動かす感覚を呼び戻そうとして、痛みのない左足など上下運動を促してみると、

母もそれに応えてきた。肉が削げ落ち干からびた足を慎重にほんの僅かでも動かす。

 

補助をする手に母自身の危機感が否応なく伝わってくる。

人の体の脆さを目の当たりにして、只々不安でした。

 

    エプロンを脱いでおいでと鴨の陣

 


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2014年

12月

10日

在宅介護延長

私は長男で弟がいるが、私達は老々となった両親の危うさを理解していながらも、

ただ、なんとなくそれを静観していた。父の存在が私達を実家から遠ざけていた。

 

難聴で意思疎通が困難なこと以外にも、煩わされていたことがある。

家族の中での父の立場は絶対で、所有物が聖域のようになっていた。

家族といえども勝手に触ったり場所を変えたりすることは出来ない。

 

湯飲みや茶碗、箸などは誰でも自分専用があって不思議はないと思うが、

急須に茶葉、漬物、菓子など、家族なら皆で使って分け合う類の物まで、

なにかと自分専用を確保し、置き場所までいちいち細かく決まっている。 

そして、それを勝手に触ったり摘まんだりすると、たちまち機嫌を損ね

文句を言われてしまう。 

 

夫婦共満85歳、この年齢までこんな秩序がまかり通ってきたのは

母自身がそれを受け入れ、尊重してきたことが何よりの原因だった。

 

母とも部屋を更えて久しく共通の趣味がある訳でもない。夕食を済ませると

夫婦の会話も早々に自室に引き揚げ、床に就いてしまう素っ気なさであるが、

どれ程子供達から敬遠されようが、両親はすっかり染み着いたこの生活を

可能な限り二人で続けていこうとしてきた。

 

見学を兼ね、説明を聞きに行った介護老人保健施設は

希望者に対し、個別リハビリが用意されていたものの、

支援相談員からは「『安静が必要』と医師からの診断がある以上、まずは

治すことを優先させる、リハビリは回復の様子を見てからになる」とされ、

入所はあくまで家族の負担軽減のためと割り切る必要があった。

また短期入所は日数制限があり、自宅に帰れるまでは地域内で

施設の移動も必要になるかもしれないとも聞かされた。

 

入所制度を利用するか、衰弱防止のため慰め程度の効果しかなくても

自宅できめ細かな介添えを続けるか、そんな選択に悩むことになった。

入所を選ぶと、仕事には復帰できるが難聴の父を一人家に残すことにもなる。 

どちらにしても、痛みが引く頃には自力歩行困難は覚悟しておく必要がある。

 

私は当面、在宅で母の介助を続けていくことにした。

少々、父の神経に障るような粗相があったとしても、

もはや、母から小言を聞かされることはなかろうと思いました。

 

   しこしこと五十路はじまる赤まんま

  


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2014年

12月

20日

父の生活、母との接点

結婚当初は共稼ぎであった両親、私達兄弟が産まれると母は専業主婦になった。

食パンの昼食と風呂の準備、一部買い物、ゴミ出しが定年後の父の仕事となる。

母の骨折で炊事全般まで引き受けることになってしまった父。 要支援2。

 

母からレシピを聞いて味の再現を試みたり、宅配弁当を活用したり奮闘するも

どうにも上手くいかない。最近は嚥下(食物の飲み込み)にも少々難が出始め、

食事中に咳き込んだりする。結局、食事全般が「ワシの口に合わせてもらう」となっていった。

 

「お父さんの料理は私がしていたのと比べて、倍柔らかく倍味が濃い」

 専ら母の愚痴になっていたが、父本人に面と向かっては言わない。

 父も薄々察してはいたのか、私が介護に専念すると聞くやいなや、

「それなら母さんの食事もお前に頼む、自分のことは自分でやるから」

 となり、 判で押したような父の一日がより一層、規則的に。

 

ー父の1日ー

起床5時半。

朝食6時。

朝刊に目を通し、9時半から買い物など所用の外出。

母が好みそうもない菓子や果物など、適当に買ってきては枕元に置いていく。

昼食12時。

入浴2時(1日置き)。

3時から夕食の支度。

炊事場の使用が私と重なると真後ろに立って作業が終わるのを待っている。

「鬱陶しいんだけど」と言うと3歩程下がりはするが、待つのは止めない。

猫舌のため調理後いったん温度を落ち着かせ、夕食5時。 

就寝8時。

家族以外の対人関係殆どなし。

趣味は読書。

自室には読み漁った文庫本が煩雑に並べられていて手を付ける隙なし。

 

一方、母は痛みのため1日の殆どを眠っているか、まどろんでいるかという状態。

何か助けて欲しいことがあって「お父さん、お父さん」と呼んではみても、その

か細い声は父には届かない。

はかなく切れかかっている夫婦の接点を互いなりに繋ぎ止めようとしているのか…。

五十路を迎え、単身の身で実家に戻った私にとっては少々切なくうつる光景でした。

 

   わけもなく誉められているおでん鍋

  

Cat


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2014年

12月

30日

手探り介護模様

ー介護内容ー 

・給水補佐

・食事の支度

・オムツ交換

・着替え介助 

・蒸しタオルで体を拭く

・床擦れ防止の体勢調整

・便座への移動介助 

・ベッド上で右足に影響がない範囲での体ほぐし

介護となれば当たり前のことばかりだが、突然の母親の身体介助に戸惑いを感じた

初めてアルバイトを体験した時のように、どうにも要領を得ず右往左往としていた。

 

最も難儀だったのがベッドから出る動作である。

どうしも右足の可動に影響が及び「痛い!」と、

絞り出すような悲鳴と共に、渾身の力で私の腕を握り絞める。

余程、耐え難いのか一人でに涙が零れていることさえあった。

耳に刺さる悲痛な声は聞くに堪えず、慣れることがなかった。

「痛み止めを追加して欲しい」とせがんでくる。安静にさえしていれば

苦痛はさほどではない。薬の一時的な感覚麻痺で無理な動きに繋がると

傷の悪化を招きかねない。薬の服用は処方の範囲に止めようと説得した。

 

回復はほぼ医師の診断通りであった。薄皮を剥がすように、本当に少しずつ少しずつ。

ベッド座りで足湯をしているとケアマネージャーに言うと、訪問入浴をすすめられた。

浴槽を持ち込むため、隣室で寝起きする私の生活道具をいちいち整頓し直す必要が出る。

どうせ一日張り付いているのだから自分で入浴させられないものかと思い、やってみた。

 

1・脱衣場を暖房完備

2・座椅子を浴槽の真横に設置

3・ベッド上で出来る限り脱衣

4・車椅子で脱衣所へ

5・座椅子に一旦、座らせる

6・抱きかかえて湯船に

 

湯船につかって生き返ったような表情になる母。

体重がこの時点で30kg台にまで落ち込んでいたこと。

昔造りの堀の深い浴槽の縁と座椅子の同じ位の高さで、

座れば、少しの横移動で湯船に入ることが出来たこと。

これらの要素があって自分一人でも出来たことである。

回を重ねる度に手順のコツも掴め、この形が続いていくことになった。

 

肉離れを起こしたのが平成24年12月の始め。

年が明けて寒さも和らいでくると、起床時間などはまだまだ定まらないものの三度の

食事もきちんと摂り、右足もベッド上でなら徐々に動かせるようになっていきました。

 

     夜景から夜景へ架かる霧の橋

  


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2015年

1月

10日

診断パーキンソン病

気候も良くなり半年も過ぎると、徐々にではあるが足も太さを取り戻し始めた。

「まだ痛みも残っている、無理はしないように」という、周囲の忠告も余所に

自力での移動を試みるようになる。室内に持ち込んだ手押し車にしがみついて、

なんとか立ち上がり歩き出そうとするものの、一歩目がなかなか踏み出せなかったり、

その場で小刻みに足踏みを繰り返すばかりで前進できなかったりと、ままならぬ様子。

 

パーキンソン症候群が進行しているのかもしれないと、総合病院神経内科に検査を依頼。

RI検査という半日近くも掛かる検査を経て、正式に特定疾患・パーキンソン病と診断。

 

パーキンソン病は症状として“振戦”という規則的な手の震えが現れることで知られるが、

母は歩行、特に歩き出す時に難があるものの、安静時に体のどこかが震えたりはしない。 

そのためか、高齢になっての発症は「年のせい」と、発見が遅れがちになることもあり、 

やはり、転倒骨折の時点で既に症状が出始めていたのだろう、とのことだった

 

症状に個人差はあるが、いずれにしても脳内のドパミン神経細胞が減少によって

運動機能が衰える病で、神経伝達物質ドパミン補充の投薬対処療法が中心となる。

発症原因は不明で、根本的な治療法が未だ見つかっていない進行性の難病である。

 

7月、薬の調合を見直すため、リハビリを日課とする約3週間の検査入院に入ることに。

整形科で右足の状態も看ながらのリハビリとなる。

処方薬メネシットが1日1.5錠から2.5錠に変更。

病院のリハビリ科は入院患者が対象ということで、

退院後は最寄りの施設でリハビリを継続するよう、

診療情報提供書を持たされての退院となった。

 

一定の距離の移動にも生活にも、まだまだ車椅子は手放せない。

しかし、母は自力で動ける範囲を少しでも広げようと

片手には杖をもう片手は私の手を握り締め立ち上がる。

退院はちょうど土用丑の頃、母にとっては久しぶりの外食である。

私達はようやく少し一息入れ、帰宅の途に就くことができました。

 

      女・女・男・女と土用灸

 


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2015年

1月

20日

リハビリ特化型デイサービス

リハビリの再開をどうするか…。

通所リハビリ(デイケア)や通所介護(デイサービス)は

入浴・昼食・レクリエーションなどが日課に組み込まれている

タイプが主流のようで、拘束時間の長いものは候補にならない。

訪問リハビリにするかリハビリ科の医院に通うか、と思案していたところ、

つい最近、リハビリ特化型のデイサービスが近くに開設した。という話を

ケアマネージャーが持ってきた。

 

入浴や食事ケアのないリハビリ中心のメニューで拘束時間が短い。行ってみると、

通り慣れた道沿いのテナントの一階がそのデイサービスセンターに装いを変えていた。

50㎡程のスペースで間口には10人程が座れるようテーブルと椅子が置かれていて、

奥には間仕切りでトイレや事務所。壁沿いに数種類のリハビリ器具が並べられている。

30歳に届くかどうかという年頃の青年が応対に出てきて、理学療法士の

自分が管理責任者・センター長だとの自己紹介後、一通りの説明を受けた。

 

一度の受け入れは10名まで。要介護者場合、一回の利用が3時間、送迎付き。

まずはバイタルチェックで体調確認の後、途中に休憩を挟みながらスタッフの

サポートの元、専用器具で実質2時間のリハビリや生活行為の訓練などを行う。

午前か午後かの時間帯を選び、週に2回位のペースで通うのが一般的な利用の

形だということ。まだ若いがセンター長の人柄は実直で好感が持てそうである。

 

こちらも、これまでの母の大体の経緯を説明すると、

「定員にはまだ空きがある、体験利用に来てみないか」と案内を渡された。

開業して間もないためか、案内はコピー用紙に刷られた簡単なものだった。

 

母に概要を話したところ「お前がいいと思うのなら異存はないよ、

体験に行ってみようか」と、話が進んでいくことになりました。

 

    どのバラも褒めつつ母は愁いがち

 


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2015年

1月

30日

ひと時の安息

満85歳、まだ経度ではあるが緑内障があり、歩行機能低下、そしてパーキンソン病。

リハビリを再開しても回復は未知数と判断されたか、この年から母は要介護3になる。


ケアマネージャーは認知能力のテストも行った。

「はさみ・かえる・みかん・ふとん」というような適当な単語を幾つか聞き、

その場で順番を覚える。その後、簡単な計算をしたりして別のことを考える。

そして、最初に聞いた単語をまた正しい順番で言えるか、というようなもの。

認知機能についてはまだ大丈夫だということだった。

 

 右足の痛みも完全には消えていなくて、長時間の立ち姿勢もまだ困難。

 それでも、朝食前には室内や庭先で杖歩行の訓練を再開できるまでに

 回復してきたことが母自身はもちろん、家族全員の励みもなっていた。

「もう少ししっかりしてくれば、近場でいいから秋には温泉に行こう、

 お前にも元の生活に戻ってもらえる」そんな言葉が聞けたりもする。

 

デイサービスの利用は猛暑の8月を控え、9月から始めることにして、

ケアマネージャーに神経内科主治医からの診療情報提供書を渡し、手続きを依頼。

火曜と木曜の午後から要介護者ばかりが集まる利用枠にまだ空きあるということ。

母にとっても午後のほうが体もほぐれ出し、好都合である。


 9月に入って2週目の火曜日、体験利用開始。

 肉離れ以前の母ならば、杖で歩いてでも通えそうな距離のデイサービスセンター

「送迎をしてもらわなくても、ここまで歩いて来れるようになるといいなあ」そう呟き、

「よろしくお願いします」と習い事を始める子供のように、自分の孫程のセンター長に

 挨拶をする母が微笑ましく思えた。


『どうかこのまま順調に進んでいってくれますように…』そのように願うばかりでした。

 

   源流を守る蝮(まむし)が居るという

 


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2015年

2月

10日

デイサービス体験利用

体験利用としての初日はこのセンター長が母を担当することになった。

主治医からの診療情報提供書には、現症についてパーキンソン病以外に変形性膝関節症の

記載があり、転倒骨折、筋力低下(両下肢)、痛みの項目などにもチェックが入っている。

 

パーキンソン病自体は痛みを伴う病気ではないので、”痛み”の中心は右大腿部にあり、

まだ完全ではないことを重点に、転倒骨折から今日までの経緯を改めて説明し直すと、

センター長は母を椅子に座らせ、左右の大腿部の太さや筋肉の状態を確認し始めた。

 

肉離れで左より細くなった右がこの時、また太くなり始めていて、

「右足には筋肉がついてきている、むしろ今は左よりも太い」と。

さらに「骨折した左足を庇う癖がついているのではないか」とも。

すると母が「あまり強く力を入れないで、マッサージのような揉み解し行為は

まだ医者からも止められているので」と言っている。確かにセンター長は母の

右腿に両手を巻いてじんわりと揉み解しを行っているように私の目にも映った。

 

私にはその道一筋の鍼灸マッサージ師の弟がいる。帰省の折には両親へのマッサージを

習慣としていた弟も、肉離れ以降は母の右足には決して触ることはなく、私に対しても

診察の際には、マッサージの可否も必ず医者に確認をとっておけ」と、しつこい程に

念を押していた。マッサージの感触を熟知している母はセンター長の手から伝わる力が

その類のものだと感知し忠告を入れたようだった。

 

「痛みが完全に消えてない以上、右足への圧迫はまだ禁物」

 医師の判断もそういうことであり、私もその補足したところ、センター長からは

「負担を掛けている右足にコリがある、コリの原因は血流の滞りで、そのままに

 しておくのは良くない、大丈夫、右足は強くなってきていますよ」という返答。

 それから、備えられたリ専用器具でメニューを一通り体験していくことになった。

 そして、一つメニューを終える度にセンター長の両手を母の右腿に巻く行為が繰り返され、また、

 その度に神経質そうに、母が「力を入れすぎないで」と忠告を入れる場面が繰り返されていった。

 

「母がこれだけ慎重になるのは本当に痛い思いをしてきたからなのです」と私は付け足し、

 理学療法士としてのセンター長の処置を見守っていました。

 

    カナカナや病院にある開かずの窓

 


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2015年

2月

20日

本利用開始

母はセンター長から右腿に揉み解しを受けたと確信を持っているようで、

「今日は少し疲れた、変な揉み返しが来ないといいのだけれど」と訝しげに言う。

一方、私は「最初は戸惑っても、続けていくうちに体も慣れていく筈だから」と、

二日後からの本利用に向け、母をなだめていた。

 

 翌日「やはり揉み返しがきていると思う、動くと右腿が少し痛い」と言い、

 母はトイレに行く以外はじっとベッドに寝ていて、体を動かそうとしない。

「明日から本利用だけど、来週からにするか?」と聞くと、

「行こうと思っているよ、頑張るから」そう返事を返えす。

 

 そして本利用当日、送迎役はそのセンター長であった。

「右腿について、体験日の運動と処置の反動なのか、少し痛みを訴えている、

 今日はよく注意して看てやってくれ」と伝え、母を送り出すことになった。

 

帰宅後、母は「今日のリハビリは右腿にひびいて駄目だった、一昨日に体験の足を鍛える運動は

ほぼ無理で、ロープを使った腕の運動などもきちんと力を入れては出来なかった」と振り返った。

残り時間の大半はソファーベッドで女性スタッフに足を摩ってもらっていた、ということらしい。

「やっぱり揉み返しと思う、じっとしていればそれ程でもないのだけれど…」と、不安気な調子。

 

来所時のバイタルの測定結果やセンターでの過ごし方を伝える連絡帳には、

「座位でのゆっくりとした運動を1時間程実行、(残りの時間は)膝と腰の痛みの訴えがあり、

 横になって頂いて対応した」とある。最初に申告した右大腿部については触れられておらず、

 母の話とも少しズレがある。

 

しかし、そのことが後に論争の焦点になってくるとは、その時には思うこともなく

「誰でも慣れない運動をすれば多少の筋肉痛位は出る、あまり神経質になるな」と、

ただ、私は母を鼓舞していた。

 

母の気持ちがブレないよう励まし、ペースを作っていく事がその時の自分の役割だと思っていました。

 

    夏帽子載せステッキがこけてゆく

 


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2015年

3月

01日

利用停止・通院開始

 体験利用から一週間、次の火曜日、母の右大腿部の違和感は相変わらずで、

「むしろ少し強くなっているかも、今日は休む」となり、欠席することに

「回復に手間取っているみたいで、無理をさせたくない

 再開で出来るようになれば、こちらから連絡を入れる」

 

それからも、母の右足は時計を巻き戻すかのようにじわじわと痛みが強まり、

その週末には立ち上がることにも苦痛が出始める程、状態は悪化していった。

ついには「どこか通いやすい整形を探して、連れて行って」と言い出す始末。

 

通いやすい整形…。

肉離れの時に往診を頼んだ医院はバリアフリーの設備も駐車場も整ってない。

総合病院は家から近いとはいえず、駐車場から診察室まで移動も手間が要る。

車から降りて直ぐに診察室に入れる設備が整っているところ、

待ち時間でも車内で横になって待っていられるようなところ、

そういう整形医院を探してくれ、と言うのである。

 

知人が紹介してくれた整形医院での初診は、体験利用日から二週間以上が経過してからとなった。

痛みは更に増していて、看護師の手助け無しには自力で診察台に寝ることが出来ない位であった。

 

「個人開業だが設備も整っていて、丁寧に看てくれる先生だ」そう聞いて決めた医院だった。

 確かに医学的な専門知識、骨密度やら骨粗鬆やら、新しい治療方法など説明は十分に丁寧だ。

 だが、次々繰り出される自分の話に比べ、こちらの話はそこまで丁寧には聞きいてくれない。

 効果的に治療に反映させて欲しくて話すのだが、どうも言葉が届いてないようで心もとない。

 

 レントゲン検査の結果、骨には異常なし。

 母は痛みが悪化し始めたデイセンターでの経緯を賢明に説明する。だが医師からは

「自分はその現場にいた訳ではないので、因果関係については何とも言えない」と。 

 

『交通事故に遭った場合と同じことだった』と思っていた。

 その場ですぐに怪我などなくても強い衝撃を受けたり、体のどこかに違和感があれば、

 日にちが経ってから症状が現れることもあるので、とにかく医師の診察を受けておく。

『そんなこと十分に知っていた筈なのに、回復傾向にうかれ、リハビリを再開し

 生活を戻すことに気持ちが先走って、母に対してはその教訓がいかせなかった』と。


 結局、退院後のリハビリはこのデイサービスの2回の通所で終了という顛末でした。

 

  浮雲にまた蜻蛉(かげろう)が乗りそこね

 


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2015年

3月

11日

検証会談要請

ケアマネージャーに経緯を説明したところ「そうですか…」と困惑した様子。

しかし、より詳しい事情を確かめようとか、相談に乗ってくれることはない。

パーキンソン病患者にとって、症状進行予防にリハビリがどれ程、重要か、

9月の定例訪問はいつも通り、介護保険の利用の確認だけで終わることに。 

そもそも、デイサービスを紹介したのはこのケアマネージャー自身なのに、

なんとも素っ気ないこの態度には、逆にこちらが困惑するばかりであった。

 

10月に入り、一度だけ通った本利用の請求が上がってくる。

「精算の手続きをとるように」センター長から電話が入った。

『利用者からの相談・苦情に対応する窓口を設置し、迅速かつ適切に対応する』との条項が

契約書にはあり、重要事項説明書には、その苦情処理の担当にセンター長自身の名前がある。

 

・母がリハビリに復帰できないのは単なる筋肉痛や揉み返しなどではなく、

 治療に通わなければならないほど痛みが進行していること。

・痛めている箇所はセンター長がコリがあると言って何度も両手をまいた

 右大腿部であり、母はその時の“揉まれ方”が強すぎたと訴えていること。

 

 本利用当日の様子、連絡帳記述内容の検証のため、会談の座を設ける旨の要請をした。

 それに対してセンター長は「マッサージ、揉み解しを行ったつもりはない」と答える。

 母が高齢で要介護3の身であるものの、認知障害がある訳ではないと念を押した上で、

「自分は母の代理として契約条項にのっとり、苦情対応の要請をしている。

 会社として賠償や事故処理対応の担当者の同席を求める。当事者として

 あなたにも言い分があるのなら、その会談の場で確認させてもらいたい。

 利用料金はその話に決着がついた時点で精算させて頂きたい」と伝えた。

 

「了解した、本社の担当者に報告をして連絡を入れ直す」とセンター長は返答。

 しかし、それから約二週間。10月一杯まで待ってもその連絡が入ることはありませんでした。

 

      半顔に麻酔の残る台風圏

 


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2015年

3月

21日

ケアマネージャーの役割

相談・苦情の窓口の担当者が施設の責任者。

利用者からの苦情対応の要請を独断で止めているのか…。

行政の認可のもと成り立つ通所介護事業、そんな判断あり得るだろうか…。 

本社に報告はしたものの「放っておけ」ということになっているのかも…。

 

母は揉み解しを受けたと確信を持っているし、自分の目にもそう映った。

一方、センター長は「行ってはいない」と主張した。

医者は「因果関係は自分には特定できない」と言う。

センターに誠意がないからと、闇雲に訴えても「やった、やらない」の

水掛け論が展開されるだけなら、それは短慮ということにしかならない。

一定の誠意のもと、検証会談を実行するには仲介者が必要だと思われた。

 

 こんな時こそケアマネージャーに動いてもらわなければならない。ということで、

「デイセンターには誠意がないと思われる、会談の仲介をお願いしたいのだけれど」(私)

「介護サービス利用のための手配・手続きを行うまでがケアマネージャーの役割で、

 立場上も中立が求められる、トラブルなど事後の話し合いは仕事の範囲ではない、

 会談は当事者同士でお願いします」(ケアマネ)

「自分の身体ケアも困難な要介護度の高い人がトラブルに見舞われたとしたら、

 頼れる身寄りがいない人、当事者間だけでは話がこじれると予想される場合、

 サポートが必要な状況もある筈、相談を受けることもあるのでは」(私)

「自分にとってこんなトラブルは初めてのことで、よくわからない」(ケアマネ)

「私の身に何かあった時は、誰が母の代理を引き継いでくれるのか」(私)

「支所に帰って過去の事例を調べてみる、センターには連絡を入れるように伝える」(ケアマネ)

 

 だが「支所には過去に起きたトラブルの記録などはなかった」ということで、

 最後の質問の答えも聞くことは出来なかった。この時にケアマネージャーが

 機能したのは、私達が連絡を待っていることをセンター長へ託ける伝言係りだけだった。

「本社に引き継ぎ直す」と返事を受けたということであったが、それで連絡が入ることはなかった。


『よもやケアマネージャーがここまで当てにならないとは、これでは先が思いやられる』

 迅速さが肝心の初動対応。しかし、その対応のための態勢を作ることに手間取っている。

 そんな状況でした。

 

  プードルのようなおばさん秋旱(あきひでり)

 


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2015年

4月

01日

居宅介護支援事業所の役割

介護サービス利用のトラブルなどで当事者間だけではスムーズな話し合いが難しいような場合、

誰がサポートに入るのか、心もとないことにケアマネージャーがその答えを用意できていない。

支所長に面会を求めて同じ質問をしてみたところ…、

「自分もこの種の相談を受けた経験がないし、支所にも過去の記録はない」と、

回答はケアマネージャーと同様のもので、アドバイスは聞けないままであった。

 

設立してほぼ20年、居宅介護支援だけでも市内に6支所を持つ事業所である。

本部に電話して、以下の内容を質問。

1・

支所には過去にトラブルの事例も相談を受けた経験もないということだが、

各支所で起きた事例をデータとしてまとめるシステムはできていないのか?

事業所全体として各支所の事例をどのように把握しているのか?

2・

自分の身体ケアも困難な要介護4・5という身の上の人がトラブルに見舞われたとして、

頼れる身寄りがいない人、又は当事者同士だけでは話がこじれると予想される場合など

相談を受けたとき事業所としてどう対処するのか?

 

応対に出た広報担当者からの回答。

1・

各支所の事例を集積するシステムはある。ただし集められるのは裁判に発展した場合のみ。

トラブルが起きたとしても、当事者間の話し合いで解決をみたケースはその限りではない。

これまでに裁判沙汰を経験したことがないので、本部には各支所の過去の事例がまだない。

2・

介護サービスの照会から利用の手続きを行うまでが居宅介護支援事業所の役割であって、

(ケアマネージャーの説明通り)トラブルの話し合いや仲介などは仕事の範囲ではない。

地域には自治会があり民生委員もいる。後見人制度もある。

必要なサポートの態勢は社会全体として機能している筈だ。

今後はスタッフがそのように即答できるよう徹底していく。

 

ケアマネージャーは相変わらずデイセンターからの連絡がないと聞くと、

「センター長にそのように伝言をする、それ以降の相談はこの人に」と、

担当の民生委員の名前と電話番号を書いたメモ一枚を置いて帰った。

 

設立して20年、居宅介護支援を市内に6支所。支所長も相談を受けた経験はないと言う。

この事業所は幸運にも、このようなトラブル沙汰とは無縁に運営してこられたというのか。

果たしてそんなことがあり得るのか?

ただ単に関わらないようにしてきただけではないのか?

話を聞いて欲しくても誰からも相手にしてもらえずに、

諦めてしまった人達が今までにもあったのではないのか?

 

私はなんとも釈然としない気持ちでそのメモを見ていました。

 

     なかなかに真底見えぬ秋の川

 


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2015年

4月

11日

民生委員の役割

地区担当の民生委員Tさんと最初に会ったのが介護おむつ支給の申請を依頼した時、

平成25年はちょうど民生委員の3年任期が終了する年である。

 

Tさんは70過ぎ位の女性。

母の状態や介護の様子を聞きながら、自分も姑の介護の経験があるということ。

その時は支給制度どころか、紙おむつそのものがまだ普及していなかったなど、

Tさんの体験も話題に上った。

 

引退したくても、そうもいかないらしい。

次の引き受け手が見つからないとのこと。

「それほど、民生委員の仕事は煩雑で時間を割かれるのですよ」と。

例えば、万引きなどの軽犯罪で地元警察から急に身元引き受けを頼まれたり、

借金の相談、金は貸せないけれど話を聞いたりしていると半日位すぐ過ぎる。

学校の先生との交流会など必須の行事、講習会や研修などもあって…。

 

「御年も御年だし、無理なものは無理と断わられた方がよいのでは」と言う私に対して、

「もっと高齢でも引き受けている人もいる、誰かがやらなければならない事だから」と。

 

「民生委員は介護認定や生活保護など必要な行政サービスが受けられていない人を

 関連機関につなぐのが役割で、介護認定されていることが前提のおむつ申請など、

 本来ケアマネージャーの仕事では」と私。

「そういう話題はしょっちゅう出る、ケアマネージャーから介護関連の事後対応を

 丸投げされることもあって、憤慨する民生委員もいますよ」そんなこともあると。

『正に今回の自分達のケースがそうではないのか…』

 

 痛みが戻ってしまった母はまた動けなくなり、無念を訴えているというのに、

 ケアマネージャーはセンターとの対応や、リハビリの再開についてさえ、

 こちらから話を切り出さない限り、もはや自分から触れようとはしない。

「センターは連絡して来ない、完全に無視されている」と言ってみても、

「センター長に伝言をしておいた」と、その範囲の連絡を繰り返すだけ。

 それが11月末までに、計3回行われることになる。

 

『このケアマネージャーの事業所にトラブルの記録がないのは尤もなことだ』 

 これからのセンターとの交渉を想うと、苛立たしさと不安が増すばかりでした。

 

    もっともっと夕日が欲しい木守柿

 


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2015年

4月

21日

社会福祉協議会へ

今後の展開も読めず、こじれていくかもしれない厄介な交渉の立ち会いや仲介など

無償で活動する民生委員の仕事としては、それこそ範疇外としか思えない。

しかし、ベテランのTさんならば何か参考になる経験談でも聞けるかもしれないと、

相談してみると…。

 

「民生委員地区会長に相談してみる、後日電話する」と返事をされて、

「社会福祉協議会に民生委員児童委員協議会連合会という組織があり、

 民生委員の役員がいる、そこに相談に行きましょう」ということに。

 Tさん、地区会長、私の3人が市の社会福祉協議会まで足を運ぶことになった。

 

 要するに、このような役目は自分の手に余ると思ったTさんは地区会長に話を上げる。

 また、その地区会長が同様に市の連合会まで話を持っていった。ということのようで、

『やはりこんな話、迷惑でしかなかったか』と恐縮するばかりである。

 しかし、民生委員殿各位そのような素振りは微塵も見せず、丁寧に話を聞いてくれて

「最近は次々と色んな形態の通所介護所が出来ている、実情を知っておかないと」と、

 さながら勉強会のような座になっていった。

 

制度自体がまとまっていないところがあるのか、

例えば、介護認定は市の職員やケアマネージャーが市役所介護保険課へ、

介護おむつの支給申請は同じ市役所でも民生委員が健康長寿課へ、など。

介護サービス利用での事後対応も、最後まで責任をもってサポートする

事業所があるかと思えば、民生委員に戻してしまう所もあったりとか…。

 

支援事業所が「仕事の範囲ではない」と言い切る以上、制度上規定がないのかもしれない。

ただ、このケースは専門知識が備わっているとは限らない民生委員には、やはり荷が勝つ。

「代表が弁護士のここならば法律的な知識も聞ける筈だから」と、成年後見人申し立ての

相談などを主な活動内容としている地元のNPOを紹介されるという展開となった。

 

『これは自分達にも無理、という民生委員に対応を丸投げする支援事業所の判断と了見こそが、

 やはり、おかしいのではないのか』私はそこのところがどうしても納得できないままでした。

 

     先生に相談をする一周忌

 


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2015年

5月

01日

制度の規定

事後対応のサポートついては支援事業所の仕事の範疇外として民生委員にでも頼めと言うが、

当事者だけでは話がこじれると予想される場合や専門の知識・経験等が必要な場合もある筈。

事業所として範疇外であっても、この役割は制度の中で引き継がれるべき事ではないのか。

 

デイセンター契約時に受け取った重要事項説明書には苦情対応の受け付け先に、

市の介護保険課、県の国保連合会の記載がある。その他にも相談窓口としては

地域包括支援センター、運営適正化委員会などもある。

この制度について、市の介護保険課にも確認してみた。

 

「話し合いは当事者同士で行い、納得できない場合には裁判をすればよい」

支援事業所と同じ話になり、その当事者間の話し合いのサポートについては

回答が出てこない。「運営適正化委員会に聞いてみろ」ということになった。

そして、それ以降は各相談窓口をたらい回しの如く巡回。という破目になり、

結局、最後は制度にそのものに関わることだからと市役所に戻されることに。

 

改めて応対に出た担当は「支援事業所やケアマネージャーの自らの意志での

仲介やサポートを妨げるものではないが『やれ』と強要できるものでもない、

規定そのものがない、そこまで想定して制度自体が作られてはいない」と。

  

「要介護者が退院後にデイサービスなどの利用が上手くいかず、機能回復訓練が中断したりすると、

 訓練・リハビリ再開を目的に、入院時の回復状況を病院に確認しにくるケアマネージャーがいる」

 後になって総合病院の地域連携室のスタッフから聞かされることである。

 制度上の規定があろうがなかろうが、必要なことは必要と判断し動き出す人もいる。

 自分の役割ではないとケアマネージャーが動きを止めてしまうような支援事業所は

 地域包括支援センターに相談して、直ちに別の所を探すべきなのだ。


しかし、この時の私はとてもそんな発想にはならない。どれ程、無関心を決め込まれても、

これまでの経緯を最もよく知っているのが、他の誰でもないこのケアマネージャーである。


『わだかまりがあっても、交渉が決着するまでは担当を替える訳にもいかない』と、

 ケアマネージャーに対しては経緯の“証人”と存在を割り切り、一線を画し、

 母の介護とセンターとの交渉事を一人で抱え込んでいくことになりました。


       直上といふ逃げ道を雪蛍 

 


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2015年

5月

11日

無料法律相談

第三者を交え一定の誠意の下、センターと話し合いを成立させることが目的である。

別に端から裁判に訴えようという訳でもないし、むしろそんな事態は極力避けたい。

だが、ケアマネージャーの伝言を含め計4回の会談要請、完全に無視を決め込まれ、

未だに本社からもセンター長からも連絡はない。

 

市役所市民相談室の法律相談を申し込んでみた。

時間30分、無料。

話の概要を伝えるだけでも時間が過ぎてしまう。

日本弁護士連合会が高齢者・障がい者のための無料電話法律相談を設けている。

それが各都道府県の弁護士会にもあって、こちらは多少でも時間の融通が利く。

 

ふたつの相談の結果をまとめると、

仮に話し合いを行っても双方折り合いがつかず、

訴えを起こすとなった場合、訴える側に立証責任がある。

母のケースの場合は医療事案ということになるので医学的見地からの立証が必要になる。

いずれにしても専門性の高い分野なので経験のある法律事務所を探して正式に相談をしたほうがよい。

 

「医学的見地からの立証」つまり、立証は医師にしてもらわなければならない、ということである。

 

通院を開始したのはデイセンターから処置を受けて2週間以上経過した後、

医師からは「因果関係については自分の口からは言えない」とされている。

そして、この法律相談を受けたのが更にそれから2か月後。

会談を実現させても最後は「立証しろ」とされれば、今となってはどうようもないのでは、

仲介者はボランティアのような立場でなく、やはり介護制度の中で役割を持っている人間。

そういうきちんとした立場の監督が必要であることは間違いないが、それは期待できない。

 

平成25年12月、母の肉離れで実家に戻って丸一年。

こんなことで気忙しくあちこち問い合わせたり、出向いたりしないといけなくなる師走とは、

 

母にとっては右足の痛みのため、ほとんどベッドに寝たままの一年であった。

肉離れの時はどれ程痛みがあっても、母には回復してまた自分の足で歩くという気力があったけれど、

それがもうない。痛みさえ感じなければ他はどうでもいいというか、疲れて諦めてしまったというか。

 

『とにかく、この状況のままでは正月を迎えられない』

 年末年始の休暇がもう、すぐそこまで迫っていました。 

 

     月光の家目ざましが鳴り止まぬ

 


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2015年

5月

21日

センター長呼び出し

民生委員から紹介されたNPOの活動内容は成年後見人制度に関する事業が

中心ではあるが「介護サービスの質の向上に関する活動」という項目もある。

相談すればスタッフが仲介となり、会談設定のために動いてくれるのだろう。

しかし、そうした方が良いのかどうか…。

 

医学的な因果関係の立証が今更難しいとなると、センター長の医療人としての実意に訴え、

嘘のない記憶を語ってもらうしかない。なんとしても、その環境を作らなければならない。

 

介護制度上の監督から外れた責任の無いのボランティアの仲介がそれにつながるのか。

再三の会談の要請も聞き流されている状況、こちらが身構えている姿を見せるほどに、

却って、先方にも想定問答など責任回避のための準備をさせてしまうだけではないか。

そんなことを考えてしまうのである。

 

 平成25年12月、仕事納めまであと10日ほどと押し迫って、

 午後のサービスの頃合いを見計らい、前ぶれなくセンター長へ呼び出しの電話を掛けた。

「今日仕事が終わったら家によって、どのような経緯になっているのか説明してほしい」

「今日は所用が…」(センター長)

「その所用が終わってからで構わない、何時になっても待っている」(私)

「それならば7時に」センター長は来宅は時間通り来宅した。

 

 母は自室に寝ていて玄関脇の客間にセンター長と私、一対一。

「今日、まだ連絡が入っていないと(私から)聞いて驚いているところだ」(センター長) 

「最初の私の直接依頼とケアマネージャーの伝言で計4回、同じことが繰り返されて、

 今改めて『驚いている』など、端から本気で取り次ぐ気など無いのではないのか?」(私)

「本社にはその都度、連絡の要請を入れていた、本社からかも毎回『連絡を入れる』と

 返答されていたことは確かだが、そこからがいい加減であったと言われれば返す言葉がない」

 

何という子供染みた言い訳。問題としている処置が行われたのが最初の体験利用の日。

どうであれ、翌々日の本利用には通った。状態の悪化がゆっくり進んだことを伝えた。

神妙な面持ちとは裏腹に、端から「相手にする必要なし」と高をくくっているのではないのか。

 

 『いい加減にも程がある』と言ってしまいそうになり、私はこらえる。

 このまだ若いセンター長の気持ちを強張らさせず、実意を引き出して話をさせることが今日の目的。 

 早々に感情的になって雰囲気を緊張させてしまっては、敢えて仲介人なしの座を作った意味がない。

『穏やかに、冷静に』と自分に言い聞かせながら話を進めていきました。 

 

     ポケットの暖 見返れば開戦日

 


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2015年

6月

01日

検証会談

その後、センター長の実務歴がこの時点で7年目であること。センターで起きたトラブル、

その事後処理などは全て社長・副社長に報告して指示を仰ぐ体制になっていることを確認。

 

母の肉離れの患部は往診の医師、パーキンソン入院での整形科医とリハビリの理学療法士、

神経内科主治医、そしてデイサービスセンター長が触診。

センター長だけが別であり、万全でない右足に対して“揉み解し”まで行為が及んだ。

「これが母の主張であるのだが」と私は体験日の事象確認に話を持ち込んでいった。

 

「揉み解し・マッサージなどではなく“評価”だ」とセンター長は主張。

「評価」つまり、筋肉の状態を確認するための診断の類だということ。

体験日にセンター長は母がメニューをこなす度に右大腿部に両手を巻く行為を行っている。

診断の類というなら何故、そう何度も繰り返す必要があったのか?

少なくとも他の医師達の診断はそこまで執拗なものではなかった。

 

「痛みの確認を行っていた」ということらしい。

「痛めた筋肉については“圧迫”を加え痛みの反応を観る、その確認をその都度行っていた、

 しかし“圧迫”は十分に力を加減したもので、患部に負担を掛けるほどではなかった筈だ」と。

 

一方、母が強すぎる力の“揉み解し・マッサージ”と感じ「止めて欲しい」と訴えていたこと、

二日後の本利用日は“圧迫”を受けた箇所について「違和感が出始めている」と母と私双方が

申告したこともきちんと記憶していて、本利用日には右足を触ることはなかったということ。

「(評価の力加減に)伝わり方の違いがあった」そのように言う。

 

ならば「揉み解し」であれ「評価」であれ、センター長自身がそう言うのであれば、

その「伝わり方の違い」が状態悪化の原因となったと考えることになるではないか…。

 

「(2時間予定の本利用は)座位でのゆっくりとした運動を1時間、後は痛みを和らげる為、

 (ソファーベッドで)横になって頂いたりして対応した」とする連絡帳の記載も踏また上、

本利用日には予定のスケジュールが消化できていなかったこと。その確認がとれていたこと。

そして、センター長の処置がその原因となった可能性がある。と同意を得ることができた。

 

センター長は施設責任者として会談設定の尽力が今日までいい加減であったと改めて謝罪。

「責任を持って会談を設定する、必ず連絡を入れる」と約束。 しかし、27日仕事納め。

センターの午後のサービスが終わる頃まで待っても、相変わらず連絡が来ることはありませんでした。

 

   お歳暮が松から来たよ鳶(とび)の笛

 


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2015年

6月

11日

本社、電話会談

 音沙汰無しのまま、仕事納め12月27日午後。

「どういうつもりか」仔細確認の電話を入れる。

「まだ連絡が入っていないのですか?」(センター長)

「『年内に』と約束した段取りもそのままに、正月休みに入るつもりだったのか?」(私)

「連絡を入れると聞かされていた、確認と連絡はこれからしようと思っていました」(センター長)

「いい加減にも程がある」10日前の会談では抑えていた言葉もそのまま言う。

「いつ誰に報告して何と返事されたのか、仕事が終われば経緯を説明に来てもらいたい」(私)

「7時までには必ず」(センター長)

 

時間にセンター長が来ることはなく、その代りに初めて本社長から携帯に連絡が入った。

通話は録音。

この記事書くのにも聞き直してはみたけれど、ばかばかしさは増すばかり。

 

「連絡をするようにとのセンター長からの要請で、電話を掛けさせて頂いております」(社長)

「苦情担当のセンター長に最初に要請をしたのは10月、なぜ今日まで連絡がなかったのか?

 センター長の説明はその都度本『連絡を入れる』と本社から返答された、というものだが」(私)

「悪意は全くない、私達のケアのありようは全てセンター長が礼節をもって説明した筈だ」(社長)

「年内には会談の手筈を整えるとの約束なのだけど」(私)

「その(話の)目的は何なのか?目的がわからない」(社長)

「なぜ会談を要請しているか、改めて聞かないと分からない把握できていないということか?」(私)

「報告は全て受けている、とにかくセンター長がきっちりと説明をしているということである」(社長)

「そもそもなぜ私が会談要請をしているのかを理解できているのか、それ自体がまだなのか?」(私)

「悪意は全くない」(社長)

 

 人を食ったような問答を繰り返すばかりの社長、電話は副社長に引き継がれることに。

 

「この状況は契約書の『迅速かつ適切な苦情対応・誠意をもった協議』に反することになる」(私)

「センター長からは『全て説明して対応は完了した』と報告を受けている、落ち度はない筈、

 それでも話がしたければ本部まで電話してきてもらうようにと伝えた、契約違反などない」(副社長)

「センター長からその報告を受けたというのはいつの時点のことか?」(私)

「最初の電話の時だ」(副社長)

「これまでのセンター長からの説明と全く違う、ケアマネージャーに確認してもらえる、

 その経緯も含めて検証し直すため、センター長も交え会談の座を設定してもらいたい」(私)

「私達はセンター長を全面的に信用している、その必要があるかどうか検証し返事する」(副社長)

 

「お前など、相手にはしていられない」とばかりに切り返してくる副社長。

『この二人はこれで押し切っていけると考えている』そんな印象であった。 

 しかし、ここまであからさまとは…。


この年はこんな締めくくり方で新年を迎えなければならなくなってしまった。

決着のために年内には一定の道筋をつける、それとは全く程遠い状況でした。

 

    短砲のようポケットのカレンダー  

 


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2015年

6月

21日

筋膜損傷

明けて平成26年。

母にとって昨年同様、じっと痛みをこらえて安静にしているだけの正月だった。

私にとってもただ母を介護していたことしか思い出せない正月。

副社長が「返事をする」と言ったがアテにできるのか、無意味な長い待ち時間。

それも終わるとまた病院通いが始まるだけ、そんな意味しかなかった正月休み。

 

デイサービス利用停止後から通い始めた整形医院は個人開業だけど立派な佇まい。

車椅子専用駐車スペースも数台分あるし、完全バリアフリー。リハビリ科もある。

「リハビリ体験でまだ肉離れが治りきっていない右腿を揉まれた。

 そこから痛みも強くなっていった」母は一生懸命に説明をする。

どこかで証言をして欲しい、母にすればそのようなことではない。

とにかく痛みを取り去って欲しい、治療に役立てて欲しいただその一心である。


けれど医者は「自分が立ち会っていた訳でない、因果関係・原因については何とも言えない」と、

骨密度がどうとか、骨粗鬆がどうとかばかりで母の話を聞き直して詳しく確認をしようとしない。

原因が分からない時こそ患者の話を聞き、それを治療に反映させるのが医者の務めの筈なのに…。

 

肉離れの時に往診を頼んだ医師にも診察を受けてみようということになった。

駐車場もなくバリアフリーでもないテナントの医院だけれど、

くどい年寄の話も面倒臭がらずにじっと聞いてくれる先生で、

パーキンソンの神経内科の紹介状もここに頼んだ経緯がある。

 

母はここでも一生懸命に状況を説明する。

「圧迫を受けたことで筋膜が損傷したのだろう」と診断。

「マイクロ波を照射してみてはどうか」と提案があった。

それがどれ程の効果があるものなのか見当もつかないが、

なにより私達の話を聞き、それをもとに診断してもらえたことに救われる思いがあった。

 

医院の前に別の車が止まっていると、隣のスーパーの駐車場から移動しなければならない。

それでもマイクロ波をあててもらいに行こうと、1月は二つの医院を掛け持つことになり、

次第にそちらの方が中心になっていくことに…。

 

本社会談の再要請の返事。

年末年始の休みを挟みひと月程待っても、副社長からの連絡が来る気配はありませんでした。

 

     子守唄ポインセチアは何時眠る

 


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2015年

7月

01日

行政の指導

介護サービスの利用・契約時に渡される重要事項説明書には、

苦情の届け先として最寄り役所の介護保険課の記載があるが、

課の主な仕事は保険料の徴収や介護認定の調査などであって、

事業認可や指導・監督は県の担当部署が一括で処理している。

 

苦情を受けた介護保険課は解決に向けて事業者へ働きかける。それでも改善がない場合に

県の担当部署に届け、県が状況に応じて指導・監督、ときには認可の取り消しなども行う。

ただ、私のところは中核市ということで、市に対し事業者への認可・指導・監督の権限が

県から移譲されていて、介護保険課には事業者への認可が業務に加えられている。

指導や監査などは別に福祉指導監査課が設けられ、部署が分かれているのである。

 

このトラブルになり制度について問い合わせていく中で、知っていったことだった。

 

 今の状況ではセンターには行政指導を入れてもらうほかないと、介護保険課に電話で直訴。

 ケアマネージャーの職責について説明を聞いたときと同じ担当者である。

「かくかく云々の状況で不誠実な契約無視も甚だしくらちが明かない、指導を入れて欲しい」(私)

「いきなり指導とはいかない、まずは状況の確認から始めて…」(介護課)

「行政が認可を与えた業者に対して行政が指導できないのか?」(私)

「“指導”となると権限は指導監査課に移る、介護課としては“お願い”をしていくことになる」(介護課)

 

“お願い”という言葉がじれったく、その指導監査課に電話を繋ぎ直したところ、

「指導監査といっても契約の内容が守られてないなどのことは業務の対象にはならない」(指導課)

 防火設備の設置状況、人員の配置、収容人数の監督などが主な仕事だということ。

「利用者と契約書も交さず保険請求をしている業者があればどうなる?」(私)

「それは指導の対象になる」(指導課)

「契約書は交したが、誠実に履行されない場合は?」(私)

「そうなると介護保険課へ」(指導課)

 

 結局、電話は介護課に戻されて

「利用者側からの一方的な訴えだけではなく、施設側からも説明を求めた上で…」(介護課)

「ならば、まずはこちらの事情確認からお願いしたい」(私)

「何か材料でもあるのか?」(介護課)

「ケアマネージャーも経緯を知っているし、通話記録などもある」(私)

 

そのような流れで介護保険課の担当がその“材料”を確認しに実家に来ることになり、

ようやく問題のあるケースとして指導監査課と連携して対処、という運びとなった。

1月末「介護課からの通達で会談のための時間を一日作ります」とセンター長から電話が来た。


役人とのやり取りで疲れている場合ではないという局面でした。

 

   つぶつぶと目のついてくる蟹グラタン

 


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2015年

7月

11日

センターの駆け引き

 母は「マッサージ・揉み解しは行ってはいない」というセンター長に納得していなくて、

「右腿のコリをほぐす」と言って揉まれたと確信している。

「揉んだ・揉まない」の水掛け論に終わるだけであっても、

 それをセンター長に直接訴えないと、気持ちは収まらない。

 

しかし、センター長は「会談の手筈を整える」と約束をしておきながら、

また、副社長も会談の要請に「返事する」としながら、実行はされない。

加えて、センター長と社長・副社長の言うことは何から何まで違っている。

正反対の発言をしていた者同士が一緒になると、それぞれが何を語るのか、

センター長との間で確認した認識の一致も、取り消されることすら危惧されてくる。

 

ただ無防備に面子だけ揃えて会談に臨んでも、意味のある結果に繋がる筈がない。

センター長にはこれまでの発言の変更などないかどうか、確かめてからでないと、

とても母との面談などさせられない。

 

会談の日程を聞くセンター長に、母がそう要望しているからと、

まずは、当事者同士一対一で母の訴えを聴く時間を作ることを、

本社との会談はその後日を改め設定してもらいたと要請。

センター長は了承。

 

そして、対本社会談の時こそは絶対に立会人が必要と思われた。

それにしても、なぜ介護制度ではその役割が用意されていないのか。

どうしても考えてしまうけれど、一人でそれを蒸し返しても空しく、

立会人の用意にはやはり、民生委員から教えられたNPOへ相談に出向くしかないのだろう…と。

 

まずは現時点での認識確認。センター長が 検証会談 で話した事柄を文書にまとめ、

その日を待った。そして母との面談日、来宅したセンター長は一人ではなかった。

弁護士でも連れてきたのかと思ったがそうではない。一緒にいるのは社長である。

今回は行政の口添えということもあり、打合わせ以外の展開が全く頭になかった。

不意を突かれたような感じである。

 

『気を入れ直さないと』そう自分に言い聞かせていました。

 

    ひとつずつ挨拶に来る柚子湯の柚

 


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2015年

7月

21日

認識変更なし

話の食い違い センター長 本社
会談の要請

計4回の要請、本社からはその都度

「連絡をする」と返事されていた。

センター長からは最初の要請の段階で、

説明を完了させたと報告を受けたので、

話がしたいなら、利用者(私)の方から

電話させるよう伝えた。

センター長の処置

本利用日は体験日と同じ運動が

出来なかったことを確認。

その後に状態の回復がないのなら、

自分の処置に原因の可能性がある。

センター長からは「処置に問題はない・

解決済み」と報告されている。

センター長を信じている。

これだけ真逆のことを言ってきたセンター長と社長が二人揃って目の前にいる。

そのセンター長に対してすら「納得できないことがある」と母が待機している。

母は母なりの決着をつける必要があり、そのための当事者同士の会談日である。

立会人はつけていない。

 

まずは、私がセンター長から認識の変更がないかどうか確認をとる。

本社との通話も再生して見解を求める。その上で母との対談に移る。

そういう段取り。

 

「打ち合わせ通り、本社会談は日改めということで」と私。

「せっかく時間をつくって来たのだから」食い下がる社長。

 多少の悶着があったとしても、ここは押し切られてはいけない。

 センター長だけを招き入れ、予定通り1か月半前の 検証会談 の確認に取り掛かった。

 時間効率を考え、あらかじめ内容をまとめた文書での確認である。

 

「これについては(今も変わらず同じ認識で)その通りです」(センター長)

「前年中の会談の手筈についての約束は何だったのか、これで5回目ということになる」(私)

「それについては、そう言われても仕方ないと思っています」(センター長)

「今日の会談も実現のためには、行政への訴えが必要だった」(私)

「副社長からは年明けに(私から)電話を掛けてもらうことになったと言われました」(センター長)

 

 また本社と違うことを言い出す。一方で認識の変更はないらしい。

 ここで社長・副社長との 通話 を再生。じっと聴き入るセンター長。

 

「貴方と本社の話は何から何まで全く違う、貴方にどこか嘘があるのか?」(私)

「自分は嘘は吐いていない、社長・副社長の発言が理解できない」(センター長)

「そう思うのならば、それを本社に問い正すことも責任者としての務めではないか」(私)

「ぜひとも、社長同席で話をして欲しい、どこかで待機している筈なので」(センター長)

  

 門前払いの社長がどこかで焦れているのか、センター長の携帯から頻繁に振動音が鳴り出した。

 携帯を気にしながらも話ぶりなどは前回の会談と比べ、幾分落ち着いているような印象である。

『見解のすり合わせもせずに、この二人が揃って来る筈がない』

 そう思いながら、私はほぼ4か月ぶりに車椅子の母をセンター長に引き合わせました。

 

     落つることなかれ夕日の流れ凧

 


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2015年

8月

01日

母の無念

対談にあたって、私が母に念を押しておいたこと、

センター長の母への処置について固執しすぎてはいけない。

「揉んだ・揉まない」の水掛け論にしかならないからと、

そのことよりも、それ以降のセンターの対応を問う形で話を進めるべきだと。

 

そして、いざ蓋を空け話し出すと母は抑えていたものが噴き出すかのように

センター長の「評価」だとする説明に逐一反応し、全く予想通りの水掛け論。

 

結局はセンターの事後対応を問うのは私の役割となってしまう。

施設の責任者としてこの件に対しどう対処するべきと考えるか、との私の問いに、

医師の診断書の提出をもって賠償の手続きに入る用意があると。

 

それにしてもセンター長の携帯の振動音がよく鳴る。

センター長は着信を確認するだけで出ることはない。

掛けてきているのはやはり、門前払いの社長なのか。

センター長と私が二人だけで話をしているということが気が気ではないのだろう。

 

センター長においてはこれまでの認識も変更はなく、食い違っている本社との見解についても

「(本社が)何故このようなことを言っているのか解らない、自分に嘘はない」と言い切った。

その上で「社長とも直接話して欲しい」と言う。

 

本社会談は後日設定の約束だからと、日を改め立会人をつけたとしても、

その“後日”には、この発言をするセンター長を本社はもう同席させないかもしれない。

説明の食い違いを直接正すのは、この発言を聞いた今日がその機会なのかもしれない。

 

立会人はいないが二人が揃っている今日、本社との会談も済ませてしまうか、

センター長同席が不確定でも、予定通り後日設定にして立会人を準備するか、

そんなことを考えながらの対談の付添いであった。

 

利用後4か月以上経って、ようやく母は自分の無念を訴え、相手の主張も確認した。

「“評価”として(力の)感じ方・捉え方の違いがあった」という説明。

謝罪もない。未だに痛みも引かずリハビリ再開の目途もついていない。

それでも「保険会社に引き継ぐ」という言葉を受け「後の事はきちんと頼みますよ」

母はそう念を押し、矛を収めようとしているようだった。

 

「今日このまま社長とも話をさせてもらいたい」

車椅子の母を自室に戻し、私はセンター長にそう伝えました。

 

    女が釘を打って煮つまる新小豆

 


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2015年

8月

11日

社長対面

社長から会社の方針を伝えられるという形で始まった社長・センター長・私の三者会談。

強い力で揉まれたという母の訴え、診断・触診の類の“評価”であったというセンター長。  

「それでもセンター長とは、ここまでは認識が一致できている」と確認文書を見せても、

そもそもこの社長、双方の言い分を客観的に聴こうとする姿勢が根本的に欠落している。


「センター長の評価行為で利用者の身体に負担が掛かるなど考えられない、

 賠償の手続きには診断書にセンターの処置が原因との明記が必要になる」(社長)

「自分の責任については0とは言えないが、100とも言い切れないと思っている、

 手続きの中で保険会社に何か聞かれれば、ここで話した事はそのまま伝える」(センター長)

 

社長は現場を見ていたわけでも、立ち会っていたわけでもないのに、

母の主張には全く耳を貸さず、“評価”という前提でしか話をしない。

そして、診断書に因果関係の明記を求めてくる。

センター長も又、認めるのは責任の“可能性”までで過失を断定するまではいかない。

 

「自分は現場で観ていた訳ではない、原因については何とも言えない」という

立場の医師が診断書への因果関係の記載などに易々と応じるとは考えにくい。

まして利用日から4か月以上も経過してからの、そんな条件は不条理というほかない。

会談要請が無視され続け、役所への直訴がないとその方針が聞けなかったのは何故か。

 

それを確認しなければならない事態であったからこそ、立会人がいなくても

確実に二人揃っているこの日に予定を変更してまで社長と対面したのである。

 

「連絡を入れてもらうように伝え、待っていた」悪びれもせず自分の正当性を言う社長を前に、

「違う」と社長不在では断言していたセンター長も、口をつぐみ何も言わなくなってしまう。

「大切なことではないか、答えてもらいたい」と言う私に、社長もそのことを正すどころか、

「それは論点が違う、問題の解決にならない」と割って入り、逆に話を反らそうとしてくる。

『迅速かつ適切な苦情対応・誠意をもった協議』などの契約書の文言はこのセンターにとって、

もはや飾りというほかなく、センター長の発言の一貫性もここで崩れ始める。

「その時点で(本社から)どう言われていたかはわからない、憶えていない」

 

そこからの社長は早く切り上げて帰ろうとするだけ、

センター長は保険会社に引き継ぐからと、その場を収めようとするだけ、

協議の要請が無視され続けた理由については、結局煙に巻かれたままで、

全く陳腐な顛末で会談を終えることになってしまった。

 

『仲介人無しにこのセンターの誠意は引き出せない、最初に直感した通りであったが…

 今更それを確かめることに何の意味がある、この数か月奔走してきたのは何のためだったのか』

 要素が重なったこととはいえ、直前でブレたことへの自問と疲労感だけが虚しく残っていました。

 

    わが脳のような音する柚子湯の柚

 


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2015年

8月

21日

賠償の手続き

 因果関係明記の診断書の提出という条件、それが頭を支配し、

 会談の夜はまんじりともせずに明かすはめになってしまった。

 

『やはり、立会人もいない中での社長会談は判断ミスであったか』

『しかし「予定外だから出直せ」と言って門前払いのまま帰して

 「はい分かりました」と素直に言うことを聞く相手とも思えない』

『役所に直訴し直しても「義務は果たした面会を拒否したのは先方だ」と、

 つっぱねられたりすると、もっと面倒なことになっていたかもしれない…』

 

 翌日、副社長から電話が入る。

 会談要請の空返事のことなど、了見を確認しようとするも

「もう何を話しても平行線だから」と取り合おうとしない。 

「保険会社に取り次いだ、連絡が入るから待機するように」

 副社長はそれだけ言って、一方的に通話を終了させた。

 しかし、2月に入り一週間経ってもそんな連絡など来ない。

「また空返事だったのか?」こちらから催促をする羽目に。

 昨年のセンター長とのやりとりをそのまま再現しているかのようである。

 

 連絡があったのは保険代理店からで、

「現在、保険会社とセンターとの間でこの賠償の対応について協議・検討中」とのこと。

 その「協議・検討中」とはセンターがこの交渉の窓口に代理人を準備していることだと、

 2月も2週目に入った頃、その弁護士だと名乗る男性からの電話で判明する。

 

「保険会社の担当者が連絡をしてくる筈ではないのか…」と面を喰らっていると、

「これは交通事故の示談などとは違い、保険会社は示談交渉権を持たない、

 契約者(センター)が手続き上、保険会社とやりとりすることはあるが、

 保険会社が対外的な(私との)窓口になることはない、

 弁護士としての自分は法的な観点からアドバイスをし、

 賠償責任があるかどうかは会社(センター)が判断する」

 社長・副社長からもセンター長からも無かった、その時初めて聞かされる話であった。 

 誰も知らないまま運営していたのか、知っていながらわざと適当に応対していたのか、

 今日までの時間の浪費が忌々しくて、やりきれない気持ちになる。

 

 聞いていくと、この弁護士が代理人を受任したのは2月に入って早々で、

 もう既に、センター長からは事情の聞き取りも済ませているということ。

 つまり、副社長が私と電話で話している時点ではセンターのこの方針で、

 準備を進めていた最中だったということになる。

 

『それならそうと利用者・契約者のこちらには一言断った上で、というのが筋ではないのか』

『やはり、空返事でかわされていたのだ』と、ただ苦々しさが込みあげてくるばかりでした。

 

     法の庭女の影にいもり浮く

 


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2015年

9月

01日

デイサービス代理人

そもそも、なぜここに来て交渉窓口に弁護士を準備する必要があるのか。

双方の認識を確認し合い、その一致・不一致も踏まえた上でセンターは

因果関係記載の診断書が届くのを待っていればよい筈ではなかったのか。

 

 大まかな経緯を話すと弁護士は「確認はさせてもらう」としながらも

「それは自分が聞いている話とは違う、現時点で賠償に応じることはできない。

 とにかく、診断書を提出するように、判断はその内容次第ということになる。

 今後の交渉の進め方については書面で通知するので待つように」と。

 

弁護士は社長のように診断書へ因果関係の記載など要求をしなかった。

責任ついても、認識が一致することもあったとは聞いていないという。

センター長に直接訴えることから始まったこの話。

センター長から本社へ、本社から代理人の弁護士へ、ここでもまた話はそのまま伝わっていない。

つまり、そのままの話で進めて行くつもりがないが故に、弁護士を代理人に立ててきた訳なのか。

 

社長から出された条件だけでさえも頭が一杯だったのに、

何の前触れもなく弁護士だと名乗る人物から電話が来て、

また違う話で「文書を送付するから待っておけ」と言われても、

ただじっと待っているという気分でいられる訳などなく…

 

損害賠償保険というもの弁護士の説明が唯一の形なのか、他にも違った形もあるのか、

自分でも確かめてみようと、代理店から聞いた保険会社の担当部署に電話してみると、

「担当者が不在なので折り返し連絡し直す」と言われ、

電話を返してきたのは“担当者”ではなく、この弁護士。

 

「私が交渉の窓口になると伝えた筈、あなたのやっていることはルール違反だ」(代理人)

「ルール違反とは?」(私)

「民法が認める法制度の下、私は代理人に立っている、話は全て代理人を通すのが筋だ」(代理人)

「自分なりに確認したいことがあり、伝えられた場所に電話をして聞こうとした訳だが」(私)

「昨日の伝えたことを憶えているか?憶えているなら言ってみてもらえるか」(代理人)

「言い直せと…」(私)

「書面で通知するから待つようにと伝えたら『分かった』と返事をした筈だ」(代理人)

「きちんと待っている、待ちながら自分なりに問い合わせをしているだけだ」(私)

「本件に関することは全てこちらが窓口である、よくわきまえておくように」(代理人)

 

こちらも思わず言葉に詰まってしまう程、この代理人の剣幕は鋭く高圧的であった。

これが母自身に、弱気になっている高齢者に直接向けられていた事であったならば

何かを訴えようとする気力など間違いなく萎えしぼんでしまっていたことであろう。

 

そして、もはや関係先には全てこの代理人の手が回ってしまっているようで、

以後、どこに何を問い合わせても「聞きたいことがあるのなら私に言え」と、

電話を掛け直してくるのはこの代理人。

自分で何かを確認するなどは一切できなくなってしまいます。

 

程なく、これまでのセンター側との会談で認識一致ができていた事柄までを全て打ち消す趣旨の

内容証明郵便がこの代理人の法律事務所から送付されてくることになりました。

 

     体内の闇も真白か雪だるま

 


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2015年

9月

11日

内容証明通知書

5枚綴りの通知書。

電話で告げられた通り、賠償の請求は了解できないと最初に述べられており。

次に、センター側がその結論に至るまでの理由が続いている。

 

<センター長が母に施した措置について>

センター長が体験利用日に実施した措置は、問診・触診であり、揉みほぐし・マッサージではない。

その上で、短時間ずつ備え付け器具で体験リハビリを実施したが、その日は終始異常はなかったし、

2日後の本利用日においても格段変わった様子はなかった。

母の右大腿部は膝関節症や筋肉の硬直が原因で、体験日の時点で既に運動痛・圧痛の訴えがあり、

慣れない運動により筋肉が張り一時的な痛みが出たとしても、そのことまで不手際とは言えない。

 

<センター長が社長と共に自分の責任の可能性を認めたことについて>

自分(センター長)には非がないとの認識に(私達から)納得が得られず、

母との対談では「揉んだ・揉まない」の水掛け論となってしまい、会談も長引いて、

やむを得ず「自分の処置が原因の可能性がないとは言えない」と述べたものである。

そのような経緯で代表(社長)は診断書の提出をもって第三者の判断を仰ぎ、

医学的見地からセンター長の過失が認められれば、誠実に対応すると答えた。

 

というもの。

太字がセンター長との確認作業から事実から確信的に話が変えられてしまっている部分である。

 検証会談 の記録が本来の経緯であり、次の会談日にも 認識変更無し の確認は先ず最初に行った。

会談が長引いたのはその日は予定になかった社長との合流が途中からあり、

その社長がそれまでに交した確認事項も取り合わず、私の質問にも真摯に答えず、

「診断書への因果関係の記載」という一点張りの条件を譲らなかったからである。


本利用日においても格段変わった様子はなかった」で押し通していくというのならば、

その本利用日の記録「ゆっくりとした座位での運動が1時間、残り時間は痛みを和らげる為、

横になって頂いたりして対応した」とある連絡帳の内容との整合性はどう考えればよいのか。


それが体験日の状態としても認識され、そんな人間にロウイングマシンなど体に負荷の掛かる

器具でリハビリを何種類も体験させ、2日後からの実質2時間メニューの契約を交わしたのか。

だとすると、逆にそちらの方がリハビリセンターとして問題があるのではないか。

センター長はこの連絡帳も確認の上で責任の可能性を認めたのではなかったのか。

 

回復を願い信じて自分の体を託した母を愚弄するかのようなすり替え話である。

それを弁護士を介した内容証明という形で突き返されることになってしまった。

 

センター側が文字と書面で残こした物を並べてみただけでも明らかな矛盾がある。

これをどの様な形で提示していけば相手側にこちらの正当性を認めさせられるか。

私は医師への診断書の依頼と共に、医療事案を手掛けた経験のある法律事務所を

探す作業に取り掛かりました。

 

     一枚の踏み絵の如し雪残る

 


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2015年

9月

21日

医療過誤法律相談

県の弁護士会のHP取扱分野「医療事故・患者側」の一覧から

順番に事務所を問い合わせゆき、弁護士選びに取り掛かかった。

そして、県内でも医療事案の取扱が最も豊富な筈だという事務所に

2週間程の待ちで、相談日は3月に入ってからの予約となった。

料金は初回1時間5000円、2回目以降は30分5000円。

 

センター側のこれまでの発言は重要であるが、それを覆してきているので、

それ以外の“材料”としてはカルテの写し・診療明細。

本利用日にセンター側スタッフが書き残した連絡帳。

そして、代理人が送付した通知書そのものである。

 

この連絡帳と通知書の内容を整理すると、

二日後も「格段変わった様子がなかった」とする通知書における発言には矛盾が出る。

その時点で既に状態悪化の兆候は出始めていたと観るのが然るべき解釈となり、

そこから状態の回復がない前提で、責任の可能性を認めていた以前までの発言こそが

施設責任者としての当然の見識であった。以上の主張を成立させてもらいたい。 

 

その相談の結果…。

このデイサービスセンターが不誠実な施設であり、センター長は理学療法士としての見識が低く

自分の言葉に責任を持たない人間で、提供されたサービスが粗悪であった。そう証明することと、

そのセンター長の措置によって、母の右大腿部の状態が悪化したと証明するのは別の作業になる。

 

提示する診療記録の範囲では責任は認められない、として賠償を拒否された場合、

裁判に持ち込むのか、となれば費用回収のことも含めて態度を決める必要があり、

損害賠償を勝ち取るには訴える側に施設側の落ち度によって状態が悪化したとの

医学的見地に基づく立証責任が求められる。

 

“医学的見地に基づく立証責任”とは医師の残した診療記録での医師による証明ということである。

つまり、“痛み”とあっても右大腿部との関連性も不明な連絡帳のメモ書き程度のものは、

医学的な立証の“材料“足り得ない。最終的には当事者の証言に頼らなければならない部分があって、

内容証明でそれを否定してきている以上、結局は裁判所に責任を認めさせるまでには至らない。

 

 弁護士は理路整然と淡々と分析を述べてゆく。

 そして「裁判はやってみなければ分からないが」と前置きした上で、

「通常の民事裁判の勝訴率は7割程あるが、医療事案となると2~3割に勝訴率が落ちる」

「ハードルが高く立証が難しいのです」と。

 

武装した装甲車に竹槍で風穴を開けようとしてジタバタしている、そんな状況なのだろうと。

五十路を超えて、それなりに世間も人の二面性も見てきて自分でも解っていた。

だが「理不尽」という感情が自分をジタバタさせている、そう思っていました。

 

    貨車見たし枯野にたぎるもの見たし

 


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2015年

10月

01日

診断書提出

法律相談での診断書についての説明は「医者というもの、滅多なことで診断書に症状の

因果関係などは書かない、規模の大きな病院になるほど書かない」ということであった。

 

また、交通事故での事案なども話題に出て…。

人身事故としてきちんと処理され、救急車で搬送され事故直後の医師の診察記録が残されていても

日にちをおいて現れるむち打ち症などは、示談交渉となると保険会社が「因果関係不明」とゴネて、

保険金を出し渋り、揉めることがある。特に高齢者は「加齢のせい」とされ、厄介な立証を迫られる。

 

交通事故ではない私達の交渉相手は保険会社ではなく、センターそのものであるが、

リハビリセンターといってもデイサービスは正規の医療機関ではないので、

センターの残した記録がよほど確かなものでない限り裁判所に認めさせる

立証材料としては採用されず、誠意がない施設との交渉は全く無残なことにしかならない。

 

当初、社長が出した賠償のための条件は「センター長の処置が原因」と

明記された診断書を提出することであったが、そうなってくると患者は、

その要望に応じてくれる医者を探すことから始めなければならなくなる。

 

「この病院は診断書に因果関係も書いてくれますか」と聞いて通院先を探して回れというのか。

まして、再三の検証会談の要請も無視し、利用日から何か月も経ってからの挙句のことである。

そして、今となって代理人を立ててきて肝心の確認事項を否定した上で責任の有無については

第三者の医学的検証をもって判断すると、更にハードルを上げてきている。

 

この社長、公開されているプロフィールを見ると通所介護事業の展開だけでなく、

医療関連団体の教育顧問や理事なども歴任し、講演活動も行ったりするいわゆる

医療人ということになるらしいが、そうであるならば私が法律相談で教えられた

医療事情なども熟知した上での諸々の対応であったということになるのか。

 

通院については整形医院を2か所掛け持ちしていて、

最初に受診した医者は「現場も見ていない自分が因果関係など言えない」と、

診断書も「右大腿部痛」と症状を伝える範囲のものでしかない。

 

筋膜損傷の診断でマイクロ波治療を勧められて、年明けから通い始めた

整形医院からも依頼してあった診断書が法律相談後、書きあがってきた。

こちらの方は以外な程あっさりと因果関係の記載に応じてもらえて、

問診時の母の説明内容が律儀すぎる位にもうそのまま書かれてある。

「強い力でマッサージを受けたため筋膜が避けた」

 

2通の診断書を並べて見て、医者によってこうも違いが出るものかと…。

代理人が出てきて話を変えられてなければ条件が整ったことになるが…。

 

私はふたつの整形医院の診療明細を通院記録として、診断書は

因果関係記載入りのものを代理人法律事務所充に提出しました。

 

      春雨や貨車の一つに人の顔

 


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2015年

10月

11日

代理人としての役割

この様な展開になってくると、どういう内容の診断書を確保できたかということではなく、

状態悪化が体験日直後に始まったと、立証を迫られている状況の口惜しさが頭を支配する。

 

当初から、それが困難であるという思いがあったからこそ、

誠意を見せないセンターを相手に苦心して会談を執り行い、

ようやく取り付けた当事者・センター長との認識の一致を

間違いなく交渉に反映させていくことが私の役割だった筈。

 

思えば、センター長においては最初の会談要請の時点から、

通り一遍等適当な苦情対応を繰り返した事。

年内には会談を設定すると直接約束した事。

当事者同士一対一で、母の言い分を聞く日を設けると了解した事。

何ひとつまともに実行された事はなかった。

会談が無視されてきた経緯についても、社長同席となると「憶えていない」と

つい今しがたの発言まで翻しシラを切り出す始末で、施設の管理責任はおろか、

その“責任”の意味すら、何も解っていない30歳に届かないただの若造だった。

 

「自分の過失については0ではないかもしれないが、(診断書が出ていない)現時点では

 100とも言えない、ここで(私に)話した事をそのまま尊重し、保険会社に引き継ぐ」

 私はこのセンター長の言葉をアテにするという形で会談を終えてしまった。

 その事自体に甘さがあった。これが仕事で与えられた役割だったとしたら、

 担当を降ろされても仕方ないほどの大失態ということになる。

 

 センターが非を認めるということは、苦情対応を無視した契約違反の問題が

 同時に発生することになる。所詮、何をしても最終的には代理人を立てられ

「発言は本意でなかった」と返され、結果は同じことであったかもしれない。

  

しかし、同じ不本意な結末でもやるべきことを全てやり尽くして出される結果と、

やれることがまだあるのに、やらないまま突き付けられる結果では自分にとって

後の意味合いが全く違うものになってしまう。 

  

 会談を終えるにあたっては覚書の一枚でも交しておくべきであったし、更に言えば

 

「センター長と母とを一対一で…」などと悠長なことを言っている暇にも立会人を

 準備し、自分の発言にもっと責任を持たせる環境をまずは造っておくべきであった。

  

代理人からは体験日以降の傷害の状況把握が、提出された診断書では不足だとして、

診断の内容を医師から直接確認する医療調査のための同意を求められることになる。

  

弁護士という国家資格を持ったプロの代理人によって、私達はセンターに不利益な

存在として徹底的に排除されていく。そして、私は母の代理としていかに不満足で

中途半端なことしか出来ていなかったかを思い知らされていく。そんな顛末だった。

 

      春雪に小鳥がこぼす白い息

 


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2015年

10月

21日

ケアマネージャー交代

母の回復は遅々としたもので、肉離れの時よりも手間取っているようであった。

誰かが側についていなければならない状況が変わらずあり、介護の負担も続く。

 

リハビリを切り離して考えても、デイサービスは様々だし、

ショートステイなども活用すればよさそうなものであるが、

『また同じ事が起きれば…』そう思うと、やはり二の足を踏む。

何より体に痛みがあるためか、起床時間もまた不定期になって

決まった日程を組むこと自体にもまだ無理があった。

 

母が警戒なく体を触らせるのは、家族と気を許す医者位のもので

「初めて名前を聞くようなデイサービスなんて、もうまっぴら」

そんな風になってしまっていた。

 

ケアマネージャーはといえば、交渉の現状について自分から切り出すことはもう一切ない。

私とすれば、そこのところに不信感があり、もはや何かを相談しようという気になれない。

しかしセンターを紹介し手続きを行い、経緯を直に見てきた唯一の人間となると、

交渉が決着するまでは担当を替える訳にもいかない。そんな行き詰まりもあった。

もっとも不信感ということになると、介護制度そのものにもある。

 

センターとの仲介や立会のことで、制度上見当たる限りの窓口に問い合わせてきたが、

この相談を自分の役割として聴き、対応しようとする人間は誰一人としていなかった。

その度に「責任はないのか」と食い下がらなければならないことにストレスを感じた。

 

『下らない時間を過ごしている、いい加減早く終わらせたい』

 社長会談の時も、そんな辟易する気持ちが抑えられずにいた。

 雑になっていく自分が修正できず、詰にも甘さが出て自責の要素ばかりが増すことになっていった。

 

 そんな折にケアマネージャーから「別の支所に移動になった」と報告が来た。

 市内6か所に支所を持つ事業所、数年に一度は移動の辞令が出るということ。

 言葉を失いかけたのはこの次である。

「この際、うちは辞めて別の事業所に変えて頂いたらどうでしょうか」

 

こんなトラブルを抱えている私達は事業所にとっても迷惑な存在でしかないということか。

よもや事業所の方から担当を降りたいと言われるとは、これもまた予想外のことであった。

 

「センターとはまだ交渉中で、別の事業所を探す余裕などはない

 交渉が決着するまではそちらに担当をお願いしていくつもりだ

 これまでの経緯説明に手間を掛けなくても済むように

 後任を決め、引き継ぎを完了させておいてもらいたい」

 

年度変わりの4月になる。最初にセンターに会談の要請を入れてから半年が過ぎていた。

 

     発つ雁にもの言うてただ半端なる

 


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2015年

11月

01日

事業所選びの条件

新担当ケアマネージャーの引き継ぎとなった。

旧担当は副主任という肩書があったが新担当には特にそういうものはない。

年齢は私と同じ位かもう少し上かという感じであるが、よくは分からない。

ジャージ服の二人のふくよかな後姿は見分けがつかない程よく似ているが、

似ているのは体型だけで話をした印象は少し違うものがあった。

 

これまでのケアマネージャーはこちらが何か話し出すと、その話が終わる間もなく、

「こういうことですね」と早々に内容をまとめ直し、自分なりの理解を伝えてくる。

言葉が的を得たものならば何も言うことはないのだが、どこか少しズレていたり、

ニュアンスが違っていたりすると「そうではなくて…」と話直す必要に迫られる。

それがどうにも噛み合わずに問答合戦になっていき…、ということも間々あった。

 

それに対し、新担当はそれが自分の役割として聞くべきテーマであろうとなかろうと、

こちらの話が終わるまでは顔を見てうなずきながら、とにかくじっと聴き続けている。

そして、内容が自分の裁量のことではないと思う時は

「それは困りましたねえ、どうしましょうか」と言う。

 

これは母が右大腿部治療に通った二人の整形医の話の聞き方の違いに似ている。

こちらが話をしている時と聞いている時の時間比がまるで逆になるとさえ思う。

話の聞き方だけで信頼関係ができる訳でもないが、この新担当の人柄が幸いしたか

母は比較的、抵抗感なく今回のケアマネージャーの交代を受け入れたようであった。

人間的にも相性が合い、信頼の持てる人ならば長く担当を続けて欲しいものであるが、

定期的に担当替えを行う方針の事業所に対しては、そのようなことは望むべくもない。

 

要介護認定を受け、民間の居宅介護支援事業所でケアマネージャーを決め直すとなったとき、

ズラッと並ぶ事業所の一覧を見せられ「この中から一つを選べ」と言われた。判断もつかず

「不都合があっても文句は言わないから」と、それまで担当だった地域包括支援センターの

ケアマネージャーに選んでもらったのが市内でも老舗で支所展開も堅実なこの事業所だった。

 

「要介護者が退院後にデイサービスなどの利用が上手くいかず、機能回復訓練まで中断したりすると、

 訓練・リハビリの再開を目的に、入院時の回復状況を病院に確認しにくるケアマネージャーもいる」

 病院の地域連携室のスタッフはそう話した。

 

ケアマネージャーの事業所を選ぶ場合には、

1・移動や転勤がどの程度の割合で行われるのか、その頻度。

2・利用者の立場や状況に応じ、制度規定の枠に捉われずに、

  柔軟で臨機応変な調整を行うことについての理念と方針

今の自分ならば、その位のことは確かめるであろう。

 

センターとのこれまでのやりとりに直に関わった人間を自分の手元から引き離された。

この時の私にとっては、そんな意味も残る後味の悪いケアマネージャーの交代あった。

 

    春陰のやどかりが居るポリバケツ

 


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2015年

11月

11日

医療調査同意書

4月に入り、医療調査のための同意書が送付されてきた。

発送主は損保会社で「代理人からの指示のため」とされている。

損保会社が直接、医院に出向いて治療の経緯を確認するようだ。

これについては、センター代理人から事前に通告を受けていた。

  

こちらも傷害を負ったとして賠償を要求している以上、医療調査自体やぶさかではない。しかし、

それが話をすり替えたことによって必要の出る調査となってくると、そうはすんなりといかない。

 

問題にしているのは体験日に受けた処置であって、二日後の本利用日には状態悪化の

兆しが出始めていたとセンター長から同意を取り付け、それを前提に話を進めてきた。

しかし、センターは代理人を立て、これまで認めてきたことも全て取り消し、

「本利用日にも、格段変わった様子はなかった。全く非はない」と主張する。

そして、提出した診断書等では体験日以降の傷害の状況把握が不足だと言う。

そこで、こちらの主張の真偽を確認したいと、調査を要求してきた訳である。

 

医療調査の拒否は交渉の終了を意味することになるが、同意したところで、

体験日直後から状態の悪化が始まっていたと、医学的に確認されなければ、

裁判であれ医療調査であれ、こちらの訴えは退けられると考えなければならない。

つまり、センター長との合意を反故にされたままの交渉は続けても無意味なのだ

 

通所介護デイサービスとはいえ、理学療法士が管理責任を務めるリハビリセンター。

信用して体を任せ、証言を得た。それを自分達自身が書き残した連絡帳の記述とも

矛盾するような話で、いともアッサリと合意を反故にし、事実は正規医療機関への

調査で確認させろとは、医療人として風上にも置けない者ども、これ程、

人を馬鹿にしたようなことがあるか、到底受け入れられるものではない。

 

弁護士を介しての発言を取り消すなどは「自分は嘘を吐いていました」と

公に認めるようなもので、余程の事でもない限りあり得ることではないが、

だが人のすること、その未来に”絶対”というものはない。どれ程、微々たる可能性であっても

今後、センターに発言を修正させるための思いがけない展開が”絶対”にないとは言い切れない。

 

今、同意書を提出せずに賠償を拒否されても、諦めずに好機を伺い、

もし、それが訪れたならば、またその時に話を再開すればよいのだ。

 

医療調査拒否の意志はその理由と共に、口頭ではなく文書できちんと伝えよう。

そして、可能性の如何に関わらず、やれると思うことは全てやって事を終える。 

社長会談の時のような後悔だけは、もう繰り返したくなかった。

 

     青芝に起てばよろけて流人めく

 


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2015年

11月

21日

センターへの意見・要望

「賠償には応じられない」とする通知書の内容などは、私は母に詳しくは話してこなかった。

「代理人や保険会社がアレコレ細かなことを聞いてきている」そんな風に言葉を濁してきた。

 

昭和2年生まれの母、通知書を送り着けられた時点で満86歳。 

未だに右腿の痛みに苛まれ続け、リハビリの再開は目途は立っていない。 

しかし、最後はセンター長の言葉を信用することで矛を収めようとした。

この状況で、愚弄されるかのような合意の反故をどのように受け取るか。

心中おもんぱかると、どうにも詳細までは話きれずにきてしまった。

 

しかし、きちんと話さなければならない。

医療調査を同意するかどうか、回答するのはあくまで当事者の母自身である。

私は自分がセンター側から直接確認をとったことを順を追って書いていった。

 

・体験日当日、母はセンター長から施される処置が自分の右足にとって、

 負担の強すぎるマッサージと感知して「止めて欲しい」と頼んだこと。

・それに対し、センター長は「右足は強くなってきているがコリがある、

 大丈夫だ」と説明したこと。体験の度にその処置が繰り返されたこと。

・その結果、二日後の本利用日は通所をして運動をしようとしたものの、

 右足が痛み始めていたことが原因で、時間の大半をソファーベッドで

 横になって過ごすことになったこと。

(付き添っていない本利用日については、母の話に添った内容で書いた)

・以上の経緯についてセンター長も同じ認識で、確認がとれていること。

・その結果、センター長は責任について自分の処置にその可能性があると認めたこと。

・その前提で、社長は因果関係明記の診断書の提出を条件に賠償に応じるとしたこと。

 

これらの事実と合意が撤回された前提での医療調査には同意は出来ない。

医師が在駐していないとはいえ介護保険制度の元、リハビリという医療行為の

一端を担う立場として、自らの行動と発言に対しては責任を持ってもらいたい。

 

そのような主旨で「意見・要望書」としてまとめ、通知書受理以降の経緯を万事、

母に説明し「これを内容証明の形でセンターに送ろうと思うのだが」と提案した。

「それでいい、私名義で送っておいて」母は噛みしめるようにそう言って、了承してくれた。

 

そして、それから二週間程経って予想していた通り、賠償拒否を

伝える回答書がセンター代理人から送付されてくる運びとなった。

 

      春炬燵精彩を欠く猫パンチ

 


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2015年

12月

01日

センターからの回答

センターからの回答書は医療調査を求めた理由を述べることで始まっている。

 

<医療機関へ調査を求める理由について>

体験利用日に受けた処置に問題があると訴える以上は、その体験日直後に

発生していた傷害が医学的に診断され、カルテに記録されている筈である。

提出された診断書はそれを確認できる具体的・客観的な内容ではない。

添付された診療明細の日付録からも体験日直後の受診は確認できない。

 

<私達の主張について>

体験日におけるセンター長の貴殿(母)への措置はあくまで、問診・触診の類である。

その日、初めて会った貴殿(母)に対して「足が強なっている」などと言う筈がない。

本件の争点は、体験日当日センター長が貴殿(母)に対しどのような措置を施したのか、

その結果、貴殿(母)に生じた傷害がどのようなものであったのか、ということであり、

見解・認識の相違があるため医療調査で体験日直後の傷害の状況を確認する必要がある。

従って、調査が出来なければ賠償にも応じられない。

 

くどい程に「直後直後」と言葉が挟み込まれてある。 

双方の見解・認識の相違があること理由に、医療調査の必要性を主張し、

そのため、こちらの主張を闇雲に否定してきている。そんな内容である。

しかし、そうなってくると状況の矛盾は更に深まる。

 

センター長が母の右足に繰り返した処置は触診だったというが、そもそも何故それを行う

必要があったのか。10か月前に右足に肉離れを起こしたと私達が事前に親告したからだ。

まだ完全でないにしても、回復を確認し強さを取り戻していると判断したからこそ体験運動を

実施したのではなかったのか。責任回避を優先させるが余り、その見識まで崩してしまっては

ますます行動の辻褄が会わなくなり、かえって信用を失墜させることになるとは思わないのか。

 

私は体験日も本利用初日も、その次に欠席連絡を入れた時も、

母の状態については全く包み隠さず本当のことを伝えてきた。

センターに母のリハビリを信頼を持って任せたかったからだ。

検証会談を申し入れた時ですら「状態の悪化はゆっくり進んだ」とありのままを話した。

 

センター長にも社長・副社長にも家族が居るだろうに「自分の家族がこの憂き目に遭えば」

そんな、ごく普通の想像力すら持ち合わせない者達だった。組織としての機能は自分達の

提供した行為の検証には活かされず信頼を預けた利用者を貶め、見事に裏切ってくれた。

 

「感謝の気持ちで高齢者の幸福を追求し、安心できる地域社会の実現に貢献したい」

表向きのこんな基本理念などはただ空々しいだけで、私達を嘲笑う声にしか聞こない。

このような者達の幸福追求のために、介護保険が貪られることが決してあってはならない。

このような貶めを他の誰かが、また何処かで強いられることなど絶対にあってはならない。

そんな思いを呼び起こす回答書の内容だった。

 

     梅散るや手話の母子の影法師

 


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2015年

12月

11日

行政の判断

医療事案に限らず裁判において、立証責任は訴える側にある。

医療機関の診療行為で過失があったと訴えを起こすとなると、

カルテが立証のための証拠となる。カルテ改ざんの恐れがあると思われる場合、

依頼を受けた法律事務所はカルテの保全を行い、先ずは証拠を確保するという。

それを協力医に鑑定してもらい証明していくのだが、医療事案は専門性が高く立証が難しい。

そのようなきちんとした手順を経ても、患者側の勝訴率は約2割と通常事案よりも低くなる。

 

センター側は母へ施した処置については問診・触診だと言う。

そう言う以上、医療行為であったことには違いない。しかし、

正規の医療機関ではないデイサービスには、保全されるカルテなどはなく、

その利用者は自分の身体ケアすら不自由になった介護認定者が対象となる。

 

トラブルが発生した場合にも解決は円滑でなければならないが、

そのための絶対に必要な要素が”誠意”ということになってくる。

そして、その担保となるものが契約書であって、

「迅速かつ適切な苦情対応・誠意をもった協議」

これを前提に介護サービスが成り立つのである。

 

しかし、医学的立証責任を盾に介護制度の信用までも貶める業者が紛れ込んでいた。  

そのような業者は行政の指導・監督の対象となり、戒められなければならない筈だ。

 

介護事業所の指定や指導・監査は本来、県の介護保険室の仕事であるが、

私達の市は中核市として位置づけがあるため、県からその権限が移譲されていて、

事業認可は介護保険課、指導・監査は福祉指導監査課が市役所に設けられている。

 

このセンターに一定の行政的ペナルティー、もしくは何らかの指導が与えられるよう

私は役所に働き掛けることにした。センターから渡された重要事項説明書にある通り、

差し当たっての窓口は介護保険課ということになる。

 

課にこのセンターへの対処を求めるのは本社会談の口添え以来、二度目である。

電話を掛けてみると、これまで私達の相談を受け本社会談までの経緯を一通り

知っている職員が4月以降も移動にならず、まだ介護保険課に居た。

 

その職員に本社会談以降の経緯を訴え、指導監査課が対処すべき事案としての

取り扱いを要請。職員からは「一・二週間、時間を貰うことになる」と返答され、

指導監査課の判断が介護保険課から電話で報告されることになった。その結果は、

なんと「このセンターを今後も問題のない業者として認可していく」というもの。

 

「そう判断する理由を直接聞きたい、指導監査課に取り次いでもらいたい

 期待を裏切る回答に私はただ唖然となり、電話口で職員にそう詰め寄った。

 

      青田道辿れば神経内科裏

 


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2015年

12月

21日

行政への嘆願

役所が慎重に構えると、直ぐに要望通りの対応には繋がらないかもしれない。

その位の予想はあった。だが、センターの対応は全くデタラメで矛盾だらけ。

それを示す根拠があるとなれば、役所の腰がどれ程重かろうが

事情を聞く位の責任は必然的に出る筈と考えていたのであるが…

 

 指導監査課へ取り次がれた電話、応対に出たのは主幹という立場の役人だった。

「介護保険課から経緯をきちんと確認しての決定、もはや行政の出る幕はない、

 話し合いが行われ、それで納得いかないならば裁判で決着させてもらいたい」

 ここに来るまでに方々の相談窓口で事情を訴え続けて、その度に

 判で押したように返されてきた答えがまた、そのまま返ってきた。 

 

「市民として、課宛に嘆願書をしたため役所に持参する、

 それについての行政の了見を直接、聞かせて頂きたい」

 それ位のことを言わないと、役所を繋ぎとめてはおけない。

 それ程に「けんもほろろ」といったあしらわれようだった。

 

そんな具合で、センター宛てに送付した意見・要望書と

ほぼ同様の文書を役所に対しても書き直す羽目になった。

 

センターへは「デイサービスであっても医療人としての

自覚と責任に基づいた運営に当たれ」といったのに対し、

役所へは「医学的立証責任を盾に契約書もないがしろに、

責任逃れに走るような業者はその行為を確認した時点で、

権限を行使して取り締まる必要がある筈だ」というもの。

 

そうでなければデイサービスなどというもの、

不手際により利用者が被害に遭ったとしても、

その場で救急搬送され、直後の診療記録が残されでもしない限り、

事業所側の胸三寸で、どうにでも責任回避が可能になってしまう。

その前例が今、まさに作られようとしている。

 

それをただ指をくわえ、見ていてはいけない。

 

これだけは、どうしても直接訴えなければ気が済まなかった。

この件で役所に足を運ぶのは市民相談室への無料法律相談以来、二度目となる。

その電話回答の10日程後の指定日、全ての資料を揃え、指導監査課へ出向いた。

5月も末の眩しい日差しの午後だった。いつの間にか季節は初夏へと移っていた。

 

      捨て猫の眼中に跳ぶ雨蛙

 


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2016年

1月

01日

ただ一枚戸が開いて居り初蛙

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2016年

1月

11日

制度の隙間

福祉指導監査課の主な仕事として、介護保険施設等の実地指導というものがある。

課は全ての介護保険施設・事業所に対し、二年毎に実地指導に出向くことになっているらしい。

「利用者からの会談要請を無視し続けている」その私達からの訴えを聞き、センターへは既に、

この年の3月に実地指導を済ませたのだと。その際には利用者から同意の捺印を受け取る位に、

説明責任を果たし納得を得るように指導をし「了解した」と返事を聞いてきたというのである。

 

もちろんセンターがそんな誠意を見せたことなどは一切ないのであるが、そうしていなくても、

弁護士を介して自分達の正当性を主張するのであれば、それはそれでセンター側の対応となる。

そのまま無視が続いているのならば又話は別になるが、この後は民民の問題として当事者間で

話を進めてもらうしかない。もはや民事不介入、行政が口を挟む余地は無くなったということ。

 

課長・課長補佐に次ぐ立場だという主幹から電話で伝えられた回答はこのようなものであった。 

 

市役所に出向き用意された会議室で主幹ともう一人職員を交え、訴えの聞き取りが行われた。 

予定時間は2時間。1時間の予約で気忙しかった法律相談と比べて時間だけは余裕があった。

 


 

 私はセンターが残した連絡帳・通知書・回答書等、訴えの根拠となる“材料”を提示して

「医学的立証に必要な法制度での基準と介護施設での記録簿の位置づけには解離がある、

 介護制度も今の法律を前提に作られたのだから、その法律に対応した運用が必要な筈、

 役人なりの裁量の範囲内ででも、個々の状況に応じた臨機応変な指導をお願いしたい」

 そう訴えると、

 

「認可や指導・監督の基準は全国一律で、我々もその範囲で対応にあたっている、

 役人としての裁量を効かせられるかも状況によって異なる、制度に完全はなく、

 介護制度もまた然り“隙間”はある、そこを突かれると行政はどうしようもない、

 このケースは施設側が弁護士を代理に立てたことで、役所の出る幕はもうない」

  主幹は改めて、そう答え直した。

 

 それからの問答は以下の通り、

「私達利用者は、いい加減な業者からどうやって身の安全を守ればよいのか」(私)

「国会議員にでも働き掛けて、利用者の目線で制度を変えてもらうしかない、

 例えば、リハビリなども含め医療的な専門性が必要なサービスと、通常の

 介護・介助の範囲のサービスとで業務記録のあり方を根本的に見直すとか」(主幹) 

「それが叶うまでは、こんな馬鹿げた所業も黙認してるしかないというのか」(私)

「裁判所の判断がそういうことならば、止むを得ないでしょう」(主幹)

 

予定は2時間。ここまで話し終えてまだ30分程残っていたが、これ以上

役人の都合を聞かされるために、この会議室に留まることが無駄に思えて、

私はセンター取り締まりを要請する課長宛ての嘆願書を手渡し、市役所を後にした。

 

その立場になりまざまざと実感させられたが、病を得た要介護者が事故などで

体に更なるダメージを与えられることは、ほぼ人生に引導を渡されるに等しい。

こんな切り捨てられ方をするために、母は限られた年金の中から保険料を

納め続けてきたのかと、どうにもやり場のない思いがただ残るだけだった。

 

    五月野のすみずみ見えて疲れるよ

 


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2016年

1月

21日

教育制度と介護制度

平成23年10月に滋賀県大津市で地元公立中学2年の男子生徒がいじめが原因で、

自宅マンションから飛び降りて自殺した。母の転倒骨折の約8か月後のことになる。

 

当初の報道は簡単に事実関係を伝えるだけであったが、その扱いは次第に大事になっていく。

担任も学校も陰湿で執拗ないじめを把握しながら見て見ぬ振りで、対策がとられることはなく、

事後対応も、事実を口外しない様に生徒達に口止めをするなど不適切極まりないものであった。

検証を担う立場の市教育委員会も、いじめの事実を認めながらも自殺との因果関係は不明とし、

責任問題に発展しないように学校と組織ぐるみで証言の核心部を封印し、調査内容を隠蔽した。

更には地元警察も家族からの被害届の受理を繰り返し拒否したりと、おかしな対応が次々に

露見していき、翌年にはマスコミが連日学校に押し掛ける大騒動になっていった事件がある。

 

交渉の糸口が見つけられずに、訴えをことごとく門前払いにされている

私を見て、母はこの学校のいじめ問題とまるで同じことだと言い始めた。

 

 


 

その後、この事件は県警が学校と教育委員会に捜査に入り、加害者の生徒達は書類送検され、

市も新人市長の一念発起で、最終的にはいじめと自殺の因果関係を認め、謝罪し、

第三者委員会も設置され、市は裁判所の勧告に従い遺族側と和解することになる。 

  

そもそも、子供が自殺に追い込まれるなど原因不明のままで済まされる問題ではなく、

現在は子供が自殺したりすると報道でもその事実だけではなく、いじめは無かったか、

学校や教育委員会の対応は適切であったか、背景も検証がされるのが常となってきた。

 

一方、介護に疲れた老々夫婦が連れ合いを殺めてしまったり、無理心中を図ったりする事件も、

その人達が誰とも問題を共有できず、立ち往生していたことは子供の自殺と同様の筈であるが、

介護制度では、本来なら誰が何をすべきだったかという検証までは至っていないように見える。

 

戦後から続く学校での義務教育が基本の教育制度と、まだ開始されてから

20年経たない在宅重視の介護制度を同じ土俵で見比べられる筈もないが、 

問題解決と再発防止のため役割を果たすと思っていた者達が全く機能せず、

事実まで無かったことにされ、理不尽がまかり通っていく。

その状況や境遇が母の眼には同じに見えたのかもしれない。

 

自殺した少年はいたたまれず、担任に助けを求めたということだが、

担任は殆ど聞き流してしまい、まともに応えなかったとされている。

窮状を訴えても同じ目線で話しを聞いてもらえず、邪険にされたり

厄介者のように思われたとなれば、それを口にすること自体が

ストレスや罪悪感になって、やがて諦めてしまうことになる。

 

教育制度では、担任や学校が義務を果たさなければ、責任を追及していくことになるが、

介護制度では、その役割は用意されておらず、私の場合は民生委員に相談するように言われた。

そして、一連の事柄をどこかに問い合わせる度に「迷惑がられている」と気重になっていった。

 

この時の私はその様な軟弱な自分の一面を母はもちろんのこと

他の誰に対しても決して、けどられてはならないと思っていた。

 

    バラ散るや哭きつつバラを抱く家族

 


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2016年

2月

01日

示談交渉の精算

法律相談では証拠が揃わないと言われ、行政からも口を挟めないと言われ、

母においてはこの期に及んで、もう醜いものに触れたくないということか、

無気力に人生そのものを諦めかけているのか、交渉のことも制度のことも、

自分からは徐々に口にしなくなっていった。

 

そんな母が不憫だったし、息子として交渉役として自分が不甲斐無く、なんとも消化不良で、

どれ程、可能性が薄かろうが迷惑がられようが「まだ終われない」という思いが強くあった。

 


 

センター側は法的に過失責任を問われることはないと、高をくくっているのだろうが、

代理人弁護士を介しての発言も含め、私達に残していった痕跡を繋ぎ合わせてみると、

たちまち信用など崩れ去る支離滅裂な実態が浮き出てくることになる。 

一時の責任回避のために、そんな痕跡をどこかに残したままにするは

信用を糧に生業とする者が愚かという他ない。

 

地域には自治会もあるし老人会もある。両親はこの地域にきちんと関わり、

人間関係を築き暮らしてきた。その築40年の実家に社長もセンター長も、

責任ある立場として足を運び、その年月を自分なりの目で見て感じた筈だ。

 

当事者であるセンター長にだけは直接そのことを問い正したいと思った。

自分の“名札付き”の足跡を全て見直し、それでも「弁護士を通せ」と目を背けるのなら、

その時はもう仕方ない。所詮その程度の若造だったと、こちらなりの見切りをつけよう。

 

弁護士が代理人となり、交渉の窓口を一本化されている今、

そのための座をどうやって作るか、その方法を考えていた。

前触れなくセンターに出向くというのが一番手っ取り早いのだが、

サービス時間内であれサービス後であれ他のスタッフもいる中、先方が気色ばんで、

あの威圧的な弁護士に連絡でもされれば、かえってややこしい事にもなり兼ねない。

 

 センターと実家とは目と鼻の先、その施設との関係をもっと普通に直接繋ぎ直す

 方法がない筈はないと、契約書と重要事項説明書を順番に読み直してみたところ、

「料金の支払い方法」の項目に目が留まった。

「支払いは銀行引き落としで行うが、場合によっては現金払いの形をとることもある」

 

思えば、この交渉はたった一度だけ利用したサービスの請求書が

上がってきたと、センター長から連絡が入ったことから始まった。

私は検証会談を要求し、交渉が決着した時点で支払うと約束した。

 

その未払のままの料金を「母が直接手渡すことを希望している」ということにし、

センター長に家まで集金に来るよう依頼するということならば

弁護士など関係なく、センター長と対面する名目が立つのではないか。

 

センター長があらん限りの誠意を絞り出してやっと成り立つ筋書きで、

これまで散々失敗してきたことを性懲りも無くまた繰り返すという話だ。

しかし、今となってはこれしかもう打つ手が思い浮かばない。つまり、

これがこの件での最後の一手になるのかもしれない、そんな思いだった。

 

     蝶々やどれが恋やら敵やら

 


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2016年

2月

11日

雲隠れセンター長

要介護者ばかりが集まる午後の枠があるとセンター長に薦められた火曜日と木曜日。

6月に入り二週目のその火曜日、午前のサービスが終わる頃を見計らって料金精算の電話を掛けた。

すると、応対に出たスタッフが「この4月でセンター長は交代しています」などと言うではないか。

 

ここが開設したのが前年の6月ということだったので、

一年経たず責任者を代えてきたことになる。唖然とするばかりだったが、

この日は前センター長も午後からの出勤の予定があるということらしい。

要介護者ばかりが集まっている枠には顔を出しに来るということなのか、

「伝えたい要件があるので、今の責任者に替ってもらいたい」と言うと、

「承ります」と午前の送迎から戻ったところの新任センター長が電話口に出てきた。 

 


 

新センター長はその年の4月からこのデイサービスのスタッフに加わり、

前センター長は本社勤務になり、外回り中心で行動しているということ。

 

「昨年からの料金の未払いがある、その時担当だったセンター長に母が直接支払いたいと希望している」

そのように伝えると「本日午後から本人が出勤してくるので、その旨を伝え折り返し連絡を入れさせる」

新センター長はそう言ったが、本当に連絡が入るかどうかは怪しいものだと思っていた。

頭の中に色々と思案が巡った。 思案をしながら夕刻まで待ったが、やはり連絡は来ない。

   

母に対して、私に対して、社長同席の座で、また代理人を経由して残してきた

発言の移ろいを、前センター長は責任者の立場として認識していない筈がない。

もし、突発的なアクシデントで急きょ欠勤という事態なら「連絡を入れさせる」

そう言って私の連絡先も聞いた新センター長は、その経緯を報告してくる筈だ。

誰も何も言ってこないということは、名目如何に関わらず面会するつもりは一切ない。

その意志の現れと考える他なかった。 

 

施設責任者として地域の人達に対し、体裁や建前が必要な立場ならまだしも、

今となってはその限りではない。今更誠意に訴えること自体が虚しい状況だ。

しかし、料金精算を口実に対面を要求するという手段を使ってしまった以上、

連絡がないなら、こちらから出向いてでも計画はやり切るべきではないのか。

今後は先方も警戒してくる筈。前センター長と直接対面できる機会は今日が

最後なのかもしれないそういう考えも一方ではあった。

  

結局その日、私は自分からセンターに足を運ぶことはしなかった。

「出勤している筈」と乗り込んでいっても、逃げの一手を打たれ

居留守でも使われれば、ただ迷走して終わることになり兼ねない。

力ずくではなく、必然をもって座に就かせる状況を作らなければ、

意味のある結果には繋がらない、最終的にはそういう思いだった。

 

今までの例で見れば、このまま放っておけば連絡もないままに終わる。

しばらく様子を観て、新センター長に精算の段取りを整え直す電話を

掛け直そうと考えていた。

 

     一存で猫の出てゆく四月尽

 


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2016年

2月

21日

新センター長への依頼

連絡が来ないまま二週間待ち、状況確認の電話を入れた。

  

「午後から予定されていた前センター長の出勤がその日はなかったので、本社に

 確認をとったところ、料金は代理の弁護士に渡してもらうようにと託けられた」(新センター長)

「弁護士は苦情処理交渉のための代理であって、料金の精算にまで仲介をさせる

 必要はない、支払いは重要事項説明書の記載の形でお願いしたい」(私)

「自分は事情を知らない、本社の託けをそのまま伝言するしかない」(新センター長)

「その特殊な事情の伝言が丸二週間、なおざりにされている訳だが」(私)

「すいません、連絡するのを忘れておりました」(新センター長)

    

新センター長の早口でよく回る舌から出る言葉は、丁寧ではあるが、

相手の納得を得ながら円満に事を収めようとする心遣いを感じない。

   


   

もっとも、連絡が無視され誤魔化されるやり口をこれまで、散々見せつけられてきた私にすれば、

すっかり耐性がついてしまって「結局、同じ穴のムジナか」と今更、騒ぎ立てることも特にない。

騒ぎ立てないが、新センター長のこの礼を失する態度をただ黙って受け流す気にもなれなかった。

そもそも、これ程のいい加減な対応が出てくるのは、本社や前センター長が母に関しての正確な

経緯を伝えていないことに原因があると考えられる。

  

新センター長に面会するしかないと思った。  

施設長が交代しようがしまいが、母との契約関係が続く以上、

その契約内容に沿った対応を執る責任がセンター側にはある。

  

直接面会して前センター長のもとで何があったのか、全ての資料を提示して話し聞かせる。

『もし、これが自分の家族の身に降り懸かったことなら』と、ごく人並の想像力をもって

話を聞き、自分の頭で少し考えてみれば、なりふり構わず責任回避に走る前センター長や

社長・副社長とはまた別の行動も出てくる筈だ。

  

前任同様、理学療法士であるという新センター長、母のリハビリについて意見を求めてみた。

昨年の9月から頓挫している母のリハビリの再開について相談に乗ってもらいたいのだが」

「自分に、でしょうか…」

流石にこの展開になってくると、新センター長も少々面を喰らったようだった。

もちろん、このセンターでのリハビリの再開など私も本気で考える訳がないし、

なにより、母自身が承諾する筈がない。

  

前年のトラブルについては、交渉窓口が代理人一本化されている今、

面会するにも別の名目が必要になってくる。その苦肉の方便である。

そもそもの料金精算に話を戻してもよかったのだが、それはやはり、

前センター長との再対面実現の局面まで温存しておこうと思った。

  

     蝶々を狂わせている紫外線

 


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2016年

3月

01日

利用再開申し込み

 私からリハビリの相談を要請された新センター長。

「このセンターでの利用は一旦終了したものと聞かされているのですが」と。

 

契約書の[契約の終了]の項には、

[利用者からの契約の解除は文書の通知をもって成立する]とあって、

[事業者からの契約の解除も文書の通知をもって成立する]ともある。

センター長の処置が原因で傷害を負ったとして苦情を申し立て、

交渉のために文書で意見を交したが、契約を切る内容ではない。

 

 その経緯を新センター長に話すと、

「契約の終了の項目については、利用者から事業者に対しての手続きの形が書かれているもので、

 事業者から利用者に対して当てはまるものでない、利用再開となると現在の介護保険の点数等

 必要な確認もあるので、ケアマネージャーを通じて話をしてもらいたい」と一気に返してきた。 

 利用再開の件は制度上、ケアマネージャーとの連携が必要なことで間違いのないところだろうが、

 契約終了については本来の主旨に照らすと、誤解を招くような説明である。

 それから暫く契約書の解釈について、無為なやり取りが続くことになった。

 


 

料金精算の連絡放置に続き、不明瞭な契約内容の講釈。対応を受ける相手次第では、

もう、この時点で不興と怒りを買い、面倒な事態に陥っていても何ら不思議はない。

人の健康管理を預かるリハビリセンターの責任者、十分な経験と人望が求められる。

いい加減な対応しかできない施設だと世間から見透かされてしまえば、しいては

自分の名誉まで貶める。そんな生真面目さがこのセンターからは感じられないのだ。

 

契約が切れてはないこと、母の介護保険の利用状況が契約時点と変わりないことを私は説明し直して、 

[利用者の日常生活全般の状況及び希望に沿って、通所介護計画を作成し利用者と家族の同意を得る]

との条項に則り「現在の母の体力に沿ったリハビリの計画を見立ててもらいたい」と改めて要望した。

 

それに対し、新センター長からは契約が継続していることの理解を得ることはできたが、

現在、定員が一杯に埋まっており、申し込みがあっても待機が必要な状況であること。

介護計画の作成についても、ケアマネージャーに話を通す必要があるとの返答を受けた。

 

 前センター長に直接料金を支払う機会を設け、これまでの適当な見識と発言を見直させることが

 そもそもの目的で新センター長には事情を納得させ、手筈を整えるよう説得しなければならない。

 納得させるには一定の会談時間が必要になる。介護計画作成の依頼はうってつけの名目ではあり、

 手段はこれしかなかったが『手順が増えすぎて、こんなのは絵に描いた餅だ』と苦笑する思いと、

『契約履行の依頼は本社も了承するしかない筈だ』との思いが私の中で錯綜した。

 

「了承した、ケアマネージャーを通じ利用再開を申し込む」と私は意向を伝え、通話を終えた。

 

    ころがせば蟻の玉から盆の菓子

 


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2016年

3月

11日

嘘も方便

 大きな災害や事件・事故に自分や自分の家族が巻き込まれた人達の取材において、

「あの時から時間が止まっている」とのコメントを何度も耳にしてきた気がする。

『全く同じケースなどはない筈なのに、皆口を揃え同じこと言うものだ』などと、

 そんな感想でコメントを聞いていたこともあったが、自分自身が当事者となって、

 その心境はと聞かれると「あの時から時間が止まっている」これ以外の言葉が見つからない。

 

トラブルの渦中にある人間は、内容の深刻さにそれぞれ違いがあっても

問題を解決・払拭することに相当量のエネルギーを割かれることになる。

私にとっても、一連の交渉事は寝ても醒めてもそればかり考えてしまう一大事であった。

 

あまり思い詰めてばかりでもいけないと、例えば病院に付き添う道中、

紅葉や桜の季節になれば車窓越しに景色も愛でるし、外食が困難でも

折詰など買い求め、たまの贅沢として美味しい物を食することもある。

しかしトラブルの渦中にあっては、それらを味わったり鑑賞をするに

五感の全てや神経・意識を集中させることが出来なくなってしまうのだ。

 

意識の先頭には常に灰色の雲で覆われたような“災い”が陣取って、

心奪われる筈の素敵な物を用意されたとしても、どこか上の空で、

堪能しきれず、瑞々しい季節感や臨場感を伴う体験とはならない。

だから、辿ってみても味気ない色あせた記憶でしか再現されない。

それが「時間が止まっている」という表現の意味だったと、この歳になり悟ることになった。

 


 

 ケアマネージャーには6月末の定例訪問の折に、利用再開の希望を伝えることになった。

 前任の移動でこの4月から新担当となり、顔を合わせるのもまだ数回目といったところ。

 センターとの経緯を含め前任から引き継ぎを受け、母からも無念の思いを聞かされても、

 じっと聞きはするが、前任同様、自分から詳しく話を聞き直したりといったことはない。

 

 私達が一定の安心のもと、止まってしまった時間を進め直すには、このトラブルについて

 まずは何らかの形で溜飲を下げる必要がある。しかし、新担当のケアマネージャーに対し

「心情を察しろ」と迫ってみても、また無理が出るだけに違いないと思われた。

 

「母の主治医からリハビリの再開を急かされている」として、

 再開の手続きに入るよう、私はケアマネージャーに申し出た。

 それでは合点がいかないのか、訝しげに質問が返ってくる。

「リハビリ特化なら、少し遠くても別の所が良いのでは」とか、

「健康保険での訪問リハビリという選択もあるのですよ」とか、

「直接、お母さんからご希望やお話も伺いたいのですが」など、

 どこをどう間違えば、そんな方針に辿り着くのかといった具合だ。

 

「母は昨日、上手く寝付けずにまだ眠っていて、残念ながら今日は直接は話せない…、

 このセンターにおいては昨年9月、前責任者により通所介護計画が作成されている筈で、

 現在の状態と比較した上で、今後の機能回復と介護計画についての助言を求めたいのだ」

 もともと母には何の断りもなく始めている話で、もっともらしい再開理由も方便であるが、

 私の良心は微動だにしなかった。

 

   長い貨車つくつくほうし負けにけり

 


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2016年

4月

01日

新センター長との面会

利用再開の申し込み後、途中ケアマネージャーから「処遇検討中らしい」と報告を受けるも、

それ以外の音沙汰なくひと月程経った。このまま待っていてもまた放置されるだけだろうと、

結局、こちらから経緯確認の電話を入れることになった。

 

「今は利用枠が全て埋まっており順番待ちがある状態、再開の目途が立たない」(新センター長)

「順番待ちはやぶさかでない、まずは前もって介護計画の作成をお願いしたい」(私)

「かなりの待機人数があり、再開時期の決められない介護計画は立てられない」(新センター長)

「契約時の10か月前に立てられた計画がある筈で、その時と

 現在の母の状態を比較し、助言もらいたいと言っているのだ」(私)

「自分はその時にはこのセンターのスタッフではなかったので、

 初めて会う利用者の体調の比較などできない」(新センター長)

「前センター長を連れて来れば問題はなかろう」(私)

「前センター長は現在ここの勤務ではないのでそれも出来ない」(新センター長)

  

本社や前センター長からどんな引き継ぎをされたとしても、ここは施設責任者として

利用者からの訴えを直接聞いて、事の次第を自分でも確かめてみようとする柔軟さや

臨機応変さがどうにも感じられない。 

  

前センター長同様に話し方や声から受ける印象はまだ若輩で、この新センター長もまた、

利用者や利用者家族の対応経験が不十分なまま任に就いているのではないかと思われた。

  


  

 このまま電話でやりとりを続けても事の進展に繋がるとは思えず、

「何故、直接料金の支払いを希望するのかを記録を提示しながら説明したいのだ、

 契約を引き継いだ立場として、私達の側からの話も聞いておいてもらえないか」

 有りのままにそう言ってみると、遂には新センター長も根負けしたか

「こちらに来てもらえるならば」とその日から更に一週間後の営業後の

 時間が指定され、ようやく面会の手筈が取り付けられることになった。

 

数日後「仔細を聞いた」とケアマネージャーから連絡を受けた。自分も同席したいのだと言う。

新センター長が頼んだことか、ケアマネージャー自らの申し出かはまでは敢えて聞かなかった。

この際、民生委員にも同席を頼めばどうかとも言う。

 

担当民生委員のTさんにはこの件では既に相談を済ませており、その際には

地区の民生委員会長と共に市社会福祉協議会にまで話が引き継がれていった。

結局は民生委員には荷が勝つとされ、地元NPOを紹介されることになった。

 

私はこの件で民生委員の手を煩わせることは、もうあるまいと思っていたが、

より多くの人に経緯を知ってもらう絶好の機会であり、不都合などある筈もなく、

民生委員・ケアマネージャー・私の3人で当日センターに出向く段取りとなった。

 

    地球儀の芯ぐらぐらと半夏生

 


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2016年

4月

11日

契約解除

面会の約束は5時半、民生委員Tさんは私と待ち合わせて

センターに行き、ケアマネージャーとは現地集合となった。

当日は昼過ぎから気温も上昇し、すっかり真夏日和である。

7月も、もう下旬となっている。

 

提示する資料と記録を揃え、準備も整ったと思った矢先携帯が鳴った。着信を見て一瞬で胸がざわつく。

てっきり待ち合わせていたTさんかと思ったがそうではない、掛けているはあの代理人の弁護士だった。

「当方(センター)はそちら(母)との契約を終えることにした、面会は中止にさせてもらう

 センターには行かないでもらいたい」などと。

 

新センター長と面会の約束を交わして一週間。途中ケアマネージャーが話に入ってきて、

そのケアマネージャーからも特に変更の話などはなかったが、約束の時間直前になって

やはりと言うか、ここで代理人が口を挟さんで来た。一気に髪の毛までが逆巻いてくる。

 


 

「本日の面会は新センター長が指定した時間で、こちらはそれに合わせ準備してきた、

 民生委員も手配済みで直前になり、そんな一方的な通達は受け入れられる訳がない」(私)

「これは決定したことで、とにかく行くのは止めて頂く」(代理人)

「契約の解除など私は了承しないし、される理由もない」(私)

「契約書・契約の終了の条項を適応させての決定である」(代理人)

 

事業所側から契約を切るための条件は2項。

1・2か月以上の料金支払いの遅延があり、催告を受けても支払われない場合。

2・利用者が事業者に対して契約を継続し難いほどの“不信行為”を行った場合。 

前センター長の処置により、右大腿部の痛みが増し障害を負ってしまったと

苦情を申し立てたこと自体に対し、この2番目を適用させるというのである。

 

「支払いを済ませ介護計画の作成を依頼するのだ、もう代理人は関係なかろう」と切り返すも、

「気に入らなければ裁判でも何でも好きにしろ」と言わんばかり、代理人は取り付く島もない。

そもそも、契約の終了は利用者側からでも事業者側からでも、文書の通知をもって成立すると、

条項の前提に記されてある。特に事業者は理由を示した文書を通知しなければならないとある。

 

「その類の文書を受け取ってはいない、頭ごなしに行動を拘束される謂れはない」(私)

「文書はこれから送るので同じことだ、契約は既に終了したと理解して頂く」(代理人)

 これまでも散々に弄ばれてきたが、それもここに極まった。

 怒髪衝天、これ程の怒りを覚えるのは全く以ていつ以来か。

「無理が通れば道理が引っ込むとは正にこのこと、貴方の講釈などは聞くに値しない、

 これ以上のやり取りはもはや時間の無駄でしかない」私はそう言って電話を切った。

 

      蛙田の沸騰したる一軒家

 


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2016年

4月

21日

面会決行

予定通り面会に出向く、その決心に何の躊躇も持たなかった。

待ち合わせて一緒にセンターに向かった民生委員Tさんには

「今日は横で話を聞いていてもらえばよいです」とだけ伝えた。

 

契約解除・面会中止と決め込み、終業するや否やスタッフが引き揚げてしまう恐れがある。

現地集合のケアマネージャーに「Tさんと先に行っているから」と電話で断りを入れると、

「センターから来ないでくれと連絡が入った、自分はこれ以上関われない」と返してきた。

「Tさんはあなたの提案で時間を割いて来てくれているのだ、見届けるのが筋ではないのか」と諭すも、

「事業所の意向に逆らってまでは出来ない」と結局、ケアマネージャーは面子から外れることになった。

 

ケアマネージャーの参加は自身の申し出があってのこと。

民生委員に立ち会ってもらうのも、その話の一環だった。

面会中止がこの土壇場になって通告されたことを思うと、一連のケアマネージャーの動きは、

その時々のセンター側の要望に沿ったものだったのかもしれない、そんなことが想像された。

居宅介護支援と通所介護、やはり同じ介護事業者同士の繋がりを重視しているということか、

こちらが立ち会いを依頼した時の冷やかさ思い返すと、わだかまりは深まるばかりである。

 

    藁帽子飛んでわらわら訣れける 

 


 

私自身は自分の行動に間違いはないものと腹はくくれているが、センター側の対応次第では

多少の悶着位は覚悟しておかなければならない。Tさんには申し訳のない思い一杯であるが、

当の本人はさほど気にしていない様子で「それでは行きましょうか」とセンターに向かった。

 

センターの間口に立ってスタッフを呼ぶと、まだ20代かと思われる若者が応対に出てきた。

新センター長である。想像通りだが、その風貌は前センター長よりまだ更に若い印象だった。

 

「契約を切る、面談も行わないようにと代理人から指示を受けている、お引き取り頂きたい」

(新センター長)

「契約解除の手続きなどは何も完了していない、現時点ではまだ契約状態にあることは明白、

 施設責任者として取り交わした約束、覚悟を決めて自分の判断で誠実な対応を行うべきだ」(私)

「自分は雇用されている立場、雇用主の代理人である弁護士から指示されれば従うしかない」

(新センター長)

「とりあえず、名刺位は頂けないものか」(私)

「渡せません、何も渡すな何も受け取るなと言われているので」(新センター長)

 

足を肩の幅に広げ、両手を後ろに組みバリケードを張る警官のように姿勢を崩さず

Tさんと私の前に立ち続ける新センター長、入場させることすらも許さない構えだ。

夕刻とはいえもう真夏、首筋には流れる汗がまとわりついていた。

 

     風吹くな地震よ来るな桃実る

 


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2016年

5月

21日

決行の顛末

自分が責任者の任に就いた施設でその前年、弁護士が代理に立って交渉する程のトラブルがあった。

その利用者家族が自分達の立場からの主張も聞いておいて欲しいと、記録物を持って目の前にいる。

 

契約解除といっても手続き自体まだこれからで、民生委員が横でずっと経緯を見ている。

今後、この地域の老人相手にリハビリセンターの施設責任者を務めていく立場となれば、

自分が指定・約束した時間にやって来た利用者家族を無下にあしらうことは出来ない筈、

そう思っていたのだが…。

 

この若いセンター長は横にいる民生委員にどう思われようと、私を追い返すことが

自分の役割だと確信を持っているのか、間口に立ちはだかったまま私達を見下ろし、

「何かの記録物を置いていかれても自分は見ないし、ただ代理人に渡すだけだ」とにべもない。

  


 

そんな新センター長の人となりに、言いようのない違和感を感じていた。

天の霹靂の契約解除宣告で頭に血が昇っていたし、実際に通知文書が

発送されてしまうと、センターと接点を持つこと自体が更に困難になる。 

『今日は何としても、手ぶらでは帰らない』と心中決するものがあった。

だが、その決意にも迷いが出てくる。

 

この若者に対して何を言っても所詮、暖簾に腕押し、糠に釘。

懐柔して前センター長への取次ぎの手配を計らせるなど、やはり絵に描いた餅。

血気に逸り無暗に記録を見せても、結局素通りして代理人に渡されてしまえば、

ただ、こちらの手の内を無駄に晒して終わるだけでは…。

 

新センター長と向き合ったまま、どれ程の間そんなことを考えていただろうか。

私達に「不信行為を行う利用者」とのレッテルを貼り、不利益な邪魔者として

排除にかかるセンターへの抑え切れない憤りを、とにかく発散させたい衝動と

『今、それをしても何も得るものはない』と冷静に状況を見つめる自分との葛藤が始まった。

 

「代理人の指示以外の判断はあり得ないのか?

「あり得ない」といった問答を何度か繰り返した。

 その繰り返しが頭に昇った血を降ろすのに必要な手順だった。

 そして、私は「仕方がないから、今日は引き揚げるとしよう」

 奥歯を噛み締めそう言って、この面談計画に見切りをつけるに至った。

 

契約解除の通知は早晩、送り着けられることになるだろう。

内容証明付きで来れば、受け取りを拒否するという手もあるが、

きちんと受け取っておけば、センターの許し難い愚行の痕跡が、

またひとつ付け足されることにも繋がる。

まだ出来ることは一体何があるだろうか。

そんなことを考えながらの帰路となった。 

 

母のパーキンソン病の診断を受け、ケアマネージャーから

このリハビリ特化のデイサービスを紹介された。

その最初の訪問から丁度丸一年後の有様だった。

 

    カナカナやふと今際かと未生かと

 


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2016年

6月

11日

強攻の背景

(平成28年)現在、このデイサービスには自社HPの存在が確認できるのだが、

代理人との交渉が始まった平成26年前半頃は、業務の紹介はフェイスブックを

通じての発信が主だったようで、まだHPは開設されていなかった。HP案内が

確認できるのは平成26年夏以降のことになる。

 

新センター長面会からの帰宅後、私は代理人の弁護士と新センター長を含めた当事者達の

名前をネット検索に掛けてみた。そして、改めて彼らのSNS発信をチェック直していた。

そうせずにはいられなかった。

 

直接の当事者でもなく利害に関わる立場でもない若者がにわかに目の前に立ちはだかり、

微動だにもせず鉄壁に私達を拒絶し続けた。それに対して感じた得も言われぬ違和感を

ただそのまま放置しておくことができなかったからだ。

 


 

デイセンター法人用のページからは介護職に対しての使命感、感謝と奉仕精神をもって

仕事に臨む姿勢、純粋な人間性への賛美が社長自身の口から繰り返し発せ続けらていた。

 

自分で自分の言葉に陶酔しているかのような印象を受け、見る度に何とも言えなくなる。

「嘘を吐くな」と訴える私達の存在が完全に本社の意識から消えている筈はない。だが、

もはや、消し去っても構わない位置付けとなっていることを示しているのだと思われた。

 

前センター長のアカウントページには新センター長との交友の記録がその画像と共に残されていた。

どうやら二人はこのデイセンターのスタッフとして同僚となる以前からの友人同士であったようだ。

 

これは実際に対面したからこそ確認できたことだった。ありふれた苗字の新センター長、

下の名前も聞かされていなかったし、名刺の受け取りも拒否された。一環した拒絶姿勢、

そんな新センター長の対応ぶりには当初から違和感があった。

だが、ここでやっとその違和感の意味が腑に落ちたと思えた。

 

代理人弁護士の氏名を検索すると自身の法律事務所と並んで、某掲示板や質問サイトでの

書き込み痕がヒットした。法律に関する質問や相談に答えているという類のものではない。 

なんとも辛辣な罵詈雑言を浴びせられた書き込み痕である。余程の恨みでも買わなければ

ここまでにはならないだろうし、名指しともなれば書いた側に塁が及んでも不思議はない。

だが、そうせずにはいられない書き込んだ人の心情が私には十分に理解できた。

 

その代理人から契約解除を通知する内容証明郵便が送付されてきたのは、新センター長との

面談日より更に10日程後のことだった。書面の日付も面談日よりも一週間後になっていた。

契約解除の理由は代理人が電話で私に告げた通り、私達が前センター長の処置で母が傷害を

負ったと訴えたことそのものを挙げ「利用者側が契約を継続し難い不信行為を行った」との

条項を適用させていた。

 

当然、受け入れられるものではない。

内容証明で来ることは予想されていたので、当初は受け取りを拒否することも考えていたが、

そうしなかったのは、センターがいつの時点でどのような理由で契約を解除させてきたのか、

それが成立することになるのか、記録として手元に残しておくべきだと考えを改めいたからであった。

 

      蟻地獄覗くや情けあり顔に

 


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2016年

7月

01日

猛暑の試練

体験利用から約1年、流石に足の痛みも落ち着いてはくるのだが、

そう老い逸れと、復活のリハビリ再開という訳にはいかなかった。

梅雨も明けると、エアコン24hフル稼働の室温管理態勢となる。

築40年の実家、その空調の中でも暑さが体に影響を与えるのか、

日中の気温上昇に伴い、母は息苦しさ・胸苦しさを訴え始めた。

 

午前中は落ち着いていても、昼も過ぎると状態に変化が出始める。

「呼吸が苦しい」と肩で息をし始め、みぞおちの辺りを摩り出す。

介助に入ろうとすると「摩るなら足を摩って欲しい」と言う。

足に降りた血液を自力では心臓まで戻せなくなっているのか、

足を下から上にゆっくりと撫でられると楽になるというのだ。

 

身長145cmの母、以前は体重も45㎏程は維持できていた。

それが骨折で40㎏前後に、更に肉離れで完全に30㎏台まで落ちた。

そして、前年のこの時期にパーキンソン病との診断の受けるに至った。

それでも、肉離れは癒えつつあって、再調剤のための入院から戻り、

朝食前には杖使用ながらも、庭先での歩行練習が日課に出来ていた。 

体重40㎏回復と生活の自立を目標に、リハビリ施設を探していた。

 

その母が今ではベッドから離れられず、呼吸すらおぼつかないまで衰弱が

進んでしまい、それに伴い私もほぼ付き切りの介護を余儀なくされている。

「無念」という言葉以外何も出てこない。

 


 

通院以外は殆どベッドで寝て過ごすことになったこの一年。

40㎏どころか30㎏台前半まで落ち込んでしまった体重。

骨格の標本を撚れた布で包んだのかといった肢体の様相に、

初めて拾骨に立ち会った祖母の葬儀の記憶が蘇る程だった。

医者からは療養(レスパイト)入院も視野に入れておくようにとされた。

 

日が落ち夜になると、息遣いは少し落ち着き出す。やはり課題は血流の滞りか、呼吸を

整え直すには案外と入浴も効果があった。多少無理をしても何なり夕食を摂り就寝する。

こんな具合の在宅療養が続いた。レスパイトについては話を持ち掛けはしたが、

億劫がる母を納得させ実行に移すには、ケアマネージャーの協力が必要だった。

 

人の話をじっくりと聞くタイプのケアマネージャーだが、

民生委員とのデイセンター訪問の折に、土壇場で身を引かれた経緯について、

私にはわだかまりが残っており、前任同様このケアマネージャーに対しても

万事、心を開いて相談する気が持てなくなっていた。結局、レスパイトを

使うことはなく、この夏も母の介護の抱え込みを続けていくことになった。

 

そんな状況であればある程、契約解除を叩き付けられたデイセンターのことが一時も頭から

離れない。『何か有効な方法はないか』と思い詰め、あてどもなくネット検索を続けていた。

 

      炎帝や袋の底に魚の息

 


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2016年

8月

11日

医療裁判の勝訴率

医療事故弁護士法律相談センター」というサイトある。そこに「医療裁判の勝訴率」ページがあり、

原告側の請求が一部でも認めらた判決の割合・認容率の近年の推移とその解説が掲載されている。

それによると、昭和40年頃の認容率は10%程度。それが50年代には30%台にまで上がり、

最も高かったのが平成15年の44%。近年はまた減少傾向で20%程と原告には厳しい状況で、

それだけ医事関連の訴訟は立証が困難という内容だ。

  

医事関連以外の民事訴訟の容認・勝訴率は85%程はあるということ。

「裁判をすれば勝てる」と見込めるからこそ、人は訴訟を起こし解決を目指す訳で、

「主張を認めさせることは法的には厳しい」と認識を持った時点で「裁判」という

選択自体が消える。民事訴訟において容認率が高いことは当然、との分析もあった。

 

年間の訴訟申し立て件数でも大きな差がある。医事関連の約千件に対し、それ以外の地裁での通常の

民事訴訟は約十数万件。法律相談に出向いてはみたものの、医療事案における厳しい現実を告げられ

裁判にまでは踏み切れなかった結果がこの数字にも表れているのかもしれない。

 

私の場合は、そもそも相手が正規の医療機関ではないことで「裁判所が定める証拠を確保しきれない」

と悲観的な見通しが告げられた。遠回しに「早く忘れろ」と諭された印象さえある。賠償を勝ち取れる

見込みもないのに、裁判官相手に無念の思いだけをぶつけても意味が無いといった見方になるのだろう。

だが、こうなってくると医療事案は立証が困難が故に勝訴率も低いとの理解が腑に落ちなくなってくる。

 

 


 

原告となった人達が法的な勝算も確かめずに、闇雲に訴訟を起こしているとは考えにくい。先ずは

私同様、専門の弁護士を探し、事前の法律相談に出向き、医療裁判の諸事情も含め分析を聞く筈だ。

その上で勝訴率が2割しかないとはどういうことか。性懲りも無く毎年8割負け続けるというのは

どういうことなのか、といった思いである。

 

毎年8割ずつ負ける。それは「法的に主張を認めさせることは困難」と法律家から諦められ、

勝てないと承知の上でも、医事に限ってだけは裁判に訴え出ているということではないのか。

 

信頼をもって託した生活・預けた命や健康に対して、誠実に扱われなかった局面があった。

命と健康は金銭に替えられない、金銭では取り返しをつけららない、損得“以上”の問題だ。

ましてや、かけがえのない家族がその無念を自分で晴らすことができなくなったとなれば、

その代弁を果たそうとするのが家族というものだとしたら。

 

時に人は、街角に立ち署名を集めることもあれば、メディアの前て不条理を訴えもする。

そして、裁判が残された唯一の手段となった時は、勝算など度外視してでも訴えるのが

家族というもの…。

 

医療裁判の認容率・勝訴率の低さについての現状は最初の無料法律相談の時も、先ずは聞かされた。

当事者となり一年近く交渉を続けて来た果てに、その時には表面的な情報として聞いていた事柄を、

初めてこのように見詰め直していた。

 

     老女また花火の音に立ち上がる

 


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2016年

9月

21日

「不信行為」のレッテル

リハビリ特化型デイサービスに二度通い、その検証を直接の担当者と交した。それを元に、

処置を受けた母がその担当者の落ち度により傷害を負ったとして、損害賠償に応じるよう

求めたが、デイセンターは代理人を立て、私達の訴えを一切退ける主張を展開してきた。

その主張には、センターが私達に残していった“記録”とは明らかな矛盾点が幾つもある。

だが、その矛盾だけでは裁判所の定める医学的見地からの立証にまでは届かないという。

 

挙句、契約解除の条項「契約を継続し難いほどの不信行為を行う利用者」のレッテルを貼られ、

センター側から契約を解除される羽目となった。「処置に落ち度があったのではないか」との

訴えそのものを「不信行為」とこじつけているのだが、それが私の憤りを別次元に押し上げた。 

 

『まともに話を聞いてくれる所が裁判所しかないなら、そこで訴えるしかない、全ての

 経緯を公にし、介護事業者としての適性を世に問う』そんな思いに駆られ始めていた。

新センター長への直談判を途中断念した。先方の一貫した拒否姿勢に怯んだ訳ではない。

こちらの主張、そのための“記録”は裁判での証拠として温存しておこうとの思いだった。

 

 


 

利用当日の記録、連絡帳の記載が訴えの根拠の一つであったことを思い出させてやろう。

「座位よるゆっくりとした運動を一時間、膝・腰の痛みの訴えがあり横になって頂くなどして対応した」

2時間のリハビリを行う予定で参加したが、足に負荷をかける運動が出来ず、後半の

1時間は安静状態で過ごさなければならなかったことが、不十分な記述ながら伺える。

 

二日前の体験利用では、座位以外での運動も一通り行ったことが代理人からの通知文書でも確認できる。

担当した前センター長の発言は場当たり的で整合性に欠き、事後対応も誠実だったとはとても言えない。

本人や家族が受けた処置に疑念を持ち、責任を問うのは当然のこと。そんな訴えを「不信行為」と

切り捨て、排除しようとするデイセンターの姿勢こそが「不信」であり、それがどれ程、利用者と

その家族を愚弄し貶めるものであるか。

 

契約解除の方針を理由に面談を拒否された。しかし、契約書には契約解除は利用者側からであれ

施設側からであれ、文書の通知をもって成立するとある。契約解除の通知文書は、面談日よりも

一週間程も後の日付けで送付されてきた。文書の通知が完了していないことの認識を持ちながら、

不当な契約解除通告で約束を反故にしたデイセンターは、又もや契約履行の責任を放棄した。

 

傷害での賠償請求に固執していては立証責任の壁が立ちはだかり、その先一歩も進めなくなる。

もはや損得や銭勘定は関係ない。「過失傷害」以外の事柄ならば立証が叶う事は何なりある筈。

その法律相談からやり直すために、私は法律事務所一覧の見直しに取り掛かった。

 

    土竜獲り夢に空飛ぶモグラ見た

 


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2016年

11月

21日

法テラス法律相談

今回の法律相談は前回とは別の法律事務所に依頼することにした。

不当な契約解除を無効に出来るか、ということが相談内容に入り、

事情を一から説明し直すとなると、時間効率も良いと言えないが、

やはり、どうしても別の弁護士からも過失傷害についての意見を聞いてみたかった。

 

平成24年、母がパーキンソン病の疑いありと診断を受け、治療が始まる。

その年の12月、右足肉離れで身動きが取れなくなったことがきっかけで

在宅介護が始まるのだが、26年8月、失職状態は変わらずに続いており、 

今回の法律相談は< 法テラス >を利用することにした。 

 

< 法テラス >は経済的な理由で弁護士などへの法律相談が困難な人のために無料で相談ができる

国が設立した制度で、無料の法律相談は、市役所市民相談室へ出向いての相談と弁護士会主催の

電話相談を既に経験済みだ。市民相談室と弁護士会の相談に利用回数の制限は特にないようだが、

相談者の側から希望の弁護士を指名したりはできず、初回の相談で時間切れとなれば、次はまた

最初から事情を説明し直す必要がある。

 

< 法テラス >での相談時間は一回30分で、収入や資産の状況に条件もつくが、

利用可能な事務所で申告して受け付けられれば、同一案件なら三度まで使える。

前回同様、県の弁護士会のサイトの弁護士リストから問い合わせ、医療事案の

取り扱いに確実な経験があると、確認がとれた事務所に相談の予約を入れた。

 


 

午前中は母の介助に手を取られるため、外出は専ら午後からということになる。

相談に出向いた日は正に盛夏。事務所近くの駐車場から車を降り、歩き出した

途端にどっと汗が噴き出てきた。

 

市の中心部、県庁街にある7階築のこじんまりとしたオフィスビルのフロアを

借り切った事務所は体裁が前回相談の事務所とよく似ていて、距離的にも近い。

だが、事務所内の雰囲気は前回とは幾分違っていた。

 

前回は受け付けを済ませると、仕切りの内装やテーブル、椅子と落ち着いた色で統一された相談室に

通され弁護士を待ったが、今回は先ず、廊下の一隅にソファーと小さなテーブルが置いてある簡易の

待合所に通された。待合所には新聞やら広報誌やらが雑然と重ね置かれていて、少し狭めの相談室も

切り抜きの記事などが無秩序に貼ってあった。

 

事務所ホームページには所属弁護士の生年月日も含め、経歴や活動の記録、仕事に取り組む

姿勢などが色々と載せてある。相談を受け持つ男性弁護士は年齢60程ということだったが、

実際に会ってみると、絞れた中背の体躯で載せられていた写真より若く精力的な印象だった。

 

ネクタイを外したワイシャツ姿、挨拶の前に一息つく仕草。いかにも仕事にのめり込むタイプで、

分単位のスケジュールを刻んでいるといった雰囲気。職を失い、無料の法律相談に駆け込むのに、

あれこれと思案しながら来た自分と、この弁護士は全てにおいて対極の場所に居るのだ。そして、

これから自分はそんな相手に揉め事を吟味され、指示を仰ぐのだ。そんなことを考えていた。

 

      くるくるとわれは白紙の星祭

 


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