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2014年

10月

10日

転倒骨折

共に昭和2年生まれ、平成23年、満83歳。郊外の築40年の実家にひっそりと暮らす

両親がいる。父は血圧が高めで、母には軽い緑内障と季節や気圧の変化に伴う喘息がある。

それぞれに齢相応の課題はあるが、介助や介護は必要としない老々夫婦二人暮らしだった。

 

2月に入ったある日、書留郵便の受け取りに出た母が玄関先の庭石につまずいて、転んでしまった。

左足の付け根に衝撃を受けた母の脳裏には緑色の閃光が浮び上がった。体全体が宙に浮いたような

感覚になっていくが、恐怖や不安はない。むしろ心境は穏やかさ、安らかさに包まれていたらしい。

『人の死とはこのようなものなのかな…』そのようなことを考えながら意識が薄れていったそうだ。

 

その後、母は郵便配達員によって室内に運ばれ、頭に浮かんだ光体も萎んでしまい、意識を取り戻し

激痛に襲われることになる。私の家は実家から車で約10分。遅めの出勤支度をしていた私に父から

「すぐに来い」と電話が入った。

 

匍匐前進を試みるも身動きの取れない兵隊のように、玄関脇の部屋で母は痛みにもがいていた。

『骨折しているのかもしれない』と地元総合病院に救急搬送。そして、やはり左足鼠蹊部骨折。

 

担当医から「手術をしなければ、このまま寝たきりになる」と同意を求めれる。

ボルトを2本埋め、割れた骨を繋ぐのだという。選択の余地などある筈もなく、

同意書にサインするやいなや緊急手術。術後数日後にはリハビリが開始された。

 

入院中に東日本大震災が起こる。 

一時帰宅の許可が出たのは手術から約2か月後。丁度、地元の桜が満開を迎えていた。

車の窓を全開にし、ゆっくりとアクセルを踏み、住み慣れた実家に母を連れて帰った。

 

それまで、老々の両親を横目で観ながらも介護など全く無縁だった私は、その制度についても

殆ど知識の持ち合わせがなく、病院のソーシャルワーカーから諸々のレクチャーを受けながら

退院後の生活の備えていくことになった。

 

埋め込まれたボルトは母のような高齢者の場合、手術を繰り返すリスクによって取り除かず、

そのままにされるのだという。入院から約3か月、母の左足は右足のほぼ半分の太さになり、

杖歩行。要支援区分1の判定を受けての退院となった。

 

   さくらさくらとてんとう虫が目を醒ます

   


2014年

10月

20日

要介護認定

杖歩行で要支援1、それでも母は、入浴も含めた自立生活を諦めてはいなかった。

しかし、骨折以前と同じである筈がなく、買い物から家事全般までが父の担当に。

地域包括支援センターのケアマネージャーが担当になり、週に一度、室内清掃の

ためのヘルパー訪問が始まった。

 

当面のリハビリについては、自力の歩行訓練や体操で脚力の回復を目指すとし、

天候の穏やかな折には、自宅近くの神社境内を歩くことが日課になっていった。

取り組んではみたものの退院より丸1年、母の左足は以前の太さには戻らない。

用心していても出先や室内でまた転んでしまい、回復は思うよう進まなかった。

 

「歩き出そうとする際に、特に最初の一歩目が踏み出しにくい時がある」と訴える母は、

「パーキンソ病ではないか?」とケアマネージャーからの指摘を受け、地元総合病院の

神経内科を受診したところ、やはり、その兆候があり<パーキンソン症候群>との診断。

脳内に不足している神経伝達物質ドパミンを補う<メネシット>という薬が処方された。

とりあえず、毎食後半錠。一日1・5錠で、その効果の様子を観ることに。

 

それを受け、平成24年9月、介護認定の区分変更が届けられ、支援1から一気に3段階上がり、

要介護区分2となった。地域包括支援センターのケアマネージャーが要支援者の担当につく場合、

「要介護」と変更された時点で民間事業所に担当を引き継ぐ決まりがあると、その時に告げられ、

選定を迫られることに。初めて見る名前ばかりが列挙された事業所一覧から、一つを選べと言う。

 

判断がつかず「どこか推薦して欲しい」とケアマネージャーに頼むと、設立から約20年、

市内に6支所の居宅介護支援を置く社会福祉法人を紹介され、<副主任>との肩書を持つ

地元支所のベテランケアマネージャーが派遣されてきた。

 

年齢は60前後といったところか。物腰の柔らかい、ふっくらとした体型の女性だったが、

銀縁の眼鏡を掛け、少し高めの声で話す様子からは生真面目そうな人となりが感じられた。

これまでの地域包括のケアマネージャーは立場上、市役所の職員で公務員ということなる。

ざっくばらんで、およそ役人らしからぬ前任と比べ、新担当は対照的な印象だった。

 

<メネシット>の服用で、踏み出しにくさについては、確かに改善の効果があるように思われたが、

つまづきや転倒の克服については、やはり、地道な筋力回復に取り組んでいくしかないようだった。

 

       梅雨湿めり梯子達磨は傷だらけ

 


2014年

10月

30日

老々夫婦

私は長男で弟がいるが、私達は老々となった両親の生活に危惧を感じながらも、ただ、なんとなく

それを静観していた。並大抵でない父の家長意識の高さが私達を実家から遠ざけていたように思う。

 

湯飲みや茶碗、箸などは家族間でも、自分専用を持つのは自然なことだと思うが、

父の場合、急須に茶葉、漬物、菓子等、家族なら皆で使って分け合う類の物まで、

なにかと自分専用を確保し、置き場所までいちいち細かく<聖域>を作っていた。

そして、それを勝手に触ったり摘まんだりすると、たちまち機嫌を損ね、文句を

言われてしまう。無許可で置き場所を変えるなど、もっての外ということなのだ。 

 

生活の時間も厳格で、起床から三度の食事に入浴、就寝まで父はそれを崩すことを極端に嫌った。

骨折以前の母はそんな父の機嫌を損なわないことを第一に、家事全般を担っていたと言っていい。

 

共に満83歳、この年齢までこんな秩序がまかり通ってきた要因は、母自身がそれを受け入れ、

尊重してきたことにある。私達兄弟の父に対する無神経な振る舞いは、父から文句を言われる

以前に、先ずは母からたしなめらる。それが我が家の慣例となっていた。 

 

それに加え退職後、難聴の兆候が出ていた父は、玄関チャイムや電話の着信に気付けないまでに

症状が進み、人と話す際は補聴器が必須となった。だが、使用するのは他人との会話の時だけで、

家族に対しては催促しないと使おうとしない。

 

雑音の拾い方が不快だということだが、私たち家族は補聴器をつけない目の前の父に向い、

川の向う岸にいる人に呼び掛ける如く大声で話さなければならない。父との会話は億劫で、

こちらからの用向きも最低限の筆談で済ませるようになっていった。必然と来客担当まで

母の役割となり、そのために骨折の憂き目を見たという訳だ。

 

母の骨折はこの役割分担を見直す契機となった。宅配等は私の責任において不在連絡で

受け取ることになり、敢えて来客の応対をしないことにした。そして、その徹底のため、

玄関チャイムは音を切ってしまうことになった。

 

夫婦は部屋を更えて久しく、互いの趣味・趣向は干渉しない。夕食を済ませると会話も早々、

各々の自室に引き揚げ、床に就いてしまう素っ気なさであるが、両親はすっかり染み着いた

この生活を可能な限り二人で続けていこうとしていた。

 

 

     ひとつづつ暮れ落ちてゆく鴨の陣

 


2014年

11月

10日

住宅改修計画

要支援1でも杖が手放せない身体事情となるとベッドが必須となってくるが、退院当初、

母はベッドを使用していなかった。母の居室は約一間、180cm幅の畳敷き縦長6畳。

ベッドなんぞ搬入してしまうと、立ち回りが悪くなるというのが理由だ。

 

そこでとりあえず、立ち上がり補助の手擦りを借り、以前と同じ生活を目指すとなった。

だが、勝手知ったる家だからこそ、つい油断して骨折前と同じ感覚で動いてしまうのか、

敷居やじゅうたんの縁につまずいたり、おろそかな杖の扱いでバランスを崩し、簡単に

尻餅をついてしまったりする。

 

危険は屋外より、むしろ室内にあるように思え、やはり、レンタルのベッド使用が始まった。

また、その介護用品を扱う業者は住宅改修も手掛けていて、玄関上り口の踏み台と手摺りの

取り付けを行い、介護保険を利用しての住宅改修の見積りも依頼することになった。

 

計画は介護ベッドが必要になった時の備えとして、居室の畳3畳分をフローリング貼りへと変更。

更に、室内での車椅子移動に備え、母の居室、茶の間、トイレまでをバリアフリー化するための

床高調整・フローリングの重ね貼り。そして、通じる部屋の扉を引き戸に変更する、というもの。

  

改修案は手間も金額もかなり大掛かりなもので、当初は話を聞くだけで終わっていたが、

<パーキンソン症候群>の診断と要介護2の区分変更が計画を実行に移す起点になった。

 

改修案については、門扉から玄関ポーチの間が飛び石敷きで、車いすの移動ができない

状態にあるが、その対策が入っていないことや、ポータブルトイレをベッド脇に置いた

場合、一間幅の部屋一杯に用具が場所をとり、人の移動に難が出ないか、などの指摘が

ケアマネージャーから入れられた。

 

当初案は「とりあえず」と依頼した見積もりで、特に、こだわりがあったわけではない。だが、

<飛び石>対策は、業者に依頼しなくても日曜大工でやれる仕事であり、ポータブルトイレは

ベッドわきに置かなくても、ベッドの真後ろ・縦列に置いてもよい筈と考え、返答してみると

「ならば、そうしますか」と案が通って行ってしまった。

 

間もなく実際に、ベッドに対しポータブルトイレを縦列置きにし、使用を始めることになる。

そこでようやく、足腰の効かなくなった人間をベッドの後ろまで移動させることが、どれ程

大儀なことかを知ることになり、この用具はベッド横に設置しなければ、意味のないものと

気づくことになる。

 

そして、この一間幅の縦長6畳は、そもそも、介護部屋としては使えない間取りだったと悟り、

せっかくの改装部屋も放棄せざるを得ず、母の居室を玄関脇客間へと移すことになってしまう。

その見積もりの上げ直しが10月、24年師走はそんな工事に翻弄されることになっていった。

 

     露地奥にまた露地がありはやり風邪

 


2014年

11月

20日

肉離れ

茶の間フローリングの全面重ね貼り、家具と荷物の整理は想像以上の作業量で、

辺りは足の踏み場もない状態と化す。そんな折、母に知人からの電話が入った。

夕食も済ませ、そろそろ床に就こうか、という頃合いだった。

 

「すぐ近くまで来ている、これから少し会えないか?」と待つ間もなくやって来た知人に、

慌て応対することになった母はベッドに戻る時には、足に違和感を感じていて、翌朝には

身動き一つとれない状態に陥ってしまう。私は再び「すぐに来い」と、父から連絡を受け、

駆けつけることになった。

 

痛めたのは骨折した左ではなく右足で、その痛がり方は今回の方が強いように思えた。

全身を硬直させ、目は宙を泳ぎ、肩で息をしている。着替えのために体を起こしたり、

体勢を変えようとして、ごく僅かでも足に可動が及ぶと、悲鳴を上げて猛烈に痛がる。

全くどうすることも出来ず、やはり救急隊を呼ぶしかなかった。

 

搬送された救急救命室での決められた検査の後、担当の医師からは、

「肉離れの可能性があるが、骨に異常がないので今日は帰宅してもらいます」と、そして、

「当面の痛み止めを処方する、以後の治療は改めて整形科の受診で判断を仰ぐように」と。

それに対し「この状態ではとても家で介助できない、とりあえず入院させて頂きたい」と、

いくら頼み込んでも「骨には異常ないから」と聞き入れられず、結局、連れて帰ることに。

 

翌日、地元の整形医に往診を依頼したところ、やはり肉離れであろうと。回復は若い人でも

数か月掛かることもあり、高齢なので更に時間が必要かもしれない。自然に痛みが引くのを

待つしかない、との診断。骨折から1年10か月。手術した左足の太さは右足の半分のまま。

無意識に左を庇ううちに、負担が右足に蓄積し、急な来客応対で遂に限界を超えてしまった、

そんな顛末だった。

 

<パーキンソン症候群>との診断で介護認定の区分変更届け出から3か月、この母の肉離れが、

<親の介護>という否応ない現実に私を引きずり込んでいくことになるのだが、この時の私は

痛みに悶える母を目の前に、そんな実感もなにもなく、ただ、うろたえているだけだった。

 

     サンダーバード素っ跳ぶ雪の無人駅

 


2014年

11月

30日

介護計画相談

母は痛みのために、自力で寝返りを打つことすら困難な様子だった。

ここから、自宅での介護オムツの使用が始まることになる。だが、寝たままでのオムツ排便と

その後処理などは本人も介助する側にも戸惑いが大きく、にわかに順応できるものではないと、

その<局面>では車椅子でトイレに連れていくことになった。人も動物も体に痛みがある時は

眠って直そうとするのか、母もまたその様で起床時間が全く不定期になっていった。

 

室内清掃のためのヘルパー派遣も改修工事で中断されており、介護そのものを目的とした

利用の場合、どのようなことを頼めるのか、ケアマネージャーに相談を持ち掛けたところ…。

 

訪問介護や訪問看護は、

1・食事・着替え・その他介助全般、いつ何を頼むか、時間と利用目的を決めること。

 (見守り、待機などの単なる付添いは不可)

2・1回の利用は1時間までで、1日複数回利用の場合は数時間、時間を空けること。

 (連続の利用は不可)

など、制度上の決まりを先ず告げられた。そして、それで対応しきれない場合は…、

特別養護老人ホーム(特養)の短期入所生活介護や介護老人保健施設(老健)の短期入所療養介護の

形をとると教えられた。いわゆる<ショートステイ>と呼ばれるもの。ほぼ全て、この相談で初めて

知ったことであった。

 

<レスパイト>という入院形態があると、後になり知らされる。急性期病院で入院を打ち切られ、

自宅での看護が困難な人に対し、家族の負担軽減のため、健康保険で療養入院をするというもの。

自宅近くに、リハビリテーション科を備え、レスパイト入院を受け入れる療養型の病院があり、

この時に教えられていれば、たとえ期限付き入院だったとしても、申し込んでいたに違いない。

 

しかし、運ばれた総合病院では制度を導入していなかったためか。ケアマネージャーからは、

あくまで、介護保険利用の相談と思われてしまったか。この時点で、知らされることはなく、

レスパイト入院が選択肢に入ることがなく、この対応を考えていくことになる。

 

慌ただしく工事が進む中、トイレのためベッドから出る以外、殆ど寝たきりの療養生活が

続いていった。往診の痛め止め注射もさほどの効果もなく、治るまでにはやはり長期戦の

覚悟が必要だった。

 

バリアフリー工事の諸々対応や、母の介添えを難聴の父一人に任せておくことはとても出来ず、

私の実家の泊まり込みが始まった。老健の短期入所が当面の対処法になるのだろうと思われた。

 

     予備校の冬のサルビアくらくらする

 


2014年

12月

10日

在宅介護延長

介護が始まり数日たったある日、母が急に息苦しさを訴えることがあった。

今にも息が止まりそうで、私の手を取り「今日まで、本当にありがとう」などと言い出す有様。

寝たきり同然になったとはいえ、僅か数日で呼吸停止寸前まで陥るとは、どうにも不可思議で、

『何なんだ?』とただ狼狽するばかり。

 

『冷静に』と自分に言い聞かせて、状況を見渡し直してみたところ酸素欠乏ではないかと、

エアコンの空調を嫌う締め切った母の部屋の暖房、酸素が欠乏状態になっているのではと。

窓を開け放し空気を入れ替えると、呼吸は次第に落ち着きを取り戻し事なきを得たものの、

切羽詰まった素人介護の危うさを思い知ることになった。私は母が発する声に過敏になり、

昼夜の区別がつかない介護生活になっていった。

 

見学を兼ね、説明を聞きに行った介護老人保健施設では、希望者に対し、個別リハビリが

用意されていたが、支援相談員からは「『安静が必要』と医師からの診断が出ている以上、

先ず、治すことを優先させる、リハビリは回復の様子を見てからになる」とされた。

 

つまり、入所はあくまで家族の負担軽減のためと、割り切る必要があるということだ。

また、短期入所は日数制限があり、自宅に帰れるまでは地域内で施設の移動も必要に

なるかもしれないとも聞かされた。

 

工事が終わる頃、母の両足はすっかり肉が削げ落ち、右足は左より更に細くなってしまい、

魚の鱗がまとわりついているかのような弛んで乾燥した皮膚が大腿部から下を覆っていた。

人の体の脆さを改めて実感させられ、事態の深刻さを突き付けられた思いがした。

 

体を動かす感覚を呼び戻させようと、痛みのない左足など上下運動を促してみると、

母もそれに応えてきた。干からびた足を弱々しくも慎重に、ほんの僅かでも動かす。

たとえ、たった今痛みが消えたとしても、自力歩行が難しくなったことは明らかで、

補助をする手に母自身の危機感が否応なく伝わってきた。

 

短期入所に踏み切るか、自宅で介助を続けるかの選択に悩んだ結果、私は当面の間、

休職を延長し在宅での母の介添えを続けていくことにし、両親との同居が始まった。

父の神経に障るような少々の粗相をしでかしたとしても、もはや、母からの小言を

聞かされることはなかろうと思われた。

 

    しこしこと五十路はじまる赤まんま

  


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2014年

12月

20日

父の生活、母との接点

結婚当初は共稼ぎだった両親、私達兄弟が産まれると母は専業主婦になった。食パンの昼食と

風呂の準備、洗濯、ゴミ出し、味噌や醤油、洗剤など母に頼まれた日用品の買い物が定年後の

父の役割となる。運転免許は持たない。そんな父が母の骨折で家事全般を一人で担うことになった。

 

調理は母からレシピを聞いて再現を試みたり、宅配弁当を活用したりと奮闘するも、どうも

上手くいかない。結局「味付けは作り手の自分の口に合わせてもらう」となっていくのだが…。

 

既に歯が全て抜け落ち総入れ歯の父は、この頃から嚥下(食物の飲み込み)にも難が出始めており、

食事中に唐突に咳き込んだりする。一方、母は右上の奥歯3本につき部分入れ歯を使用しているが、

食べ物のそしゃく・飲み込みに問題はない。

 

「お父さんの料理は私が作っていたのと比べて、倍柔らかく倍味が濃い」

愚痴を聞かされるのは専ら私の役割で、父本人に向けられることはない。

父自身、何も察していない筈なく、私が介護に専念すると聞くやいなや、

「それなら、母さんの食事もお前に頼む、自分のことは自分でやるから」

となり、判で押したような父の一日がより一層、規則的に。

 

起床5時半。朝食6時。

朝刊に一通り目を通した後、買い物など所用の外出は午前中に済ませ、

母が好みそうもない菓子など、適当に買ってきては枕元に置いていく。

昼食12時。1日おきの入浴2時。夕食の支度3時。

 

炊事場の使用が私と重なると、私の真後ろに立ち、作業が終わるのを待っている。

「鬱陶しいんだけど」と言うと、3歩程下がりはするものの、待つのは止めない。

猫舌のため調理後、いったん温度を落ち着かせ、夕食5時。 就寝8時。

 

父にとっての至福は、この生活時間が厳守されることにあった。家族以外の対人関係、

そんなものは、その至福を乱すただ疎ましいだけの存在、ということになってしまう。

趣味は読書。自室には、読み漁った文庫本が手を付ける隙もなく煩雑に積まれている。

 

一方、母は痛みのため、一日の殆どを眠っているか、まどろんでいるかといった状態。

何か助けて欲しいことがあり、父の気配に「お父さん、お父さん」と呼んではみるも、

そのか細い声は父には届かない。

 

互いに、はかなく切れかかっている夫婦の接点を繋ぎ止めようとしているのか…。

五十路を迎え単身の身で実家に戻った私にとって、少々切なく映る光景だった。

 

    わけもなく誉められているおでん鍋

  

Cat


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2014年

12月

30日

手探り介護模様

耳が遠くなってしまった父に足か不自由な母。パーキンソン病、などという話まで出て、

実家は明らかに<家>としての機能か麻痺し、維持できなくなっていた。その認識の下、

両親にとっての安全な生活環境を整えることが、先ずもっての自分の役割になった訳だ。

だが結局、私はその責任を果たすことが出来なかった。

 

私は親との関係がどこか煩わしく、どの局面でも同居という形だけは避けて対応を考えてきた。

『そんな自分の往生際の悪さも、この結果の要因となったのだ』そう思わずにいられなかった。

 

・食事の支度

・給水・食事の介助

・オムツ交換 

・着替え介助  

・トイレ介助 

・蒸しタオルで体を拭く

・床擦れ防止の体位調整(体ほぐし)

 

介護となれば当たり前のことばかりだが、突然の母親の身体介助に戸惑いを感じた。

初めてアルバイトを体験した時のように、どうにも要領を得ず右往左往としていた。

 

最も難儀だったのがベッドから出る動作だった。

どうしも右足の可動に影響が及び「痛いっ!」と絞り出す悲鳴と共に、渾身の力で

私の腕を握り絞める。余程耐え難いのか、一人でに涙が零れていることさえあった。

耳に刺さる悲痛な声は聞くに堪えず、慣れるということがなかった。

 

「痛み止めを追加して欲しい」とせがまれる。

安静にさえしていれば苦痛も小康状態で、薬の一時的な感覚麻痺が無理な動きに繋がり、

傷の悪化を招いてしまえば元も子もない。薬の服用は処方の範囲に止めようと説得した。

 

ベッドに座り、足湯をしているとケアマネージャーに言うと、訪問入浴をすすめられた。

浴槽を持ち込むため、隣室で寝起きする私の生活道具をいちいち整頓し直す必要が出る。

どうせ一日中張り付いているのだから、自分で入浴させられないものかと、やってみた。

 

ベッド上で出来る限り脱衣させ、浴室まで運ぶことになるが、

母は身長145㎝、骨折以前の体重45㎏と元々が小柄な上、

この時点で、体重が30㎏台半ばにまで落ち込んでいたこと。

実家の深い浴槽の縁と座椅子の座面を同じ高さにできたこと。

そこに座れば、少しの横移動で湯船に入ることが出来たこと。

これらの要素があって、自分一人での入浴介助が可能になり、

回を重ねる度に手順のコツも掴め、この形が続いていくことになる。 

母が転倒骨折で救急搬送されてから、1年10か月後のことだった。

 

      夜景から夜景へ架かる霧の橋

  


2015年

1月

11日

診断パーキンソン病

回復はほぼ医師の診断通り、薄皮を剥がすように少しずつ少しずつといった具合。

半年も過ぎ気候も良くなってくると、ようやく自力での移動を試みるようになる。 

 

「まだ痛みも残っている、無理はしないように」忠告する周囲も余所に、室内に持ち込んだ

手押し車にしがみつき、なんとか立ち上がり歩き出そうとする。しかし、一歩目がなかなか

踏み出せなかったり、その場で小刻みに足踏みを繰り返すばかりで上手く前進出来ずままならぬ様子。

 

<パーキンソン症候群>が進行しているのかもしれないと、神経内科に検査を依頼。

改めて<RI>という検査を半日近くも掛けて受け、正式にパーキンソン病と診断。

母は特定疾患の指定難病患者となった。

 

パーキンソン病は<振戦>という規則的な手の震えが現れることで知られるが、母の場合、

歩行、特に歩き出す時に難があるものの、安静時に体のどこかが震えるということはない。 

症状に個人差はあるが、いずれにしても脳内の神経細胞の減少によって運動機能が衰える病で、

神経伝達物質ドパミン補充の投薬対処療法が中心となる。発症原因は不明で根本的な治療法が

未だ見つかっていない進行性の難病である。 

 

高齢になっての発症は「年のせい」と発見が遅れてしまうことも、ありがちなことで

「やはり、転倒骨折の時点で既に症状が出始めていたのだろう」そういう診断だった。

 

7月、薬の調合を見直すため、リハビリを日課とする約3週間の検査入院に入ることに。

整形科で右足の状態確認を受けながらの入院で、処方薬メネシットが1日1・5錠から

2・5錠に変更。病院のリハビリ科は入院患者が対象ということで、退院後は最寄りの

施設でリハビリを継続するよう<診療情報提供書>を持たされての退院となった。

 

一定の距離の移動には車椅子はまだ手放せない。しかし、自力で動ける範囲を

少しでも広げようと、母は片手に杖をもう片手は私の手を握り締め立ち上がる。

 

パーキンソンの進行の不安が無い訳はない。だが、肉離れからの回復がそんな不安を紛らせていた。

退院はちょうど土用丑の頃、やはり「鰻を食べて帰ろう」となった。母にとっては久方ぶりの外食。

私達はようやく少し一息入れ、帰宅の途に就くことができた。

 

       女・女・男・女と土用灸

 


2015年

1月

21日

リハビリ特化型デイサービス

「最寄りの施設で」と、言われたリハビリの再開をどうするか…。

指定難病患者と認定されると、その診療について一定額以上の医療費の負担が免除される

医療費助成制度があり、薬の処方や訪問看護・訪問リハビリなどもその対象となっている。

『訪問リハビリを頼むか、設備の整った医院への通院か…』と思案していたところ、つい最近、

リハビリ特化型のデイサービスが近くに開設した。という話をケアマネージャーが持ってきた。

 

入浴や食事ケアのないリハビリ中心のメニューで、拘束時間も短い。行ってみると、

通り慣れた道沿いのテナントの一階がそのデイサービスセンターに改装されていた。

50㎡程のスペースの間口に10人程が座れるよう、テーブルと椅子が置かれていて、

奥には間仕切りでトイレや事務室、壁沿いにリハビリ用の専門器具が並べられていた。

 

応対に出てきたのは180㎝程の上背の30歳に届くかどうかという、柔和な面持ちの青年で、

理学療法士の自分がここの管理責任者・センター長だと自己紹介の後、一通りの説明を受けた。

 

一度の受け入れは10名まで。要介護者場合、一回の利用が3時間、送迎付き。

先ずはバイタルチェックで体調確認の後、途中に休憩を挟みながらスタッフの

サポートの元、専用器具で実質2時間のリハビリや生活行為の訓練などを行う。

午前か午後かの時間帯を選び、週に2回位のペースで通うのが一般的な利用の

形だということ。まだ若いがセンター長の人柄は実直で好感が持てそうである。

 

こちらも、これまでの母の大体の経緯を説明すると、

「定員にはまだ空きがある、体験利用に来てみないか」と案内を渡された。

開業して間もないためか、案内はコピー用紙に刷られた簡単なものだった。

 

母は介護保険一割負担、デイサービスは<医療>ではないので指定難病患者であろうが、

費用負担に助成はない。だが「送迎付き」の条件が魅力で母に提案してみようと思った。

「お前がいいと思うのなら、異存はないよ」母はすんなりと提案を受け入れたが、

体験利用参加や通所は猛暑の8月を控え、9月から始めようということになった。

 

     どのバラも褒めつつ母は愁いがち

 


2015年

2月

01日

ひと時の安息

介護認定の更新で要介護2と判定され、丁度1年。認定の有効期間は2年だが、

正式な指定難病の認定を機に、ケアマネージャーの導きで区分変更を届け出た。

満85歳、この年から母は要介護3になる。

 

ケアマネージャーは認知能力のテストも行った。

「はさみ・かえる・みかん・ふとん」といった適当な単語を幾つか聞き取り、

その場で順番を覚える。その後、簡単な計算をしたりして別のことを考える。

そして、最初に聞いた単語をまた正しい順番で言えるか、というようなもの。

認知機能については、まだ大丈夫だということだった。

 

右足の痛みも完全に消えておらず、長時間の立ち姿勢もまだ困難。それでも、定時に起床し、

室内や庭先で杖歩行の訓練を再開できるまでに回復している。そのことが母自身はもちろん、

家族全員の励みもなり「もう少ししっかりしてくれば、近場でいいから秋には温泉に行こう、

お前にも元の生活に戻ってもらえる」そんな言葉が聞けたりもする。

 

ケアマネージャーに神経内科主治医からの<診療情報提供書>を渡し、手続きを依頼。

火曜と木曜の午後から要介護の人達ばかりが集まる利用枠にまだ空きあるということ。

母にとっても午後のほうが体もほぐれ出し、好都合である。

 

9月に入って2週目の火曜日、体験利用当日。

自宅から1㎞程、肉離れ以前の母なら杖で歩いてでも通えそうな距離のデイセンター。

「送迎をしてもらわなくても、ここまで歩いて来れるようになるといいな」そう呟き、

「よろしくお願いします」と孫のような齢のセンター長に挨拶をする母が微笑ましく、

『どうかこのまま順調に進んでいってくれますように』ただ、そう願うばかりだった。

 

    源流を守る蝮(まむし)が居るといふ

 


2015年

2月

11日

デイサービス体験利用

体験利用としての初日は、このセンター長が母を担当することになった。

主治医からの診療情報提供書には、現症についてパーキンソン病以外に変形性膝関節症の

記載があり、転倒骨折、両下肢の筋力低下、痛み、の項目などにもチェックが入っている。

 

パーキンソン病自体は痛みを伴う病気ではないので<痛み>の中心は右大腿部にあり、

まだ完全ではないことを重点に、私が骨折から今日までの経緯を改めて説明し直すと、

センター長は母を椅子に座らせ、左右の大腿部の太さや筋肉の状態の確認を開始した。

 

肉離れで左より細くなった右がこの時、また太くなり始めていて、

「右足には筋肉がついてきている、むしろ今は左よりも太い」と。

さらに「骨折した左足を庇う癖がついているのではないか」とも。

すると母が「あまり強く力を入れないで、マッサージのような揉み解し行為はまだ医者からも

止められているので」などと言っている。見ると確かにセンター長の両手は母の右腿に巻かれ、

じんわりと揉み解しを行っているように私の目にも映った。

 

私には3歳違いの弟がいる。弟はその道一筋の鍼灸マッサージ師で、帰省の折には両親への

マッサージを習慣としていたが、肉離れ以降の母にはそれを一切しなくなり、私に対しては

「診察の際は、医者にマッサージの可否についても聞いておくように」と用心を意識付けた。

マッサージの感触を熟知している母は、センター長の手から伝わる力をその類のものと感じ、

忠告を入れたようだった。

 

「右足への圧迫はまだ禁物」その医者からの忠告を私もその補足したところ、センター長からは

「負担を掛けている右足にコリがある、原因は血流の滞りで、そのままにしておくのは良くない、

 大丈夫、右足は強くなってきていますよ」という返答。

 

それから、専用器具を用いてメニューを一通り体験していくことに。そして、一つのメニューを

終える度に、センター長の両手を母の右腿に巻く行為が繰り返され、またその度に神経質そうに

母からの「力を入れすぎないで」と忠告を入れる場面が繰り返されていった。

 

肉離れで約半年、苦闘し難病指定を受けた老人が、新規介護施設の責任者となり意気込む若者に

身を託すことになった。その二人には絶対的に違う心拍数というか、温度差のようなものがあり、

母は本能的にそれを感知し警戒している様子だった。

 

この体験で問題かなければ二日後からは正式利用となり、週二回の通所が始まることになる。

「母がこれだけ慎重になるのは、本当に痛い思いをしてきたからなのです」と私は付け足し、

 理学療法士としてのセンター長の処置を見守っていた。

 

     カナカナや病院にある開かずの窓

 


2015年

2月

21日

正式利用開始

母はセンター長から、肉離れの右腿に揉み解しを受けたと確信を持っているようで、

「今日は少し疲れた、変な揉み返しが来ないといいのだけれど」と訝しげに言った。

一方、私は「そう神経質になるな、続けていくうちに体も慣れていく筈だから」と

母をなだめていた。

 

翌日「摩られた右腿が少し痛い、やっぱり揉み返しがきていると思う」と言い、

母はトイレに行く以外はじっとベッドに寝ていて、体を動かそうとしなかった。

「明日から本利用だけど、来週からにするか?」と聞くと、

「行こうと思っているよ、頑張るから」そう返事を返えす。

リハビリに取り組む意欲が萎えている訳ではないと安堵し、

その翌日、利用契約を交わすため、私はデイサービスに一人で出向いた。

 

そのセンター長の送迎で始まった本利用当日。

「右腿について、体験日の運動と処置の反動なのか、少し痛みを訴えている、

 今日はよく注意して看てやってくれ」と伝え、母を送り出すことになった。

 

帰宅後、母は「今日のリハビリは右腿にひびいて駄目だった、一昨日に体験の足を鍛える運動は

ほぼ無理で、ロープを使った腕の運動などもきちんと力を入れては出来なかった」と振り返った。

残り時間の大半はソファーベッドで女性スタッフに足を摩ってもらっていた、ということらしい。

「やっぱり揉み返しだと思う、じっとしていればそれ程でもないのだけれど…」と不安気な調子。

 

来所時のバイタルの測定結果やセンターでの過ごし方を伝える連絡帳には、

「座位でのゆっくりとした運動を1時間程実行(残りの時間は)膝と腰の痛みの訴えがあり、

 横になって頂き対応した」とあった。最初に申告した右大腿部のことは触れられておらず、

 母の話とも少しズレがある。

 

しかし、そのことが後に論争の焦点になってくるとは、その時には思うこともなく、

母の気持ちがブレないように励まし、ペースを作っていく事が自分の役割なのだと

「誰でも慣れない運動をすれば多少の筋肉痛位は出る、前向きに考えていこう」と

私は母への鼓舞を続けていた。 

 

     夏帽子載せステッキがこけてゆく

 


2015年

3月

01日

利用停止・通院開始

体験利用から一週間経ち、次の火曜日。母の右大腿部の違和感は相変わらずで、

「むしろ少し強くなっているような…、今日は休む」となり、欠席することに。

「次回の通所については復調の様子を見ながら決める」と連絡を入れたのだが、

 

結局これ以降、再開を実現する日が訪れることはなく、このデイサービスでの

リハビリは2回の通所をもって終了することになる。

 

それからも、母の右足は時計を巻き戻すかのようにじわじわと痛みが強まり、

その週末には、立ち上がることさえ苦痛を訴える程、状態が悪化していった。

ついには「どこか通いやすい整形を探して、連れて行って」と言い出す始末。

 

通いやすい整形…。

肉離れの時に往診を頼んだ医院はバリアフリーの設備も駐車場も整っていなかったり、

総合病院は家から近いとはいえず、駐車場から診察室まで移動も手間が要ったりとか。

車から降りて直ぐに診察室に入れる設備が整っているところ、

待ち時間でも車内で横になって待っていられるようなところ。

そういう整形医院を探してくれ、と言う訳で…。

 

「個人開業だが設備も整っていて、丁寧に看てくれる先生」と知人から紹介を受けた整形医院。

体験利用から二週間以上が経過した初診日には、更に痛みが強まり、診察台に寝ることにすら、

看護師の介助が必要なまで状態が悪化していた。

 

確かに医学的な専門知識、骨密度やら骨粗鬆やら、新しい治療方法など説明は大変丁寧だったが、

それがそのまま患者の話を聞く丁寧さにも反映されるとは限らない、効果的に治療に反映させて

欲しいと、こちらが話す経緯も、どうにも言葉が届いてないようで心許ない、そんな医者だった。

 

レントゲン検査の結果、骨には異常なし。

母は痛みが悪化し始めたデイセンターでの経緯を賢明に説明する。だが医師からは

「自分はその現場にいた訳ではないので、因果関係については何とも言えない」と。

 

『交通事故に遭った場合と同じことだった』と思っていた。

その場で直ぐに怪我などなくても、強い衝撃を受けたり体のどこかに違和感があれば、

日にちが経ってから症状が現れることもあるので、とにかく医師の診察を受けておく。 

そんなこと十分に知っていた筈なのに…。

リハビリを再開し、生活を戻すことに気が逸り過ぎていたのか、私はこの局面で母に、

その教訓をいかすことができなかった。

 

転倒骨折、パーキンソンと診断され、肉離れから半年を掛け、再び杖歩行が可能となり、約2か月。

この時間が母の人生において、人の手助けを借りることなく自力で移動が叶った最後の時となった。

回復傾向にうかれていた自分が、ただ苦々しく思えるばかりだった。

 

   浮雲にまた蟷螂(とうろう)が乗りそこね

 


2015年

3月

11日

検証会談要請

当然、ケアマネージャーには経緯を報告することになる。

ところが、この<副主任>という立場のケアマネージャー、パーキンソン病患者にとっての

リハビリの重要さを知らない筈もあるまいに「そうですか…」と困惑の反応は見せるものの、

自分なりに質問を返し、より詳しい事情を確かめようとか、今後のデイセンターとの対応の

有り方など、相談に乗ろうといった様子が見受けられない。

 

9月の定例訪問はいつも通り、翌月の介護保険の利用確認だけで終わることになった。 

そもそも、デイサービスを紹介したのはこのケアマネージャー自身なのに、なんとも

素っ気ないこの態度には、逆にこちらが困惑するばかりだった。

 

10月に入り、契約後一度だけ通った請求書が上がってきて、

「精算の手続きをとるように」とセンター長から電話が来た。

『利用者からの相談・苦情に対応する窓口を設置し、迅速かつ適切に対応する』との条項が

契約書にはあり、重要事項説明書には、その苦情処理の担当にセンター長自身の名前がある。

 

・母がリハビリに復帰できないのは単なる筋肉痛や揉み返しなどではなく、

 治療に通わなければならないほど痛みが進行していること。

・痛めている箇所はセンター長がコリがあると言って何度も両手をまいた

 右大腿部であり、母はその<揉まれ方>が強すぎたと訴えていること。

 

以上の要点を電話口で伝え「検証会談の座を設けてもらいたい」とセンター長に要請。

それに対し、センター長は「マッサージ、揉み解しを行ったつもりはない」と答える。

「母は高齢で要介護3の身であっても、認知障害がある訳ではない」と私は念を押し、

「自分は母の代理として契約条項にのっとり、苦情対応を要請している。会社として

 賠償や事故処理対応の担当者の同席を求める。当事者としての言い分があるのなら、

 その会談の場で確認させてもらいたい。利用料金はこの苦情に決着がついた時点で

 精算させて頂きたい」と伝えた。

 

「了解した、本社の担当に報告をして連絡を入れ直す」とセンター長は返答。

連絡を待つことになった。それから二週間、デイセンターからの音信はなく、

その連絡を待ったまま10月末のケアマネージャーの定例訪問を迎えることになった。

 

       半顔に麻酔の残る台風圏

 


2015年

3月

21日

ケアマネージャーの役割

相談・苦情の窓口の担当者が施設の責任者。

利用者からの苦情対応の要請を独断で止めているのか…。

行政の認可のもと成り立つ通所介護事業、そんな判断あり得るだろうか…。 

本社に報告はしたものの「放っておけ」ということになっているのかも。

 

母は揉み解しを受けたと確信を持っているし、自分の目にもそう映った。

一方、センター長は「行ってはいない」と主張した。

医者は「因果関係は自分には特定できない」と言う。

センターに誠意がないからと、闇雲に訴えても「やった、やらない」の

水掛け論が展開されるだけなら、それは短慮ということにしかならない。

一定の誠意のもと、検証会談を実行するには仲介者が必要だと思われた。

 

こんな時こそ、ケアマネージャーに動いてもらわなければならない。ということで、

「デイセンターには誠意がないと思われる、会談の仲介をお願いしたいのだけれど」(私)

「介護サービス利用のための手配・手続きを行うまでがケアマネージャーの役割で、

 立場上も中立が求められる、トラブルなど事後の話し合いは仕事の範囲ではない、

 会談は当事者同士でお願いします」(ケアマネ)

 

そんなケアマネージャーの反応に私は戸惑いを憶えた。介護サービスの利用を整えるために、

ケアプラン・介護計画を作成し、事業者との連絡や調整を行うことがケアマネジャーの役割。

どこをどう間違えれば、利用者が事業者と契約を交わした以降の交渉事には感知しない、

関わらない、といった話になってくるのか、そんな了見で制度そのものが成り立つのか。

ケアマネージャーのこの言い分を黙って受け入れる気になれず、私は問い掛けを続けた。

 

「自分の身体ケアも困難な要介護度の高い人がトラブルに見舞われたとしたら、

 頼れる身寄りがいない人、当事者間だけでは話がこじれると予想される場合、

 サポートが必要な状況もある筈、相談を受けることもあるのでは」(私)

「自分にとってこんなトラブルは初めてのことで、よくわからない」(ケアマネ)

「私の身に何かあった時は、誰が母の代理を引き継いでくれるのか」(私)

「支所に帰って過去の記録を調べてみる、センターには連絡を入れるように伝えておく」(ケアマネ)

こんなやり取りに戸惑いと苛立ちを憶えたが、ここは返事を待つことに。

 

「支所には過去に起きたトラブルの記録などはなかったし、やはり、施設との交渉は当事者同士で

 お願いしたい。介護や福祉に関してのサポートや相談の窓口は地域包括支援センターであるので、

 以後の相談はそちらに依頼して欲しい」と結局はそんな回答を聞かされることになった。

 

「味方をしてくれとは言わない、だが、双方の言い分だけは直接聞いておいて欲しい」と

訴え直すも、もはやケアマネージャーが私の要望を聞き入れることは一切なく、これ以降、

このケアマネージャーが役立ったのは「私達が連絡を待っている」とセンター長へ託ける

伝言係りだけだった。

 

センター長からは「本社に引き継ぎ直す」と返事を受けたとのことだったが、

それで連絡が入ることはなかった。迅速さが何より肝心の初動対応。しかし、

その対応のための態勢を整えることに手間取っている。そんな状況が、ただもどかしかった。

 

   プードルのようなおばさん秋旱(あきひでり)

 


2015年

4月

01日

居宅介護支援事業所の役割

契約が成立している介護事業所への苦情の申し立て、関わりを拒むケアマネージャーの姿勢、

私には「責任放棄」としか映らない。そこで支所長にも面会を求め、質問をしてみたところ、

「自分もこの種の相談を受けた経験がないし、支所にも過去の記録はない」と、

回答はケアマネージャーと同様のもので、アドバイスも聞けないまま終わった。

 

設立して20年、居宅介護支援だけでも市内に6支所を展開する社会福祉法人である。

どうにも合点がいかず、本部に電話し事業所としての考え方を聞いてみることにした。

1・

支所には過去にトラブルの事例も相談を受けた経験もないということだが、

各支所で起きた事例をデータとしてまとめるシステムはできていないのか?

事業所全体として各支所の事例をどのように把握しているのか?

2・

自分の身体ケアも困難な要介護4・5という身の上の人がトラブルに見舞われたとして、

頼れる身寄りがいない人、又は当事者同士だけでは話がこじれると予想される場合など

相談を受けたとき事業所としてどう対処するのか?

 

応対に出た担当課主任からの回答。

1・

各支所の事例を集積するシステムはある。ただし集められるのは裁判に発展した場合のみ。

トラブルが起きたとしても、当事者間の話し合いで解決をみたケースはその限りではない。

これまでに裁判沙汰を経験したことがないので、本部には各支所の過去の事例がまだない。

2・

介護サービス照会から利用の手続きを整えるまでが居宅介護支援事業所の役割であって、

(ケアマネージャーの説明通り)トラブルの話し合いや仲介などは仕事の範囲ではない。

地域には自治会があり民生委員もいる。後見人制度もある。

必要なサポートの態勢は社会全体として機能している筈だ。

今後はスタッフがそのように即答できるよう徹底していく。 

 

設立20年、居宅介護支援を市内に6支所。支所長も相談を受けた経験などないと言った。

この事業所は幸運にも、このようなトラブル沙汰とは無縁に運営してこられたというのか。

果たしてそんなことあり得るのか?ただ単に関わらないようにしてきただけではないのか?

今までも、話を聞いて欲しくても誰からも相手にしてもらえずに、諦めてしまった人達が

いたのではないのか?そんな疑念だけが残る問い合わせの結果となった。

 

「相談事は地域包括支援センターへと」と言っていたケアマネージャーだったが、

本部と私とのこのやり取りを受けてのことか、そんな話すらも何処かへ消え去り、

「センター長には連絡を入れるよう伝言しておくが、以降の相談はこの人に」と、

担当民生委員の連絡先を書いたメモ書きを手渡し、帰って行った。

 

これ以降、私はケアマネージャーの存在を単なる<経緯の証人>として割り切り、

デイセンターの苦情だけでなく、介護についても一切の相談を持ち掛けなくなる。

それは私にとって、介護を一人で抱え込んでいく事態への直結を意味するのだが、

この時の私は、その深刻さについて、まだ十分な理解を持ち得てはなかった。

 

      なかなかに真底見えぬ秋の川  

 


2015年

4月

11日

民生委員の役割

平成25年時点、私たちの<市>の場合、介護自己負担1割の所得の人は概ね、

紙おむつ代助成の対象となっており、母もその給付を受けるようになっていた。

あくまで要介護認定者が対象であるが、これは介護制度とは別に各自治体が独自に行う

施策なので、申請はケアマネージャーではなく、民生委員が担当することになっている。

 

地区担当民生委員Tさんと最初に会ったのが、その介護おむつ支給の申請を

依頼した時、平成25年はちょうど民生委員の3年任期が終了する年だった。

 

Tさんは年齢70過ぎの女性。

母の状態や介護の様子を聞きながら、自分も姑の介護の経験があるということ。

その時は支給制度どころか、紙おむつそのものがまだ普及していなかったなど、

Tさんの体験も話題に上った。

 

引退したくても、そうもいかないらしい。

次の引き受け手が見つからないとのこと。

「それほど、民生委員の仕事は煩雑で時間を割かれるのですよ」と。

例えば、万引きなどの軽犯罪で、地元警察から急に身元引き受けを頼まれたり、

借金の相談、金は貸せないけれど、話を聞いたりしていると半日位すぐ過ぎる。

学校の先生との交流会などの必須の行事、講習会や研修などもあって…。

 

「御年も御年だし、無理なものは無理と断わられた方がよいのでは」と言う私に対して、

「もっと高齢でも引き受けている人もいる、誰かがやらなければならない事だから」と。

 

「民生委員は介護認定や生活保護など、必要な行政サービスが受けられていない人を

 関連機関につなぐのが役割で、介護認定を受けていることが前提のおむつ申請など、

 本来ケアマネージャーの仕事では」と私。

「そういう話題はしょっちゅう出る、ケアマネージャーから介護関連の事後対応を

 丸投げされることもあって、憤慨する民生委員もいますよ」そんなこともあると。

 

『正に今回の自分達のケースがそうではないか…』

痛みが戻りまた動けなくなった母は、無念を訴えているというのに、ケアマネージャーは

デイセンターとの対応やリハビリの再開についてさえ、こちらから話を切り出さない限り、

もはや、自分からは一切触れようとしない。

「センターは連絡して来ない、完全に無視されている」と言ってみても、

「センター長に伝言をしておいた」と、その範囲の連絡を繰り返すだけ。

それが11月末までに、計3回行われることになる。

 

今後の展開も読めず、こじれていくかもしれない厄介な交渉の立ち会いや仲介など、

無償で活動する民生委員の役割としては、それこそ、範疇外としか思えない。だが、

ベテランのTさんからなら、何か参考になる経験談でも聞けるかもしれないと思い、

私はこの一件をTさんに相談してみることにした。

 

     もっともっと夕日が欲しい木守柿

 


2015年

4月

21日

社会福祉協議会へ

 

ケアマネージャーは報酬を伴う職業。一方、民生委員は無償が前提の善意活動。

それでも「それは大変」と気さくに相談に乗ることを了承してくれた民生委員のTさん。

そんなTさんにケアマネージャーが「役割でない」と放棄した介護サービスでの相談を

引き継がせていくことになった。

 

一通り話を聞き終えたTさんからは、思案する様子もなく割と直ぐに

「民生委員地区会長に相談してみる、後日連絡し直す」と返事をされ、連絡を待つことになり、

「社会福祉協議会に民生委員児童委員協議会連合会という組織があり、民生委員の役員がいる、

 そこに相談に行きましょう」ということに。

Tさん、地区会長、私の3人が市の社会福祉協議会まで足を運ぶことになった。

 

要するに、このような役目は自分の手に余ると思ったTさんは地区会長に話を上げる。

また、その地区会長が同様に市の連合会まで話を持っていった。ということのようで、

『やはりこんな話、迷惑でしかなかったか』と恐縮するばかりとなった。

しかし、民生委員殿各位はそのような素振りを微塵も見せず、丁寧に話を聞いてくれて

「最近は色々な形態の事業所が次々と出来ているようで、実情を知っておかないと」と、

さながら勉強会のような座になっていった。

 

介護認定の申請は市の職員やケアマネージャーが市役所介護保険課に届けるが、

認定を受けた後でも介護おむつの支給は民生委員が健康長寿課に申請を届ける。

そんな<役割分担>を短絡的に見てしまうと、介護サービスの事後対応までも

民生委員に丸投げするケアマネージャーが出てきてしまうことになるのか…。

 

支援事業所が「仕事の範囲ではない」と言い切る以上、制度上規定がないのかもしれない。

ただ、このケースは専門知識が備わっているとは限らない民生委員には、やはり荷が勝つ。

「ここは代表が弁護士で法律的なアドバイスも聞ける筈だから」と成年後見人申し立ての

相談などが主な活動だという地元のNPOを紹介されるという運びとなった。 

 

自分が担当する介護サービスの相談事を民生委員に引き継がせたケアマネージャーへの違和感。

それでも、言われるがままに動くしかなかった置かれた状況への焦燥感。民生委員への相談は、

そんな<ちぐはぐさ>だけが跡に残る結果に終わった。

 

       先生に相談をする一周忌

 


2015年

5月

01日

性善説の制度

苦情対応のサポートなどは居宅支援の仕事の範疇外として、民生委員にでも頼めと言うが、

当事者だけでは話がこじれると予想される場合、専門の知識・経験が必要な場合もある筈。

事業所として範疇外であっても、この役割は制度の中で引き継がれるべき事ではないのか。

 

ケアマネージャーは民生委員の連絡先のメモ紙一枚を渡し『自分の役割は終わった』と

肩の荷を降ろし、事の進展を確かめようともしない。何故このようなことが起きるのか、

個人や事業所の資質の問題か、それとも制度そのものにそれを許す<欠落>があるのか。

 

介護サービス利用時に受け取った重要事項説明書には事業所に対しての苦情受け付け先に、

市の介護保険課、県の国保連合会の記載がある。他にも相談窓口は地域包括支援センター、

運営適正化委員会などもあるが、先ずは、市の介護保険課に現状を訴えてみることにした。

 

「話し合いは当事者同士で行い、納得できない場合には裁判をすればよい」支援事業所と

同じ返事を返され、その当事者間での話し合いのサポート体制ついては回答は出てこない。

「運営適正化委員会に聞いてみろ」となり、それ以降は各相談窓口を巡回していく羽目に。

 

となると、地域包括支援センターなどにはケアマネージャーが民生委員に丸投げしてしまった

役割の依頼にも相談を広げていけば良かったのだが、そのケアマネージャーの有り様の是非や、

制度上の疑問点に拘る私は、そのことばかりに重点をおいて、訴えを続けてしまうことになる。

そして、これは制度自体に関わることだからと、最後はまた、市役所に相談を戻されることに。

 

改めて応対に出た担当は「居宅介護支援事業所やケアマネージャーが自らの意志で関わる仲介や

サポートを妨げるものではない、だが『やれ』と強要できるものでもない、規定そのものがない」

そして「性善説に基づいていると言われれば、そこまでだが」と申し訳なさげに前置きした上で

「そこまで想定して制度自体が作られている訳ではないのです」と。

 

「退院後、要介護者がデイサービスなどの利用が上手くいかず、機能回復訓練が中断したりすると、

 訓練・リハビリ再開を目的に、入院時の回復状況を病院に確認しにくるケアマネージャーがいる」

後になり、総合病院の地域連携室のスタッフから聞かされることである。

 

制度上の規定があろうがなかろうが、必要なことは必要と判断し動き出す人間もいる。

自分の役割ではないと、ケアマネージャーが動きを止めてしまうような支援事業所は

地域包括支援センターに相談し、直ちに別の事業所を探すべき、という結論なのだが…。

 

この時の私は到底そんな発想になれる筈はない。どれ程の無関心を決め込まれても、

この経緯に直接関わり、誰よりも正確な事情を知っているがこのケアマネージャー。 

『信頼関係が成立していなくても、交渉決着までは担当を替える訳にはいかない』と

私は、もやは<飾り物>でしかないケアマネージャーを母に宛がい続けていた。

 

       直上といふ逃げ道を雪蛍

 


2015年

5月

11日

無料法律相談

ケアマネージャーの伝言も含め計4回の会談要請、未だ、デイセンター側からは

連絡が来る様子はなく、否応なく『誠意のない組織』との心づもりを強いられる。 

 

「先ずは、当事者同士で話し合い、それで納得が出来なければ裁判で決着させよ」 

幾度となく聞かされた台詞が蘇る。このケースでの法律的な判断を確認しておくことも

必要かと、とりあえず、市役所市民相談室の無料法律相談を申し込んでみることにした。

 

市の委託を受けた県弁護士会所属の弁護士が、制限時間30分の相談を流れ作業のように熟していく。

相談者に事務所や弁護士名は知らされず、時間切れとなれば「詳しくは正式な法律相談で」とされる。

私自身も、事の概要を伝えるだけで時間が過ぎてしまうことになった。

 

日本弁護士連合会が<高齢者・障がい者のための無料電話法律相談>を設けている。

それが各都道府県の弁護士会にもあり、そこにも相談を掛けてみた。こちらは一旦

電話が繋がり、相談が始まってしまえば、多少の時間の融通が利いた。

 

ふたつの相談の結果をまとめると、

仮に話し合いを行っても双方折り合いがつかず訴えを起こすとなった場合、訴える側に

立証責任がある。今回のケースの場合は医療事案ということになり、医学的見地からの

立証が必要になる。いずれにしても専門性の高い分野なので、経験のある法律事務所を

探し、正式に相談をしたほうがよい。

 

医療機関でははない介護事業所で施された処置についての検証をせねばならないのだが、

診断を受けた医師からは「因果関係については自分の口からは言えない」とされている。 

むち打ち症のように日にちをおいて症状が現れたため、診断までに間が空いてしまった。

適切な検証を進めていくために求められる一定の誠意。そこがおぼつかないときている。

最終的に「立証しろ」とされてしまえば、今となっては、もうどうしようもないのでは…。

 

やはり、会談の立会はボランティアのような立場でなく、制度の中で役割を担っている人間。

そういう立場の<監督>が必要な状況なのだ。だが、そこに拘っていても、前には進まない。

 

平成25年12月、母の肉離れで実家に戻って丸一年。母にとっては右足の痛みの再発で、

ほとんどベッドに寝たままの一年だった。肉離れの時はどれ程の痛みがあっても、母には

回復してまた自分の足で歩くという気力があったけれど、それがこの時にはもうなかった。

痛みさえ感じなければ他はどうでもいいというか、疲れて諦めてしまったというか…。

 

『とにかく、このままでは正月など迎えられない』

年末年始の休暇が、もうすぐそこまで迫っていた。 

 

       月光の家目ざましが鳴り止まぬ

 


2015年

5月

21日

センター長呼び出し

人身事故として救急搬送されるなど、その時点での診療記録が残されてるのならまだしも、

問題とする処置が施されたその翌々日もどうであれ通所した。リハビリセンターとはいえ、

デイサービスはあくまで介護事業所。残されている記録の信頼性に多くの期待は持てない。

まして私は「状態の悪化はゆっくり進んだ」と言ってしまっている。やはり、センターは

端から「相手にする必要なし」と高をくくっている。その前提で事を運ばなければならない。

 

民生委員から紹介されたNPOの活動内容は、成年後見人制度に関する事業が中心ではあるが

「介護サービスの質の向上に関する活動」という項目もある。相談すれば会談の立会人い位は

引き受けてくれるのだろう。しかし、そうした方が良いのかどうか…。 

 

医学的因果関係の立証が今更困難となると、センター長の医療人としての実意に訴え、

嘘のない記憶を語ってもらうしかない。なんとしても、その環境を作らねばならない。

 

介護制度上の監督から外れた責任の無いのボランティアの仲介がそれにつながるのか…。

再三の会談の要請も聞き流されている状況、こちらが身構えている姿を見せるほどに、

却って、先方にも想定問答など責任回避のための準備をさせてしまうだけではないか…。

そんな思案が錯綜していた。

 

平成25年12月、仕事納めまであと10日ほどと押し迫り、

午後のサービスの頃合いを見計らい、前ぶれなくセンター長へ呼び出しの電話を掛けた。

「今日、仕事が終わったら、どのような経緯になっているのか家に説明しに来て欲しい」

「今日は所用が…」(センター長)

「その所用が終わってからで構わない、何時になっても待っている」(私)

「それならば、7時に」とセンター長は時間通り来宅した。

 

母は自室に寝ていて玄関脇の客間にセンター長と私、一対一。

「今日、まだ本社から連絡が入っていないと(私から)聞いて驚いている」(センター長) 

「最初の私の直接依頼とケアマネージャーの伝言で計4回、同じことが繰り返され、

 今改めて『驚いている』など、端から本気で取り次ぐ気がないのではないのか?」(私)

「本社にはその都度、連絡の要請を入れていた、本社からかも毎回『連絡する』と

 返答を聞いていたのだが、そこからの確認がおろそかになってしまった」(センター長) 

 

センター長のこの取り繕いに「いい加減にも程がある」と言ってしまいそうになり、私はこらえる。

このまだ若いセンター長の気持ちを強張らさせず、ありのままの記憶を話させることが今日の目的。 

早々に感情的になり雰囲気を緊張させてしまっては、敢えて立会い人なしの座を作った意味がない。

 

『穏やかに、冷静に』と私は自分に言い聞かせる…。

そして、センター長の実務歴がこの時点で7年目であること。センターで起きた事故やトラブルは

全て本社に報告し、社長又は副社長から事後処理の指示を仰ぐ態勢になっていることなどの確認を

織り込みながら、先ずは、センター長が自分の言葉で話をする間合いを作ることに心を砕いていた。

 

      ポケットの暖 見返れば開戦日

 


2015年

6月

01日

検証会談

往診の医師、パーキンソン入院での整形科医とリハビリの理学療法士、神経内科主治医、

そして、デイサービスセンター長。これまでに母の肉離れを触診してきた医療関係者の

内訳であるが、その中でセンター長の処置だけが他の医師達とは異なったものであった。

触診の域を超え、患部の<揉み解し>まで行為が及んでしまった。

「これが母の主張なのだが」と当日の検証に話を持ち込んでいく。

 

センター長は、母が<揉み解し・マッサージ>と感じ「止めて欲しい」と訴えていたこと、

二日後の通所日には<圧迫>を加えた箇所について「違和感がある」と母と私の双方から

申告を受けたこと、そして、その日は用心して母の足に触れることなく対応したことなど、

きちんと記憶していた。

 

その上で「揉み解し・マッサージではなく<評価>だ」とセンター長は反論する。

<評価>つまり、筋肉の状態を確認・把握するための診断の範囲だ、ということ。

当日、母が体験メニューをこなす度に、センター長は右大腿部に両手を巻く行為を行っている。

診断というなら、何故そう何度も繰り返す必要があるのか。少なくとも、他の医師達の診断は

そこまで執拗ではなかった。

 

「痛みの確認を行っていた」ということらしい。

「痛めた筋肉に<圧迫>を加え、痛みの反応を観る。痛みの確認をその都度行っていた。

 だが、その<圧迫>は力を十分に加減し、患部に負担がかからない範囲で行った」と。

 

その処置を母は、負荷の強過ぎる<揉み解し・マッサージ>と感じ「止めて欲しい」と

訴えている。それついてセンター長は「伝わり方の違いがあった」そのように表現した。

 

ならば<揉み解し>であれ<評価>であれ、そんな「伝わり方の違う」処置を繰り返すこと、

それ自体が不適切と言うほかなく、その患部に状態の悪化が出ているとなれば、因果関係も

併せ持って考えていくほかない。と私は話を詰めていった。

 

「座位でのゆっくりとした運動を1時間、後は痛みを和らげる為、横になって頂いたりして対応した」

二日後に通所したこの連絡帳の記載より、この日には2時間の予定スケジュールが消化できておらず、

異常の兆しが出始めていたとの認識を確認。センター長の処置が異常の原因となった可能性があると、

ここでようやく、その同意を得ることができた。

 

センター長は施設責任者として、会談設定の尽力がこれまでいい加減だったと改めて謝罪。

「責任を持って対本社会談の設定をする、必ず連絡を入れる」と約束。連絡を待つことに。

<5度目の正直>となるか結局、27日仕事納め・終業の日まで待つことになった。だが、

センターの午後のサービスが終わる時間まで待っても、やはり連絡が来ることはなかった。

 

    お歳暮が松から来たよ鳶(とび)の笛

 


2015年

6月

11日

本社、電話会談

音沙汰が無いまま、仕事納め12月27日午後。仔細確認の電話を入れる。

「まだ連絡が入っていないのですか?」(センター長)

「『年内に』と約束した段取りもそのままに、正月休みに入るつもりだったのか?」(私)

「連絡を入れると聞かされていた、確認と連絡はこれからしようと思っていました」(センター長)

「いい加減にも程がある、いつ誰に報告して何と返事されたのか、仕事が終われば

 仔細説明に来てもらいたい」(私)

「7時までには必ず」(センター長)

 

 この日、センター長は時間になっても来なかった。が、ここで初めて本社長からの連絡が入った。

 

「連絡をするようにとのセンター長からの要請で、電話を掛けさせて頂いております」(社長)

「苦情担当のセンター長に最初に要請をしたのは10月、なぜ今日まで連絡がなかったのか?

 センター長の説明は、その都度『連絡を入れる』と本社から返答された、というものだが」(私)

「悪意は全くない、私達のケアのありようは全てセンター長が礼節をもって説明をした筈だ」(社長)

「年内には会談の手筈を整えるとの約束なのだけど」(私)

「その(話の)目的は何なのか?目的がわからない」(社長)

「なぜ会談を要請しているか、改めて聞かないと分からない、把握していないということか?」(私)

「報告は全て受けている、とにかく、センター長がきっちりと説明しているということである」(社長)

「そもそも、なぜ私が会談要請をしているのかを理解しているのか、それ自体がまだなのか?」(私)

「悪意は全くない」(社長)

 

人を食った問答を繰り返すばかりの社長、電話は副社長に引き継がれることに。

 

「この状況は契約書の『迅速かつ適切な苦情対応・誠意をもった協議』に反することになる」(私)

「センター長からは『全て説明し終わり、対応は完了した』と報告を受けている、それでも

 訴えが出るようなら、本部まで電話してきてもらうようにと伝えた、契約違反などはない」(副社長)

「センター長から報告を受けたというのはいつの時点のことか?」(私)

「最初の電話の時だ」(副社長)

「これまでのセンター長からの説明と全く違う、ケアマネージャーに確認してもらえる、

 その経緯も含めて検証し直すため、センター長も交え会談の座を設定してもらいたい」(私)

「私達はセンター長を全面的に信用している、その必要があるかどうか検証し返事する」(副社長)

 

社長と副社長に本当に<悪意>がなかったのかどうか、私には知る由もない。だが二人は、先日の

センター長との会談での経緯を認めようとせず、双方の言い分は噛み合う要素が全く見当たらない。

私としては、センター長の説明の食い違いをそのままに先を進める訳にもいかず、問い正すのだが、

「私たちがセンター長から受けた報告にそんな事実はない」の一点張りで、全く取り付く島がない。

 

どうしようもなくなり「あくまでそう言い張るのなら、センターに出向き直接本人に確認し直すが」

そう言うと、副社長からは「営業妨害にならないよう、お願いします」と釘を刺されてしまう始末。

結局、対本社検証会談の設定も具体的な日時までは詰め切れず「検証し返事する」との取り付けを

引き出すまでが精一杯だった。

 

『決着に向け年内に一定の道筋をつける』そんな思いも空回りしたまま、また先延ばしにされ、

中途半端に閉じていった平成25年。本社とのこの通話が私にとっての<仕事納め>となった。

 

     短砲のようポケットのカレンダー 

 


2015年

6月

21日

筋膜損傷

母の右足の再悪化から丸三か月、私同様、妻帯に失敗した弟が一人で帰省した平成26年正月。

鍼灸マッサージ師の弟が、盆休みの帰省で母を観て以来、一転している状況。事情を伝えられ

「一体どうなってるんだ?」と詰め寄られるものの、父にそうしてきたように、弟に対しても

交渉についての経緯を話すことはしなかった。『今何か話しても、正月気分が壊れるだけ…』

そんな想いだった。

 

母にとって、息を殺したような時間の中でじっと痛みが消え去るのを願っているだけの正月だった。

私にとっても、そんな母をただ介護していたことしか思い返せない、そんな一年前と同じ年末年始。

副社長が「返事をする」と言ったがアテにできるのか、無意味な長い待ち時間。

それも終わるとまた病院通いが始まるだけ、そうやって過ぎていった正月休み。

 

デイサービスと入れ替わりに通い始めた整形医院は個人開業だけど立派な佇まい。

車椅子専用の駐車スペースが数台分、完全バリアフリー。リハビリ科まである。

とにかく痛みを取り去って欲しい、治療に役立てて欲しいと、ただその一心で

「治りきっていない肉離れの右腿を揉まれた、そこから痛みが強くなっていった」

母は一生懸命に説明する。

 

けれど医者は「因果関係・原因については何とも言えない」とより詳しく聞き直し、

その状況を検討しようとはしない。原因が分からない時こそ患者の話を詳しく聞き、

治療に反映させるのが医者の務めの筈なのに…。 

 

肉離れの時に往診を頼んだ医師にも診察を受けてみようということになった。

駐車場もなくバリアフリーでもないテナントの医院だけれど、くどい年寄の話も面倒臭がらずに

じっと聞いてくれる人柄で、パーキンソン病受診の神経内科の紹介状もここに頼んだ経緯がある。

 

母はここでも一生懸命に説明する。

「圧迫を受けたことで筋膜が損傷したのだろう」との診断。マイクロ波照射を勧められた。

それがどれ程の効果があるものなのか見当もつかない。だが、なによりこちらの話を聞き、

それをもとに診断してもらえたことに救われる思いがあった。

 

医院の前に別の車が止まっていると、隣のスーパーの駐車場から移動しなければならない。

それでもマイクロ波をあててもらいに行こうと、1月は二つの医院を掛け持つことになり、

次第にそちらの方が中心になっていくことになった。

 

対本社会談の再要請の返事。

副社長から「返事をする」とされ、年末年始の休みを挟みひと月。

待ってはみたものの、その副社長から連絡が来る気配はなかった。

 

      子守唄ポインセチアは何時眠る

 


2015年

7月

01日

行政の指導

介護サービスの契約時に渡される重要事項説明書には苦情の届け先として、最寄り役所の

介護保険課の記載があるが、課の主な仕事は保険料の徴収や介護認定の調査などであって、

事業認可や指導・監督は県の担当部署が一括で処理している。

 

苦情を受けた介護保険課は解決に向けて事業者へ働きかける。それでも改善がない場合に

県の担当部署に届け、県が状況に応じて指導・監督、ときには認可の取り消しなども行う。

ただ、私のところは中核市ということで、事業者への認可・指導・監督等の権限が県から

市に移譲されていて、介護保険課には事業者への認可が業務に加えられている。

指導・監査等は別に福祉指導監査課が設けられ、部署が分かれているのである。

 

このトラブルになり制度について問い合わせていく中で、知っていったことだった。

 

センターからの連絡は来ない。ここで悠長にしていると、こちらの真剣さ自体疑われかねない状況。

センターには行政指導を入れてもらうほかないと、介護保険課に電話で直訴。ケアマネージャーの

職責について説明を聞いたときと同じ担当者である。

「かくかく云々の事態、不誠実な契約無視で全くらちが明かない、指導を入れて欲しい」(私)

「いきなり指導とはいかない、まずは状況の確認から始めて…」(介護課)

「行政が認可を与えた事業者に対し行政が指導できないのか?」(私)

「<指導>となると権限は指導監査課に移る、介護課としてはお願いをしていく中で…」(介護課)

 

<お願い>という言葉がじれったく、その指導監査課に電話を繋いだところ、

「指導監査といっても、契約内容の履行云々という話は業務の対象ではない」(指導課)

防火設備の設置状況、人員の配置、収容人数の監督などが主な仕事だという。

「利用者と契約書も交さず保険請求をしている業者があればどうなる?」(私)

「それは指導の対象になる」(指導課)

「契約書は交したが、誠実に履行されない場合は?」(私)

「そうなると介護保険課へ」(指導課) 

 結局、電話は介護課に戻される。

 

「利用者側からの一方的な訴えだけではなく、施設側からも説明を求めた上で…」(介護課)

「ならば、先ずはこちらの事情確認からお願いしたい」(私)

「何か材料でもあるのか?」(介護課)

「ケアマネージャーも経緯を知っているし、通話記録などもある」(私)

 

そのような流れで介護保険課の担当がその<材料>を確認しに実家に来ることになり、

ようやく、問題のあるケースとして指導監査課と連携して対処、という運びとなった。

1月末「介護課からの通達で会談時間を一日作ります」とセンター長から電話が来た。

役人との談判で疲れている場合ではないという局面だった。

 

    つぶつぶと目のついてくる蟹グラタン

 


2015年

7月

11日

センターとの駆け引き

行政の口添えがあって、ようやく連絡をとってきたデイセンター。 

センター長は「会談の手筈を整える」と約束をした。副社長は会談要請に「返事する」と答えた。

しかし、彼らの言葉が実行されることはなく、加えて、センター長と社長・副社長の言うことは

何から何まで違っている。

 

「自分の処置が状態悪化の原因になった可能性がある」センター長が先に示した自身の発言、

今も、その認識に変更や取り消しがないかどうか、先ず、それを確かめなければならないし、 

「マッサージ・揉み解しではなく、評価・触診だった」と言うセンター長に母は納得していない。

「コリをほぐす」と言って揉まれた。そう確信を持っており、母には母なりの決着が必要なのだ。

 

「本社との事後交渉を前に、当事者として母の訴えを聴きに来てもらいたい、対本社会談は

 その後、日を改めて設定してもらいたい」会談の日程を聞くセンター長にそう要請すると、

センター長は特に条件など付けることもなく「解りました、伺います」と返事を返してきた。

 

午後1時の約束に時間通りの訪問。この日の訪問はセンター長一人、そう決め込んでいたのだが、

門扉に立つセンター長は二人連れだった。弁護士でも連れて来たのかと思ったが、そうではない。

初対面だが顔には見覚えがあった。年齢50台、背丈170㎝足らずの私よりも、まだ少し低く、

年長な感じの中肉の男性。連れて来たのか、ついて来たのか、一緒にいるのは社長だった。

 

このトラブルに見舞われ、デイセンターの情報を得ようとネット検索を掛けた。そこで

社長の存在の確認がとれた。その記憶が目の前にいる男の顔と一瞬にして符合したのだ。

 

前回はセンター長から忌憚のない証言を引き出すため、会談を敢えて私と一対一の形式にした。

だが、次の本社との会談は立会いが要ると思っていた。社会福祉協議会に紹介されたNPOへ

依頼に行くつもりだったが、この日は「当事者同士で」と提案した手前、立会いなしのままで

待機をしていた。私には、打ち合わせ以外の想定は全くなく、今回は役所の監督があるからと、

安心して構えていた。

 

不意を突かれ、門を挟み二人の男と正対し、暫し呆気にとられつつも、

我に返った私は『気を入れ直さなければ』と自分に言い聞かせていた。

 

     ひとつずつ挨拶に来る柚子湯の柚

 


2015年

7月

21日

認識変更なし

「本社へ報告を入れ『対応する』と返事を聞かされていた」というセンター長に対し、

「センター長から『説明責任を果たし問題は解決』と報告を受けていた」という本社。

全く真逆のことを言ってきたセンター長と社長が二人揃って目の前にいる…。

 

社長と話すのは、これが二度目。前回は昨年の仕事納めの日、空返事ばかりを繰り返す

センター長に説明を求め、家へ寄るよう要請した折に、ようやく電話を掛けてきたのだ。

契約条項に則った苦情対応は放置を決め込んでも、センター長が呼び出されるとなると、

割り込んでくる社長。

 

「打ち合わせ通り、本社会談は日改めということで」と私。

「せっかく時間をつくって来たのだから」食い下がる社長。

センター長の現在の認識がどうなっているかのも不明なまま、予測不能な社長からの横やりまで

強いられたのでは堪ったものではない。ここは多少の悶着があっても押し切られてはいけないと、

私は約束通りセンター長だけを家に招き入れ、この局面での社長の入場は「今日は遠慮頂く」と

拒否を貫いた。

 

母との面会の前に先ずは、センター長の現在の見解の確認をとる。先の 会談 の内容を

まとめておいた文書での確認。今もその見解に変更などがないかどうかを尋ねるのだ。

センター長は慎重に書面に目を通し「これはその通り(今も変わらず同じ認識)です」

そう言い切った。

 

そういうことなら、センター長か本社側のどちらかが嘘を言っていると認めることになるが…。

 

「前年中の会談の手筈についての約束は何だったのか、これで5回目ということになる」(私)

「それについては、そう言われても仕方ないと思っています」(センター長)

「今日の会談も実現のためには、行政への訴えが必要だった」(私)

「副社長からは、年明けに(私から)電話を掛けてもらうことになったと言われました」(センター長)

 

ここで社長・副社長との 通話 を再生。じっと聴き入るセンター長。 

「貴方と本社の話は何から何まで全く違う、貴方にどこか嘘があるのか?」(私)

「自分は嘘は吐いていない、社長・副社長の発言が理解できない」(センター長)

「ならば、それを本社に問い正すことも責任者としての務めではないのか」(私)

「ぜひとも直接社長から聞いて欲しい、どこかで待機していると思うので」(センター長)

 

門前払いの社長がどこかで焦れているのか、センター長の携帯が頻繁に振動音が立て始める。

携帯を気にしながらも話ぶりは前回の会談と比べ、幾分落ち着いているような印象があった。

『見解のすり合わせもせずに、この二人が揃って来る筈がないのだが…』そう思いながらも

私は、ほぼ4か月ぶりに車椅子の母をセンター長に引き合わせた。

 

      落つることなかれ夕日の流れ凧

 


2015年

8月

01日

母の無念

この対面にあたって、私が母に繰り返し念を押していたこと、

センター長から施された処置について固執しすぎないように。

「揉んだ・揉まない」の水掛け論に持ち込まれるだけだから。

そのことよりも、それ以降のセンターの対応を問う形で話を進める方が良い。

 

「解ってるよ」と応えていた母ではあったが、いざ蓋を空け話をし出すとセンター長の

「評価」だとする説明に逐一反応し始める。これまで抑えていた感情が一気に噴き出し、

全く予想通りの水掛け論が展開。結局、センターの事後対応を正すのは私の役割となってしまった。

 

「この件に関して、どう対処するべきと考えるか」との問いに

「医師の診断書の提出をもって賠償手続きに入る用意がある」と。

 

それにしてもセンター長の携帯の振動音がよく鳴る。

センター長は着信を確認するだけで出ることはない。

掛けてきているのはやはり、門前払いの社長なのか。

自分の目の届かない所でセンター長と私が話をしていることが気が気でないという訳か…。

 

センター長においては、現在も認識に変更はなく、食い違っている本社との見解についても

「(本社が)何故、このようなことを言ったのか解らない、自分に嘘はない」と言い切った。

その上で「社長とも直接話して欲しい」と言う。

 

社長と対面する時は必ず立会人をつける、これは鉄則だ。対本社会談の後日設定は崩せない。

だが、その<後日>には、この発言をするセンター長を本社がまた同席させるとは限らない。

説明の食い違いを直接正すのは、この見解を確認した今日が唯一その機会なのかもしれない。

この日のセンター長の様子を伺っていて、そんな雑念が私の中で過ぎってくる。

 

立会人はいないが二人が揃っている今日、本社との会談も済ませてしまうか…。

センター長同席が不確定でも、予定通り後日設定にして立会人を準備するか…。

 

最初に会談を申し入れ、4か月。ようやく母は自分の無念を訴えた。センター長はそれを神妙に

聞きはするが、謝罪はなく「<評価>として、力の感じ方・捉え方の違いがあった」という説明。

以降の対応は、損害保険会社に引き継ぐつもりだとは言うが、認めているのはあくまでも責任の

<可能性>まで。これがセンター長と社長が擦り合わせてきた見解ということなのか…。

 

一方、母は「保険会社に引き継ぐ」と聞き、賠償の手続きが進められると、了解したのか

「後の事は、間違いなく頼みますよ」そう念を押し、矛を収めようとしているようだった。

だが何故、その方針を聞くのに、これ程までに時間が掛かったのか、両者の説明の相違は

いかんともし難い。そこを有耶無耶にしたままの事態の収束など、有り得る筈がないのだ。

 

「今日これからでも、社長とも話をさせてもらいたい」

私はセンター長にそう伝え、車椅子の母を自室に戻した。

 

      女が釘を打って煮つまる新小豆

 

owl


2015年

8月

11日

社長同席

社長・センター長・私の三者会談。

強い力で揉まれたという母と、診断・触診の類の<評価>だというセンター長。

「センター長の評価行為で利用者の身体に負荷が掛かるなどは、有り得ない」

ここでも社長は、センター長が認める<責任の可能性>すらも、前提から外し、

母の訴えを取り合おうとしない

  

体験日、私は母に付き添っていたが、その認識が社長にはないようで、母からの伝聞だけで、

私が主張を展開していると釘を刺す。センター長が正確な経緯を報告していない懸念が生じ、

「センター長とは、ここまでの認識一致がある」と確認文書を提示し、見解を求め直すと

「自分の責任については0と言うこともできないが、100と言い切ることもできない」

センター長が改めて述べると、ようやく、社長から今後の方針を聞かされる運びとなった。

 

「提出される診断書から、症状とセンター長の処置との因果関係が確認できれば賠償に応じる」

診断書に「痛みの再発はセンター長の処置が原因」といった記述が必要、それが条件なのだと。

 

ここで、私は一旦退出させた母を部屋に戻すことにした。母はセンター長からの説明で、

賠償が叶うと感触を得たままなっている。だが、この相手はやはり一筋縄ではいかない。

この社長の人となりを直接見せることで、母にも、それを了解させておきたいと思った。

 

それにしても、医者というもの診断書に症状の因果関係など書いたりするものなのか。

患者が怪我をする現場を見ていたのならばまだしも、易々と応じる事とは考えにくい。

まして利用日から4か月以上も経過してからの、そんな条件は不条理というほかない。

 

更に、それが条件というのなら、何故それがこの日まで示されなかったのか、となってくる。

会談要請が無視され続け、役所からの口添えがないと、その方針が聞けなかったのは何故か。

 

「連絡を入れてもらうよう伝え、待っていた」悪びれもせず、社長か自分の正当性を言うと、

「違う」と、それまでは断言していたセンター長が口をつぐみ、何も言わなくなってしまう。

「大切なことではないか、答えてもらいたい」と言う私に、社長もそのことを正すどころか、

「それは論点が違う、問題の解決にならない」と割って入り、逆に話を逸らそうとしてくる。

 

「今はセンター長に質問をしている、いちいち口を挟むのは止めて頂きたい!」

あからさまな社長の横やりを制するには、断固とした押し返しが必要で座の空気も荒んでいく。

そして、それまでは明瞭だったセンター長の記憶と発言の一貫性が、遂にここで崩れてしまう。

「その時点で(本社から)どう言われていたかはわからない、憶えていない…」

 

そこからは、まともな問答はもはや成立しなくなり、社長は早く切り上げて帰ろうとするだけ、

「賠償手続きの中で保険会社に何か聞かれれば、今日ここでの話はそのまま伝えますから」と

センター長も誤魔化してしまい、協議の要請が無視され続けた問題のセンター長と本社の釈明、

そのどちらに虚偽があったのか、結局、煙に巻かれたまま断定に至らず会談は幕切れとなった。

 

「この会談の仔細、相談に乗ってくれた人達には報告しますよ」と言う私に、

「それは名誉棄損とはなりませんかね」などと返す社長に私はただ絶句する。

「こんなことで、どうやって貴方達を信用すればよいの?」と呆れる母には、

「もう、どう思われても結構です」そんな台詞を残し、彼らは帰って行った。

 

私はこのデイサービスの社長がどの様な人物なのか、ネット検索で情報を探し直してみると、

彼は幾つかの医療系学校法人の教育顧問の役職も兼ねており、ある学校のホームページでは、

県の作業療法士学会・学会長の肩書きと共に、教員スタッフの紹介欄に載せられていた。

 

県の作業療法士学会・学会長とは、一体、どのような基準で選出されるものなのか、後日、

電話で聞いてみると「現在も過去も、そんな人物が学会長を務めた事実はない」との返事。

そして「何故、そんなことを尋ねるのか」と逆に質問を返される展開となり、その数日後、

彼の肩書きから<県作業療法士学会・学会長>の項目が削除されるといった展開となった。

 

『立会人無しに、このセンターの誠意は引き出せない』全く、最初に直感した通りであったが、

『今更、それを確かめて何か意味があるか、この数か月、奔走してきたのは何のためだったか』

事情が重なったとはいえ、直前でブレてしまったことへの自問を、私は繰り返すばかりだった。

 

     わが脳のような音する柚子湯の柚

 


2015年

8月

21日

賠償の手続き

会談日の夜は、まんじりともせず明かすこととなった。

「予定外だから出直せ」と門前払いのまま帰し「はい分かりました」と素直に従う相手か…。

「面会を拒否したのは先方、義務は果たした」とまた、面倒なことになったかもしれない…。

センター長と社長を同席させることに拘りすぎたか…。

 

翌日「保険会社に取り次いだので、待機するように」と副社長から電話が入る。

自身の対応の有り方、この事態に至っていること、どう思っているのか正すも

「もう、何を話しても平行線だから」と取り付く島もなく、通話は一方的に打ち切られた。

しかし、2月に入り一週間経ってもそんな連絡は来ず、ここでもまた、催促をする羽目に。

 

その催促を受け、連絡を取ってきたのは保険の代理店で、

「現在、保険会社とセンターとの間で、賠償の対応について協議・検討中」とのこと。

「協議・検討中」とはセンターが、この交渉の窓口に代理人を準備していることだと、

2月も2週目に入った頃、代理人の弁護士だと名乗る男からの電話で判明する。

「保険会社の担当から連絡が来る筈ではなかったか…」と面を喰らっていると。

 

「これは交通事故の示談などと違い、保険会社は示談交渉権を持たない」と男は言い、

「契約者(センター)が手続きを進める中で、保険会社とやりとりすることはあるが、

 保険会社が対外的(保険金を払う相手)な窓口になることはない。弁護士の自分は

 法的な観点からアドバイスを行い、賠償責任があるかどうかは、契約者が判断する」

そんな説明を加えた。センター側はそれを知らなかったのか、知っていながらわざと

適当にいなしていたのか、会談での時間浪費が忌々しく、やりきれない気持ちになる。

 

双方の認識を確認し合い、その一致・不一致を踏まえた上で診断書に症状の因果関係が

記されていることを条件とした社長が、そもそも何故、この期に及んで代理人弁護士を

準備する必要があるのか。

 

聞いていくと、この弁護士が代理を受任したのは2月に入って早々で、もう既に、

センター長からは事情の聞き取りも済ませているということ。つまり、副社長が

「保険会社からの連絡を待て」と連絡をよこした時には、センターはこの方針で

 

準備を進めていた最中だったということになる。

 

それならばそうと、利用者・契約者のこちらには一言断った上で、それが<筋>ではないのか。

『やはり、空返事でかわされていたのだ』そんな苦々しさが込上げてくる代理人の登場だった。

 

      法の庭女の影にいもり浮く

 


2015年

9月

01日

デイサービス代理人

私から大まかな経緯を聞かされた弁護士は「確認させてもらう」としながらも

「それは自分が聞いている話とは違う、現時点で賠償に応じることはできない。

 とにかく、診断書を提出するように、判断はその内容次第ということになる。

 今後の交渉の進め方については書面で通知するので待つように」と。

 

弁護士は社長のように診断書へ因果関係の記載など要求をしなかった。

責任ついても、認識が一致することがあったとは聞いていないという。

センター長への直訴から始まったこの話だが、センター長から本社へ、

本社から代理人弁護士へ、ここでもまた話はそのまま伝わっていない。

そのままの話で進めるつもりがないから、ここで弁護士が出てきたという訳なのか…。

 

社長から出された条件だけでさえも頭が一杯だったのに、何の前触れもなく弁護士と

名乗る男から電話が来て、また違う話で「文書を送るから待っていろ」と言われても、

ただ、じっと待つ気分でいられる訳などない。

 

損害賠償保険というもの、弁護士の説明が唯一の形なのか、他に違うものもあるのか、

自分でも確かめてみようと、代理店から聞いた保険会社の担当部署に電話してみると、

「担当者が不在なので折り返し連絡する」とされ、電話を返してきたのはこの代理人。

 

「私が交渉の窓口になると伝えた筈、あなたのやっていることはルール違反だ」(代理人)

「ルール違反とは?」(私)

「民法が認める法制度の下、私は代理人に立っている、話は全て代理人を通すのが筋だ」(代理人)

「自分なりに確認したいことがあり、伝えられた場所に電話をして聞こうとした訳だが」(私)

「昨日の伝えたことを憶えているか?憶えているなら言ってみてもらえるか」(代理人)

「言い直せと…」(私)

「書面で通知するから待つようにと伝えたら『分かった』と返事をした筈だ」(代理人)

「きちんと待っている、待ちながら自分なりに問い合わせをしているだけだ」(私)

「本件に関することは全てこちらが窓口である、よくわきまえておくように」(代理人)

 

代理人の鋭く高圧的な畳み込みは、私でさえも、思わずたじろぎ言葉に詰まる程の剣幕だ。

これが母自身に、弱気になっている要介護の老人に直接向けられていた事であったならば、

何かを訴えようとする気力など、たちどころに掻き消されてしまうに違いない。

 

そして、もはや関係先には全てこの代理人の手が回ってしまっているようで、

以後、どこに何を問い合わせても「聞きたいことがあるのなら私に言え」と、

電話を掛け直してくるのはこの代理人。自分で何かを確かめることは一切できなくなり、

程なく、これまでセンターと合意できていた事柄の全てが打ち消された内容証明郵便が

この代理人の法律事務所から母充てに送付されてくることになった。

 

      体内の闇も真白か雪だるま

 


2015年

9月

11日

内容証明通知書

5枚綴りの通知書。

電話で告げられた通り、賠償の請求は了解できないと最初に述べられており。

次に、その結論に至るまでの理由が続いている。

 

<センター長が母に施した措置について>

センター長が体験利用日に実施した措置は、問診・触診で、揉みほぐし・マッサージではない。

その上で、短時間ずつ備え付けの器具で体験リハビリを実施したが、その日は終始異常はなく、

二日後の本利用日においても格段変わった様子はなかった。

母の右大腿部は膝関節症や筋肉の硬直が原因で、体験日の時点で既に運動痛・圧痛の訴えがあり、

慣れない運動で、筋肉に一時的な張りや痛みが出たとしても、そのことまで不手際とは言えない。

 

<センター長が社長と共に自分の責任の可能性を認めたことについて>

会談では、自分(センター長)には非はない、との主張に納得が得られず、水掛け論となった。

会談も長引き、やむを得ず「自分の処置が原因となった可能性がないとは言えない」と述べた。

そのような経緯で代表(社長)は診断書の提出をもって第三者の判断を仰ぎ、医学的見地から

センター長の過失が認められれば、誠実に対応すると答えた。

 

太字がセンター長との確認事項から確信的に話が変えられてしまった箇所である。

 

体験利用日は終始異常はなく、二日後の本利用日においても格段変わった様子はなかった。

故に「全く非はない」との主張を押し通していく魂胆のようだ。だが、そうなってくると、

「座位によるゆっくりとした運動を約1時間実行したが(残り時間は)痛みを和らげる為、

 横になって頂き対応した」とある、二日後の連絡帳の記述内容との整合性はどうなるか。

 

座位によるゆっくりとした運動しかできず、痛みを和らげるため、横にならなければならない。

それが体験日と変わらない状態とし、そんな人間にロウイングマシンなど、体に負荷の掛かる

器具でリハビリを何種類も実行させ、二日後からの実質2時間メニューの契約を交わしたのか。

だとすると、逆にそちらの方がリハビリセンターとして問題があるのではないか。

センター長はこの連絡帳も確認の上で責任の可能性を認めたのではなかったのか。

 

結果、体験日の二日後には症状が出始めていた、と必然性をもって責任の可能性を認めた

経緯も実際とは違う話にすり替えた上で「やむを得ず述べた」と合意を反故にしてしまい、

「右腿はあまり強く圧迫しないで」といった体験日の母とセンター長とのやり取りまでも、

「体験日の時点で既に運動痛・圧痛の訴えがあり」などと都合よく括られてしまっている。

 

全くミスのない完璧な人間などいない。施された処置が裏目に出て残念至極ではあるが、

それを受け止め、修復していく方法はある筈だ。だが、センター長のこの手の平返しは、

回復を願い、信じ、契約を交わした利用者を、母を、愚弄する背信行為というほかない。

 

この背信行為をもって、彼らには「医療人であり続ける資格を自ら放棄してしまった人間」

「もはや、医療や介護には携わるべきでない人間」との烙印を押さなければならなくなる。

そのような事態、介護を生業とする者なら、恥と思わない筈はないのだが…。

 

この期に及び弁護士を代理に立てたセンターは、明らかな矛盾が浮き彫りとなる文字と書面を

残こす結果となった。これをどのような形で提示すれば、こちらの正当性を認めさせられるか。

海千山千の弁護士を相手にする以上、こちらも拙速な素人判断は禁物だ。私は医師への診断書

依頼と共に、医療事案を手掛ける弁護士探しに取り掛かった。

 

     一枚の踏み絵の如し雪残る

 


2015年

9月

21日

医療過誤法律相談

県の弁護士会のホームページ・取扱分野「医療事故・患者側」の一覧から順番に事務所を

問い合わせゆき、弁護士選びに取り掛かかった。そして、県内でも医療事案の取り扱いが

最も豊富だという事務所に2週間程の待ちで、相談日は3月に入ってからの予約となった。

料金は初回1時間5000円、2回目以降は30分5000円。

 

センター側のこれまでの発言録は重要であるが、それを覆してきているので、

それ以外の<材料>として、カルテの写し・診療明細・デイサービス連絡帳。

そして、代理人が送付してきた通知書そのものである。

 

この連絡帳と通知書での発言を整理すると「(処置を受けた二日後も)格段変わった様子が

なかった」とする通知書の発言に矛盾が出て、その時点で既に、状態悪化の兆候があったと、

観なければ辻褄が合わない事柄が多々ある。つまり、責任の可能性を認めていた以前までの

発言こそが、施設責任者としての当然の見識だった。以上の主張を認めさせるアドバイスを

聞きに来たのだ。

 

事務所は、こじんまりとした7階築のオフィスビルのフロアを借りきる落ち着いた雰囲気で、

私より一回り程も年長で柔和な面持ちの弁護士とは、余計な緊張もなく相談に入っていけた。

 

相談の結果…。

このデイサービスのセンター長は自分の言葉に責任を持たず、理学療法士として見識も低く、

提供されたサービスは粗悪で誠実さに欠けていた。そう証明することと、そのセンター長の

措置によって、母の右大腿部が悪化したと証明するのは別の作業になる。

 

「責任は認められない」と賠償を拒否された。そこで裁判に持ち込み、主張を認めさせ、

損害賠償を勝ち取るには、訴える私達に「施設の落ち度により状態が悪化した」とする

<医学的見地に基づく立証責任>が求められる。それが可能か、費用回収のことも含め

判断しなければならない。

 

<医学的見地に基づく立証責任>とは、医師の診療記録を用いた医師による証明ということ。

つまり<痛み>とあっても、右大腿部との関連性も不明瞭な連絡帳のメモ書き程度のものは、

医学的な立証の材料足り得ない。最終的には当事者の証言に頼る必要に迫られ、内容証明で

それを否定してきている以上、診察を受けた病院のカルテが判断の基準となる。

 

 弁護士は理路整然と淡々と分析を述べてゆく。そして、そのカルテに目を通しながら

 裁判はやってみなければ分からないが、決して低いハードルではない」と前置きし

「通常の民事裁判の勝訴率は7割程はあるが、医療事案はそれが2~3割まで落ちる」

「難しいのですよ…」と。

 

法律に関して素人とはいえ、私の五十歳を超え、世間も人の二面性もそれなりに見てきて、

おおよそ、その辺りの察しはついていた。だからこそ、このデイセンターとの交渉の際は、

立会人が必要と直感し、センター長から正直な証言を引き出すことに苦心してきた。だが、

改めて現実を告げられ<理不尽>という感情を抑えられず、抗っている。

走り去る装甲車を竹槍をもってでも止めんと、とわりつく歩兵の如く。

この時の私は、そんなことを考えながら相談時間の経過を確認していた。

 

     貨車見たし枯野にたぎるもの見たし

 


2015年

10月

01日

診断書提出

この法律相談では交通事故での事案なども話題に上った。

人身事故として処理され、事故直後の診察記録が残されていても、日にちをおいて現れる

むち打ち症などは、保険会社が「因果関係不明」と保険金を出し渋り、揉めることがある。

特に高齢者は「齢のせい」とされ、厄介な立証を迫られる、と。

 

また、社長の提示した示談条件も医療事案に慣れた弁護士には、奇妙に映ったか

「センター長の処置が原因」と明記された診断書の提出についても指摘があった。

「滅多なことで、医者が診断書に症状の因果関係なんて書かない、規模の大きな

 病院になるほど書かない」とのこと。 

 

「因果関係明記の診断書」そんな条件を出された日には、患者側は「この病院は診断書に

 症状の因果関係も書いてくれますか」と聞いて通院先を探し回らなくてはならなくなり、

これはやはり、現実的な話とは思えないのだと。

 

このデイサービスの社長、通所介護事業所の展開だけでなく、医療系学校法人の教育顧問や

理事職にも就き、講演活動まで行っているいうこと。であれば、そういった事情も知らない

筈がなかろうが、それが、利用日から何か月も経ち、何と無体な条件を提示したかと思えば、

今となり代理人を立て、更にハードルを上げてきているのだ。

 

通院については整形医院を2か所掛け持ちしていて、確かに、この法律相談の通り、

最初に受診した医者は「現場を知らない自分が因果関係の断定などはできない」と、

診断書も「右大腿部痛」と症状を伝える範囲のものでしかない。

 

筋膜損傷の診断でマイクロ波治療を勧められ、通い始めた整形医院からも依頼してあった

診断書が書き上がってきた。こちらは以外な程あっさりと因果関係の記載に応じてもらえ、

問診時の母の説明が律儀すぎる位に、もうそのまま書かれてあった。

「強い力でマッサージを受けたため筋膜が避けた」 

2通の診断書を並べて見て、医者によってこうも違いが出るものかと。

代理人の登場で話を変えられてなければ、条件が整ったことになるが…。

 

私は社長が提示した条件通り、ふたつの整形医院の診療明細を通院記録として、

診断書は因果関係記載入りのものを代理人法律事務所充に提出することにした。

 

      春雨や貨車の一つに人の顔

 


2015年

10月

11日

代理人としての役割

この様な展開になってくると、どういう内容の診断書を確保できたかということではなく、

状態悪化が体験日直後に始まったと、立証を迫られている状況の口惜しさが頭を支配する。

 

当初から、それが困難であるという思いがあったからこそ、

誠意を見せないセンターを相手に苦心して会談を執り行い、

ようやく取り付けた当事者・センター長との認識の一致を

間違いなく交渉に反映させていくことが私の役割だった筈。

 

思えば、センター長においては最初の会談要請の時点から、

通り一遍等適当な苦情対応を繰り返した事。

年内には会談を設定すると直接約束した事。

当事者同士一対一で、母の言い分を聞く日を設けると了解した事。

何ひとつまともに実行された事はなかった。

会談が無視されてきた経緯についても、社長同席となると「憶えていない」と

つい今しがたの発言まで翻しシラを切り出す始末で、施設の管理責任はおろか、

その“責任”の意味すら、何も解っていない30歳に届かないただの若造だった。

 

「自分の過失については0ではないかもしれないが、(診断書が出ていない)現時点では

 100とも言えない、ここで(私に)話した事をそのまま尊重し、保険会社に引き継ぐ」

 私はこのセンター長の言葉をアテにするという形で会談を終えてしまった。

 その事自体に甘さがあった。これが仕事で与えられた役割だったとしたら、

 担当を降ろされても仕方ないほどの大失態ということになる。

 

 センターが非を認めるということは、苦情対応を無視した契約違反の問題が

 同時に発生することになる。所詮、何をしても最終的には代理人を立てられ

「発言は本意でなかった」と返され、結果は同じことであったかもしれない。

  

しかし、同じ不本意な結末でもやるべきことを全てやり尽くして出される結果と、

やれることがまだあるのに、やらないまま突き付けられる結果では自分にとって

後の意味合いが全く違うものになってしまう。 

  

 会談を終えるにあたっては覚書の一枚でも交しておくべきであったし、更に言えば

 

「センター長と母とを一対一で…」などと悠長なことを言っている暇にも立会人を

 準備し、自分の発言にもっと責任を持たせる環境をまずは造っておくべきであった。

  

代理人からは体験日以降の傷害の状況把握が、提出された診断書では不足だとして、

診断の内容を医師から直接確認する医療調査のための同意を求められることになる。

  

弁護士という国家資格を持ったプロの代理人によって、私達はセンターに不利益な

存在として徹底的に排除されていく。そして、私は母の代理としていかに不満足で

中途半端なことしか出来ていなかったかを思い知らされていく。そんな顛末だった。

 

      春雪に小鳥がこぼす白い息

 


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2015年

10月

21日

ケアマネージャー交代

母の回復は遅々としたもので、肉離れの時よりも手間取っているようであった。

誰かが側についていなければならない状況が変わらずあり、介護の負担も続く。

 

リハビリを切り離して考えても、デイサービスは様々だし、

ショートステイなども活用すればよさそうなものであるが、

『また同じ事が起きれば…』そう思うと、やはり二の足を踏む。

何より体に痛みがあるためか、起床時間もまた不定期になって

決まった日程を組むこと自体にもまだ無理があった。

 

母が警戒なく体を触らせるのは、家族と気を許す医者位のもので

「初めて名前を聞くようなデイサービスなんて、もうまっぴら」

そんな風になってしまっていた。

 

ケアマネージャーはといえば、交渉の現状について自分から切り出すことはもう一切ない。

私とすれば、そこのところに不信感があり、もはや何かを相談しようという気になれない。

しかしセンターを紹介し手続きを行い、経緯を直に見てきた唯一の人間となると、

交渉が決着するまでは担当を替える訳にもいかない。そんな行き詰まりもあった。

もっとも不信感ということになると、介護制度そのものにもある。

 

センターとの仲介や立会のことで、制度上見当たる限りの窓口に問い合わせてきたが、

この相談を自分の役割として聴き、対応しようとする人間は誰一人としていなかった。

その度に「責任はないのか」と食い下がらなければならないことにストレスを感じた。

 

『下らない時間を過ごしている、いい加減早く終わらせたい』

 社長会談の時も、そんな辟易する気持ちが抑えられずにいた。

 雑になっていく自分が修正できず、詰にも甘さが出て自責の要素ばかりが増すことになっていった。

 

 そんな折にケアマネージャーから「別の支所に移動になった」と報告が来た。

 市内6か所に支所を持つ事業所、数年に一度は移動の辞令が出るということ。

 言葉を失いかけたのはこの次である。

「この際、うちは辞めて別の事業所に変えて頂いたらどうでしょうか」

 

こんなトラブルを抱えている私達は事業所にとっても迷惑な存在でしかないということか。

よもや事業所の方から担当を降りたいと言われるとは、これもまた予想外のことであった。

 

「センターとはまだ交渉中で、別の事業所を探す余裕などはない

 交渉が決着するまではそちらに担当をお願いしていくつもりだ

 これまでの経緯説明に手間を掛けなくても済むように

 後任を決め、引き継ぎを完了させておいてもらいたい」

 

年度変わりの4月になる。最初にセンターに会談の要請を入れてから半年が過ぎていた。

 

     発つ雁にもの言うてただ半端なる

 


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2015年

11月

01日

事業所選びの条件

新担当ケアマネージャーの引き継ぎとなった。

旧担当は副主任という肩書があったが新担当には特にそういうものはない。

年齢は私と同じ位かもう少し上かという感じであるが、よくは分からない。

ジャージ服の二人のふくよかな後姿は見分けがつかない程よく似ているが、

似ているのは体型だけで話をした印象は少し違うものがあった。

 

これまでのケアマネージャーはこちらが何か話し出すと、その話が終わる間もなく、

「こういうことですね」と早々に内容をまとめ直し、自分なりの理解を伝えてくる。

言葉が的を得たものならば何も言うことはないのだが、どこか少しズレていたり、

ニュアンスが違っていたりすると「そうではなくて…」と話直す必要に迫られる。

それがどうにも噛み合わずに問答合戦になっていき…、ということも間々あった。

 

それに対し、新担当はそれが自分の役割として聞くべきテーマであろうとなかろうと、

こちらの話が終わるまでは顔を見てうなずきながら、とにかくじっと聴き続けている。

そして、内容が自分の裁量のことではないと思う時は

「それは困りましたねえ、どうしましょうか」と言う。

 

これは母が右大腿部治療に通った二人の整形医の話の聞き方の違いに似ている。

こちらが話をしている時と聞いている時の時間比がまるで逆になるとさえ思う。

話の聞き方だけで信頼関係ができる訳でもないが、この新担当の人柄が幸いしたか

母は比較的、抵抗感なく今回のケアマネージャーの交代を受け入れたようであった。

人間的にも相性が合い、信頼の持てる人ならば長く担当を続けて欲しいものであるが、

定期的に担当替えを行う方針の事業所に対しては、そのようなことは望むべくもない。

 

要介護認定を受け、民間の居宅介護支援事業所でケアマネージャーを決め直すとなったとき、

ズラッと並ぶ事業所の一覧を見せられ「この中から一つを選べ」と言われた。判断もつかず

「不都合があっても文句は言わないから」と、それまで担当だった地域包括支援センターの

ケアマネージャーに選んでもらったのが市内でも老舗で支所展開も堅実なこの事業所だった。

 

「要介護者が退院後にデイサービスなどの利用が上手くいかず、機能回復訓練まで中断したりすると、

 訓練・リハビリの再開を目的に、入院時の回復状況を病院に確認しにくるケアマネージャーもいる」

 病院の地域連携室のスタッフはそう話した。

 

ケアマネージャーの事業所を選ぶ場合には、

1・移動や転勤がどの程度の割合で行われるのか、その頻度。

2・利用者の立場や状況に応じ、制度規定の枠に捉われずに、

  柔軟で臨機応変な調整を行うことについての理念と方針

今の自分ならば、その位のことは確かめるであろう。

 

センターとのこれまでのやりとりに直に関わった人間を自分の手元から引き離された。

この時の私にとっては、そんな意味も残る後味の悪いケアマネージャーの交代あった。

 

    春陰のやどかりが居るポリバケツ

 


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2015年

11月

11日

医療調査同意書

4月に入り、医療調査のための同意書が送付されてきた。

発送主は損保会社で「代理人からの指示のため」とされている。

損保会社が直接、医院に出向いて治療の経緯を確認するようだ。

これについては、センター代理人から事前に通告を受けていた。

  

こちらも傷害を負ったとして賠償を要求している以上、医療調査自体やぶさかではない。しかし、

それが話をすり替えたことによって必要の出る調査となってくると、そうはすんなりといかない。

 

問題にしているのは体験日に受けた処置であって、二日後の本利用日には状態悪化の

兆しが出始めていたとセンター長から同意を取り付け、それを前提に話を進めてきた。

しかし、センターは代理人を立て、これまで認めてきたことも全て取り消し、

「本利用日にも、格段変わった様子はなかった。全く非はない」と主張する。

そして、提出した診断書等では体験日以降の傷害の状況把握が不足だと言う。

そこで、こちらの主張の真偽を確認したいと、調査を要求してきた訳である。

 

医療調査の拒否は交渉の終了を意味することになるが、同意したところで、

体験日直後から状態の悪化が始まっていたと、医学的に確認されなければ、

裁判であれ医療調査であれ、こちらの訴えは退けられると考えなければならない。

つまり、センター長との合意を反故にされたままの交渉は続けても無意味なのだ

 

通所介護デイサービスとはいえ、理学療法士が管理責任を務めるリハビリセンター。

信用して体を任せ、証言を得た。それを自分達自身が書き残した連絡帳の記述とも

矛盾するような話で、いともアッサリと合意を反故にし、事実は正規医療機関への

調査で確認させろとは、医療人として風上にも置けない者ども、これ程、

人を馬鹿にしたようなことがあるか、到底受け入れられるものではない。

 

弁護士を介しての発言を取り消すなどは「自分は嘘を吐いていました」と

公に認めるようなもので、余程の事でもない限りあり得ることではないが、

だが人のすること、その未来に”絶対”というものはない。どれ程、微々たる可能性であっても

今後、センターに発言を修正させるための思いがけない展開が”絶対”にないとは言い切れない。

 

今、同意書を提出せずに賠償を拒否されても、諦めずに好機を伺い、

もし、それが訪れたならば、またその時に話を再開すればよいのだ。

 

医療調査拒否の意志はその理由と共に、口頭ではなく文書できちんと伝えよう。

そして、可能性の如何に関わらず、やれると思うことは全てやって事を終える。 

社長会談の時のような後悔だけは、もう繰り返したくなかった。

 

     青芝に起てばよろけて流人めく

 


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2015年

11月

21日

センターへの意見・要望

「賠償には応じられない」とする通知書の内容などは、私は母に詳しくは話してこなかった。

「代理人や保険会社がアレコレ細かなことを聞いてきている」そんな風に言葉を濁してきた。

 

昭和2年生まれの母、通知書を送り着けられた時点で満86歳。 

未だに右腿の痛みに苛まれ続け、リハビリの再開は目途は立っていない。 

しかし、最後はセンター長の言葉を信用することで矛を収めようとした。

この状況で、愚弄されるかのような合意の反故をどのように受け取るか。

心中おもんぱかると、どうにも詳細までは話きれずにきてしまった。

 

しかし、きちんと話さなければならない。

医療調査を同意するかどうか、回答するのはあくまで当事者の母自身である。

私は自分がセンター側から直接確認をとったことを順を追って書いていった。

 

・体験日当日、母はセンター長から施される処置が自分の右足にとって、

 負担の強すぎるマッサージと感知して「止めて欲しい」と頼んだこと。

・それに対し、センター長は「右足は強くなってきているがコリがある、

 大丈夫だ」と説明したこと。体験の度にその処置が繰り返されたこと。

・その結果、二日後の本利用日は通所をして運動をしようとしたものの、

 右足が痛み始めていたことが原因で、時間の大半をソファーベッドで

 横になって過ごすことになったこと。

(付き添っていない本利用日については、母の話に添った内容で書いた)

・以上の経緯についてセンター長も同じ認識で、確認がとれていること。

・その結果、センター長は責任について自分の処置にその可能性があると認めたこと。

・その前提で、社長は因果関係明記の診断書の提出を条件に賠償に応じるとしたこと。

 

これらの事実と合意が撤回された前提での医療調査には同意は出来ない。

医師が在駐していないとはいえ介護保険制度の元、リハビリという医療行為の

一端を担う立場として、自らの行動と発言に対しては責任を持ってもらいたい。

 

そのような主旨で「意見・要望書」としてまとめ、通知書受理以降の経緯を万事、

母に説明し「これを内容証明の形でセンターに送ろうと思うのだが」と提案した。

「それでいい、私名義で送っておいて」母は噛みしめるようにそう言って、了承してくれた。

 

そして、それから二週間程経って予想していた通り、賠償拒否を

伝える回答書がセンター代理人から送付されてくる運びとなった。

 

      春炬燵精彩を欠く猫パンチ

 


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2015年

12月

01日

センターからの回答

センターからの回答書は医療調査を求めた理由を述べることで始まっている。

 

<医療機関へ調査を求める理由について>

体験利用日に受けた処置に問題があると訴える以上は、その体験日直後に

発生していた傷害が医学的に診断され、カルテに記録されている筈である。

提出された診断書はそれを確認できる具体的・客観的な内容ではない。

添付された診療明細の日付録からも体験日直後の受診は確認できない。

 

<私達の主張について>

体験日におけるセンター長の貴殿(母)への措置はあくまで、問診・触診の類である。

その日、初めて会った貴殿(母)に対して「足が強なっている」などと言う筈がない。

本件の争点は、体験日当日センター長が貴殿(母)に対しどのような措置を施したのか、

その結果、貴殿(母)に生じた傷害がどのようなものであったのか、ということであり、

見解・認識の相違があるため医療調査で体験日直後の傷害の状況を確認する必要がある。

従って、調査が出来なければ賠償にも応じられない。

 

くどい程に「直後直後」と言葉が挟み込まれてある。 

双方の見解・認識の相違があること理由に、医療調査の必要性を主張し、

そのため、こちらの主張を闇雲に否定してきている。そんな内容である。

しかし、そうなってくると状況の矛盾は更に深まる。

 

センター長が母の右足に繰り返した処置は触診だったというが、そもそも何故それを行う

必要があったのか。10か月前に右足に肉離れを起こしたと私達が事前に親告したからだ。

まだ完全でないにしても、回復を確認し強さを取り戻していると判断したからこそ体験運動を

実施したのではなかったのか。責任回避を優先させるが余り、その見識まで崩してしまっては

ますます行動の辻褄が会わなくなり、かえって信用を失墜させることになるとは思わないのか。

 

私は体験日も本利用初日も、その次に欠席連絡を入れた時も、

母の状態については全く包み隠さず本当のことを伝えてきた。

センターに母のリハビリを信頼を持って任せたかったからだ。

検証会談を申し入れた時ですら「状態の悪化はゆっくり進んだ」とありのままを話した。

 

センター長にも社長・副社長にも家族が居るだろうに「自分の家族がこの憂き目に遭えば」

そんな、ごく普通の想像力すら持ち合わせない者達だった。組織としての機能は自分達の

提供した行為の検証には活かされず信頼を預けた利用者を貶め、見事に裏切ってくれた。

 

「感謝の気持ちで高齢者の幸福を追求し、安心できる地域社会の実現に貢献したい」

表向きのこんな基本理念などはただ空々しいだけで、私達を嘲笑う声にしか聞こない。

このような者達の幸福追求のために、介護保険が貪られることが決してあってはならない。

このような貶めを他の誰かが、また何処かで強いられることなど絶対にあってはならない。

そんな思いを呼び起こす回答書の内容だった。

 

     梅散るや手話の母子の影法師

 


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2015年

12月

11日

行政の判断

医療事案に限らず裁判において、立証責任は訴える側にある。

医療機関の診療行為で過失があったと訴えを起こすとなると、

カルテが立証のための証拠となる。カルテ改ざんの恐れがあると思われる場合、

依頼を受けた法律事務所はカルテの保全を行い、先ずは証拠を確保するという。

それを協力医に鑑定してもらい証明していくのだが、医療事案は専門性が高く立証が難しい。

そのようなきちんとした手順を経ても、患者側の勝訴率は約2割と通常事案よりも低くなる。

 

センター側は母へ施した処置については問診・触診だと言う。

そう言う以上、医療行為であったことには違いない。しかし、

正規の医療機関ではないデイサービスには、保全されるカルテなどはなく、

その利用者は自分の身体ケアすら不自由になった介護認定者が対象となる。

 

トラブルが発生した場合にも解決は円滑でなければならないが、

そのための絶対に必要な要素が”誠意”ということになってくる。

そして、その担保となるものが契約書であって、

「迅速かつ適切な苦情対応・誠意をもった協議」

これを前提に介護サービスが成り立つのである。

 

しかし、医学的立証責任を盾に介護制度の信用までも貶める業者が紛れ込んでいた。  

そのような業者は行政の指導・監督の対象となり、戒められなければならない筈だ。

 

介護事業所の指定や指導・監査は本来、県の介護保険室の仕事であるが、

私達の市は中核市として位置づけがあるため、県からその権限が移譲されていて、

事業認可は介護保険課、指導・監査は福祉指導監査課が市役所に設けられている。

 

このセンターに一定の行政的ペナルティー、もしくは何らかの指導が与えられるよう

私は役所に働き掛けることにした。センターから渡された重要事項説明書にある通り、

差し当たっての窓口は介護保険課ということになる。

 

課にこのセンターへの対処を求めるのは本社会談の口添え以来、二度目である。

電話を掛けてみると、これまで私達の相談を受け本社会談までの経緯を一通り

知っている職員が4月以降も移動にならず、まだ介護保険課に居た。

 

その職員に本社会談以降の経緯を訴え、指導監査課が対処すべき事案としての

取り扱いを要請。職員からは「一・二週間、時間を貰うことになる」と返答され、

指導監査課の判断が介護保険課から電話で報告されることになった。その結果は、

なんと「このセンターを今後も問題のない業者として認可していく」というもの。

 

「そう判断する理由を直接聞きたい、指導監査課に取り次いでもらいたい

 期待を裏切る回答に私はただ唖然となり、電話口で職員にそう詰め寄った。

 

      青田道辿れば神経内科裏

 


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2015年

12月

21日

行政への嘆願

役所が慎重に構えると、直ぐに要望通りの対応には繋がらないかもしれない。

その位の予想はあった。だが、センターの対応は全くデタラメで矛盾だらけ。

それを示す根拠があるとなれば、役所の腰がどれ程重かろうが

事情を聞く位の責任は必然的に出る筈と考えていたのであるが…

 

 指導監査課へ取り次がれた電話、応対に出たのは主幹という立場の役人だった。

「介護保険課から経緯をきちんと確認しての決定、もはや行政の出る幕はない、

 話し合いが行われ、それで納得いかないならば裁判で決着させてもらいたい」

 ここに来るまでに方々の相談窓口で事情を訴え続けて、その度に

 判で押したように返されてきた答えがまた、そのまま返ってきた。 

 

「市民として、課宛に嘆願書をしたため役所に持参する、

 それについての行政の了見を直接、聞かせて頂きたい」

 それ位のことを言わないと、役所を繋ぎとめてはおけない。

 それ程に「けんもほろろ」といったあしらわれようだった。

 

そんな具合で、センター宛てに送付した意見・要望書と

ほぼ同様の文書を役所に対しても書き直す羽目になった。

 

センターへは「デイサービスであっても医療人としての

自覚と責任に基づいた運営に当たれ」といったのに対し、

役所へは「医学的立証責任を盾に契約書もないがしろに、

責任逃れに走るような業者はその行為を確認した時点で、

権限を行使して取り締まる必要がある筈だ」というもの。

 

そうでなければデイサービスなどというもの、

不手際により利用者が被害に遭ったとしても、

その場で救急搬送され、直後の診療記録が残されでもしない限り、

事業所側の胸三寸で、どうにでも責任回避が可能になってしまう。

その前例が今、まさに作られようとしている。

 

それをただ指をくわえ、見ていてはいけない。

 

これだけは、どうしても直接訴えなければ気が済まなかった。

この件で役所に足を運ぶのは市民相談室への無料法律相談以来、二度目となる。

その電話回答の10日程後の指定日、全ての資料を揃え、指導監査課へ出向いた。

5月も末の眩しい日差しの午後だった。いつの間にか季節は初夏へと移っていた。

 

      捨て猫の眼中に跳ぶ雨蛙

 


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2016年

1月

01日

ただ一枚戸が開いて居り初蛙

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2016年

1月

11日

制度の隙間

福祉指導監査課の主な仕事として、介護保険施設等の実地指導というものがある。

課は全ての介護保険施設・事業所に対し、二年毎に実地指導に出向くことになっているらしい。

「利用者からの会談要請を無視し続けている」その私達からの訴えを聞き、センターへは既に、

この年の3月に実地指導を済ませたのだと。その際には利用者から同意の捺印を受け取る位に、

説明責任を果たし納得を得るように指導をし「了解した」と返事を聞いてきたというのである。

 

もちろんセンターがそんな誠意を見せたことなどは一切ないのであるが、そうしていなくても、

弁護士を介して自分達の正当性を主張するのであれば、それはそれでセンター側の対応となる。

そのまま無視が続いているのならば又話は別になるが、この後は民民の問題として当事者間で

話を進めてもらうしかない。もはや民事不介入、行政が口を挟む余地は無くなったということ。

 

課長・課長補佐に次ぐ立場だという主幹から電話で伝えられた回答はこのようなものであった。 

 

市役所に出向き用意された会議室で主幹ともう一人職員を交え、訴えの聞き取りが行われた。 

予定時間は2時間。1時間の予約で気忙しかった法律相談と比べて時間だけは余裕があった。

 


 

 私はセンターが残した連絡帳・通知書・回答書等、訴えの根拠となる“材料”を提示して

「医学的立証に必要な法制度での基準と介護施設での記録簿の位置づけには解離がある、

 介護制度も今の法律を前提に作られたのだから、その法律に対応した運用が必要な筈、

 役人なりの裁量の範囲内ででも、個々の状況に応じた臨機応変な指導をお願いしたい」

 そう訴えると、

 

「認可や指導・監督の基準は全国一律で、我々もその範囲で対応にあたっている、

 役人としての裁量を効かせられるかも状況によって異なる、制度に完全はなく、

 介護制度もまた然り“隙間”はある、そこを突かれると行政はどうしようもない、

 このケースは施設側が弁護士を代理に立てたことで、役所の出る幕はもうない」

  主幹は改めて、そう答え直した。

 

 それからの問答は以下の通り、

「私達利用者は、いい加減な業者からどうやって身の安全を守ればよいのか」(私)

「国会議員にでも働き掛けて、利用者の目線で制度を変えてもらうしかない、

 例えば、リハビリなども含め医療的な専門性が必要なサービスと、通常の

 介護・介助の範囲のサービスとで業務記録のあり方を根本的に見直すとか」(主幹) 

「それが叶うまでは、こんな馬鹿げた所業も黙認してるしかないというのか」(私)

「裁判所の判断がそういうことならば、止むを得ないでしょう」(主幹)

 

予定は2時間。ここまで話し終えてまだ30分程残っていたが、これ以上

役人の都合を聞かされるために、この会議室に留まることが無駄に思えて、

私はセンター取り締まりを要請する課長宛ての嘆願書を手渡し、市役所を後にした。

 

その立場になりまざまざと実感させられたが、病を得た要介護者が事故などで

体に更なるダメージを与えられることは、ほぼ人生に引導を渡されるに等しい。

こんな切り捨てられ方をするために、母は限られた年金の中から保険料を

納め続けてきたのかと、どうにもやり場のない思いがただ残るだけだった。

 

    五月野のすみずみ見えて疲れるよ

 


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2016年

1月

21日

教育制度と介護制度

平成23年10月に滋賀県大津市で地元公立中学2年の男子生徒がいじめが原因で、

自宅マンションから飛び降りて自殺した。母の転倒骨折の約8か月後のことになる。

 

当初の報道は簡単に事実関係を伝えるだけであったが、その扱いは次第に大事になっていく。

担任も学校も陰湿で執拗ないじめを把握しながら見て見ぬ振りで、対策がとられることはなく、

事後対応も、事実を口外しない様に生徒達に口止めをするなど不適切極まりないものであった。

検証を担う立場の市教育委員会も、いじめの事実を認めながらも自殺との因果関係は不明とし、

責任問題に発展しないように学校と組織ぐるみで証言の核心部を封印し、調査内容を隠蔽した。

更には地元警察も家族からの被害届の受理を繰り返し拒否したりと、おかしな対応が次々に

露見していき、翌年にはマスコミが連日学校に押し掛ける大騒動になっていった事件がある。

 

交渉の糸口が見つけられずに、訴えをことごとく門前払いにされている

私を見て、母はこの学校のいじめ問題とまるで同じことだと言い始めた。

 

 


 

その後、この事件は県警が学校と教育委員会に捜査に入り、加害者の生徒達は書類送検され、

市も新人市長の一念発起で、最終的にはいじめと自殺の因果関係を認め、謝罪し、

第三者委員会も設置され、市は裁判所の勧告に従い遺族側と和解することになる。 

  

そもそも、子供が自殺に追い込まれるなど原因不明のままで済まされる問題ではなく、

現在は子供が自殺したりすると報道でもその事実だけではなく、いじめは無かったか、

学校や教育委員会の対応は適切であったか、背景も検証がされるのが常となってきた。

 

一方、介護に疲れた老々夫婦が連れ合いを殺めてしまったり、無理心中を図ったりする事件も、

その人達が誰とも問題を共有できず、立ち往生していたことは子供の自殺と同様の筈であるが、

介護制度では、本来なら誰が何をすべきだったかという検証までは至っていないように見える。

 

戦後から続く学校での義務教育が基本の教育制度と、まだ開始されてから

20年経たない在宅重視の介護制度を同じ土俵で見比べられる筈もないが、 

問題解決と再発防止のため役割を果たすと思っていた者達が全く機能せず、

事実まで無かったことにされ、理不尽がまかり通っていく。

その状況や境遇が母の眼には同じに見えたのかもしれない。

 

自殺した少年はいたたまれず、担任に助けを求めたということだが、

担任は殆ど聞き流してしまい、まともに応えなかったとされている。

窮状を訴えても同じ目線で話しを聞いてもらえず、邪険にされたり

厄介者のように思われたとなれば、それを口にすること自体が

ストレスや罪悪感になって、やがて諦めてしまうことになる。

 

教育制度では、担任や学校が義務を果たさなければ、責任を追及していくことになるが、

介護制度では、その役割は用意されておらず、私の場合は民生委員に相談するように言われた。

そして、一連の事柄をどこかに問い合わせる度に「迷惑がられている」と気重になっていった。

 

この時の私はその様な軟弱な自分の一面を母はもちろんのこと

他の誰に対しても決して、けどられてはならないと思っていた。

 

    バラ散るや哭きつつバラを抱く家族

 


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2016年

2月

01日

示談交渉の精算

法律相談では証拠が揃わないと言われ、行政からも口を挟めないと言われ、

母においてはこの期に及んで、もう醜いものに触れたくないということか、

無気力に人生そのものを諦めかけているのか、交渉のことも制度のことも、

自分からは徐々に口にしなくなっていった。

 

そんな母が不憫だったし、息子として交渉役として自分が不甲斐無く、なんとも消化不良で、

どれ程、可能性が薄かろうが迷惑がられようが「まだ終われない」という思いが強くあった。

 


 

センター側は法的に過失責任を問われることはないと、高をくくっているのだろうが、

代理人弁護士を介しての発言も含め、私達に残していった痕跡を繋ぎ合わせてみると、

たちまち信用など崩れ去る支離滅裂な実態が浮き出てくることになる。 

一時の責任回避のために、そんな痕跡をどこかに残したままにするは

信用を糧に生業とする者が愚かという他ない。

 

地域には自治会もあるし老人会もある。両親はこの地域にきちんと関わり、

人間関係を築き暮らしてきた。その築40年の実家に社長もセンター長も、

責任ある立場として足を運び、その年月を自分なりの目で見て感じた筈だ。

 

当事者であるセンター長にだけは直接そのことを問い正したいと思った。

自分の“名札付き”の足跡を全て見直し、それでも「弁護士を通せ」と目を背けるのなら、

その時はもう仕方ない。所詮その程度の若造だったと、こちらなりの見切りをつけよう。

 

弁護士が代理人となり、交渉の窓口を一本化されている今、

そのための座をどうやって作るか、その方法を考えていた。

前触れなくセンターに出向くというのが一番手っ取り早いのだが、

サービス時間内であれサービス後であれ他のスタッフもいる中、先方が気色ばんで、

あの威圧的な弁護士に連絡でもされれば、かえってややこしい事にもなり兼ねない。

 

 センターと実家とは目と鼻の先、その施設との関係をもっと普通に直接繋ぎ直す

 方法がない筈はないと、契約書と重要事項説明書を順番に読み直してみたところ、

「料金の支払い方法」の項目に目が留まった。

「支払いは銀行引き落としで行うが、場合によっては現金払いの形をとることもある」

 

思えば、この交渉はたった一度だけ利用したサービスの請求書が

上がってきたと、センター長から連絡が入ったことから始まった。

私は検証会談を要求し、交渉が決着した時点で支払うと約束した。

 

その未払のままの料金を「母が直接手渡すことを希望している」ということにし、

センター長に家まで集金に来るよう依頼するということならば

弁護士など関係なく、センター長と対面する名目が立つのではないか。

 

センター長があらん限りの誠意を絞り出してやっと成り立つ筋書きで、

これまで散々失敗してきたことを性懲りも無くまた繰り返すという話だ。

しかし、今となってはこれしかもう打つ手が思い浮かばない。つまり、

これがこの件での最後の一手になるのかもしれない、そんな思いだった。

 

     蝶々やどれが恋やら敵やら

 


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2016年

2月

11日

雲隠れセンター長

要介護者ばかりが集まる午後の枠があるとセンター長に薦められた火曜日と木曜日。

6月に入り二週目のその火曜日、午前のサービスが終わる頃を見計らって料金精算の電話を掛けた。

すると、応対に出たスタッフが「この4月でセンター長は交代しています」などと言うではないか。

 

ここが開設したのが前年の6月ということだったので、

一年経たず責任者を代えてきたことになる。唖然とするばかりだったが、

この日は前センター長も午後からの出勤の予定があるということらしい。

要介護者ばかりが集まっている枠には顔を出しに来るということなのか、

「伝えたい要件があるので、今の責任者に替ってもらいたい」と言うと、

「承ります」と午前の送迎から戻ったところの新任センター長が電話口に出てきた。 

 


 

新センター長はその年の4月からこのデイサービスのスタッフに加わり、

前センター長は本社勤務になり、外回り中心で行動しているということ。

 

「昨年からの料金の未払いがある、その時担当だったセンター長に母が直接支払いたいと希望している」

そのように伝えると「本日午後から本人が出勤してくるので、その旨を伝え折り返し連絡を入れさせる」

新センター長はそう言ったが、本当に連絡が入るかどうかは怪しいものだと思っていた。

頭の中に色々と思案が巡った。 思案をしながら夕刻まで待ったが、やはり連絡は来ない。

   

母に対して、私に対して、社長同席の座で、また代理人を経由して残してきた

発言の移ろいを、前センター長は責任者の立場として認識していない筈がない。

もし、突発的なアクシデントで急きょ欠勤という事態なら「連絡を入れさせる」

そう言って私の連絡先も聞いた新センター長は、その経緯を報告してくる筈だ。

誰も何も言ってこないということは、名目如何に関わらず面会するつもりは一切ない。

その意志の現れと考える他なかった。 

 

施設責任者として地域の人達に対し、体裁や建前が必要な立場ならまだしも、

今となってはその限りではない。今更誠意に訴えること自体が虚しい状況だ。

しかし、料金精算を口実に対面を要求するという手段を使ってしまった以上、

連絡がないなら、こちらから出向いてでも計画はやり切るべきではないのか。

今後は先方も警戒してくる筈。前センター長と直接対面できる機会は今日が

最後なのかもしれないそういう考えも一方ではあった。

  

結局その日、私は自分からセンターに足を運ぶことはしなかった。

「出勤している筈」と乗り込んでいっても、逃げの一手を打たれ

居留守でも使われれば、ただ迷走して終わることになり兼ねない。

力ずくではなく、必然をもって座に就かせる状況を作らなければ、

意味のある結果には繋がらない、最終的にはそういう思いだった。

 

今までの例で見れば、このまま放っておけば連絡もないままに終わる。

しばらく様子を観て、新センター長に精算の段取りを整え直す電話を

掛け直そうと考えていた。

 

     一存で猫の出てゆく四月尽

 


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2016年

2月

21日

新センター長への依頼

連絡が来ないまま二週間待ち、状況確認の電話を入れた。

  

「午後から予定されていた前センター長の出勤がその日はなかったので、本社に

 確認をとったところ、料金は代理の弁護士に渡してもらうようにと託けられた」(新センター長)

「弁護士は苦情処理交渉のための代理であって、料金の精算にまで仲介をさせる

 必要はない、支払いは重要事項説明書の記載の形でお願いしたい」(私)

「自分は事情を知らない、本社の託けをそのまま伝言するしかない」(新センター長)

「その特殊な事情の伝言が丸二週間、なおざりにされている訳だが」(私)

「すいません、連絡するのを忘れておりました」(新センター長)

    

新センター長の早口でよく回る舌から出る言葉は、丁寧ではあるが、

相手の納得を得ながら円満に事を収めようとする心遣いを感じない。

   


   

もっとも、連絡が無視され誤魔化されるやり口をこれまで、散々見せつけられてきた私にすれば、

すっかり耐性がついてしまって「結局、同じ穴のムジナか」と今更、騒ぎ立てることも特にない。

騒ぎ立てないが、新センター長のこの礼を失する態度をただ黙って受け流す気にもなれなかった。

そもそも、これ程のいい加減な対応が出てくるのは、本社や前センター長が母に関しての正確な

経緯を伝えていないことに原因があると考えられる。

  

新センター長に面会するしかないと思った。  

施設長が交代しようがしまいが、母との契約関係が続く以上、

その契約内容に沿った対応を執る責任がセンター側にはある。

  

直接面会して前センター長のもとで何があったのか、全ての資料を提示して話し聞かせる。

『もし、これが自分の家族の身に降り懸かったことなら』と、ごく人並の想像力をもって

話を聞き、自分の頭で少し考えてみれば、なりふり構わず責任回避に走る前センター長や

社長・副社長とはまた別の行動も出てくる筈だ。

  

前任同様、理学療法士であるという新センター長、母のリハビリについて意見を求めてみた。

昨年の9月から頓挫している母のリハビリの再開について相談に乗ってもらいたいのだが」

「自分に、でしょうか…」

流石にこの展開になってくると、新センター長も少々面を喰らったようだった。

もちろん、このセンターでのリハビリの再開など私も本気で考える訳がないし、

なにより、母自身が承諾する筈がない。

  

前年のトラブルについては、交渉窓口が代理人一本化されている今、

面会するにも別の名目が必要になってくる。その苦肉の方便である。

そもそもの料金精算に話を戻してもよかったのだが、それはやはり、

前センター長との再対面実現の局面まで温存しておこうと思った。

  

     蝶々を狂わせている紫外線

 


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2016年

3月

01日

利用再開申し込み

 私からリハビリの相談を要請された新センター長。

「このセンターでの利用は一旦終了したものと聞かされているのですが」と。

 

契約書の[契約の終了]の項には、

[利用者からの契約の解除は文書の通知をもって成立する]とあって、

[事業者からの契約の解除も文書の通知をもって成立する]ともある。

センター長の処置が原因で傷害を負ったとして苦情を申し立て、

交渉のために文書で意見を交したが、契約を切る内容ではない。

 

 その経緯を新センター長に話すと、

「契約の終了の項目については、利用者から事業者に対しての手続きの形が書かれているもので、

 事業者から利用者に対して当てはまるものでない、利用再開となると現在の介護保険の点数等

 必要な確認もあるので、ケアマネージャーを通じて話をしてもらいたい」と一気に返してきた。 

 利用再開の件は制度上、ケアマネージャーとの連携が必要なことで間違いのないところだろうが、

 契約終了については本来の主旨に照らすと、誤解を招くような説明である。

 それから暫く契約書の解釈について、無為なやり取りが続くことになった。

 


 

料金精算の連絡放置に続き、不明瞭な契約内容の講釈。対応を受ける相手次第では、

もう、この時点で不興と怒りを買い、面倒な事態に陥っていても何ら不思議はない。

人の健康管理を預かるリハビリセンターの責任者、十分な経験と人望が求められる。

いい加減な対応しかできない施設だと世間から見透かされてしまえば、しいては

自分の名誉まで貶める。そんな生真面目さがこのセンターからは感じられないのだ。

 

契約が切れてはないこと、母の介護保険の利用状況が契約時点と変わりないことを私は説明し直して、 

[利用者の日常生活全般の状況及び希望に沿って、通所介護計画を作成し利用者と家族の同意を得る]

との条項に則り「現在の母の体力に沿ったリハビリの計画を見立ててもらいたい」と改めて要望した。

 

それに対し、新センター長からは契約が継続していることの理解を得ることはできたが、

現在、定員が一杯に埋まっており、申し込みがあっても待機が必要な状況であること。

介護計画の作成についても、ケアマネージャーに話を通す必要があるとの返答を受けた。

 

 前センター長に直接料金を支払う機会を設け、これまでの適当な見識と発言を見直させることが

 そもそもの目的で新センター長には事情を納得させ、手筈を整えるよう説得しなければならない。

 納得させるには一定の会談時間が必要になる。介護計画作成の依頼はうってつけの名目ではあり、

 手段はこれしかなかったが『手順が増えすぎて、こんなのは絵に描いた餅だ』と苦笑する思いと、

『契約履行の依頼は本社も了承するしかない筈だ』との思いが私の中で錯綜した。

 

「了承した、ケアマネージャーを通じ利用再開を申し込む」と私は意向を伝え、通話を終えた。

 

    ころがせば蟻の玉から盆の菓子

 


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2016年

3月

11日

嘘も方便

 大きな災害や事件・事故に自分や自分の家族が巻き込まれた人達の取材において、

「あの時から時間が止まっている」とのコメントを何度も耳にしてきた気がする。

『全く同じケースなどはない筈なのに、皆口を揃え同じこと言うものだ』などと、

 そんな感想でコメントを聞いていたこともあったが、自分自身が当事者となって、

 その心境はと聞かれると「あの時から時間が止まっている」これ以外の言葉が見つからない。

 

トラブルの渦中にある人間は、内容の深刻さにそれぞれ違いがあっても

問題を解決・払拭することに相当量のエネルギーを割かれることになる。

私にとっても、一連の交渉事は寝ても醒めてもそればかり考えてしまう一大事であった。

 

あまり思い詰めてばかりでもいけないと、例えば病院に付き添う道中、

紅葉や桜の季節になれば車窓越しに景色も愛でるし、外食が困難でも

折詰など買い求め、たまの贅沢として美味しい物を食することもある。

しかしトラブルの渦中にあっては、それらを味わったり鑑賞をするに

五感の全てや神経・意識を集中させることが出来なくなってしまうのだ。

 

意識の先頭には常に灰色の雲で覆われたような“災い”が陣取って、

心奪われる筈の素敵な物を用意されたとしても、どこか上の空で、

堪能しきれず、瑞々しい季節感や臨場感を伴う体験とはならない。

だから、辿ってみても味気ない色あせた記憶でしか再現されない。

それが「時間が止まっている」という表現の意味だったと、この歳になり悟ることになった。

 


 

 ケアマネージャーには6月末の定例訪問の折に、利用再開の希望を伝えることになった。

 前任の移動でこの4月から新担当となり、顔を合わせるのもまだ数回目といったところ。

 センターとの経緯を含め前任から引き継ぎを受け、母からも無念の思いを聞かされても、

 じっと聞きはするが、前任同様、自分から詳しく話を聞き直したりといったことはない。

 

 私達が一定の安心のもと、止まってしまった時間を進め直すには、このトラブルについて

 まずは何らかの形で溜飲を下げる必要がある。しかし、新担当のケアマネージャーに対し

「心情を察しろ」と迫ってみても、また無理が出るだけに違いないと思われた。

 

「母の主治医からリハビリの再開を急かされている」として、

 再開の手続きに入るよう、私はケアマネージャーに申し出た。

 それでは合点がいかないのか、訝しげに質問が返ってくる。

「リハビリ特化なら、少し遠くても別の所が良いのでは」とか、

「健康保険での訪問リハビリという選択もあるのですよ」とか、

「直接、お母さんからご希望やお話も伺いたいのですが」など、

 どこをどう間違えば、そんな方針に辿り着くのかといった具合だ。

 

「母は昨日、上手く寝付けずにまだ眠っていて、残念ながら今日は直接は話せない…、

 このセンターにおいては昨年9月、前責任者により通所介護計画が作成されている筈で、

 現在の状態と比較した上で、今後の機能回復と介護計画についての助言を求めたいのだ」

 もともと母には何の断りもなく始めている話で、もっともらしい再開理由も方便であるが、

 私の良心は微動だにしなかった。

 

   長い貨車つくつくほうし負けにけり

 


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2016年

4月

01日

新センター長との面会

利用再開の申し込み後、途中ケアマネージャーから「処遇検討中らしい」と報告を受けるも、

それ以外の音沙汰なくひと月程経った。このまま待っていてもまた放置されるだけだろうと、

結局、こちらから経緯確認の電話を入れることになった。

 

「今は利用枠が全て埋まっており順番待ちがある状態、再開の目途が立たない」(新センター長)

「順番待ちはやぶさかでない、まずは前もって介護計画の作成をお願いしたい」(私)

「かなりの待機人数があり、再開時期の決められない介護計画は立てられない」(新センター長)

「契約時の10か月前に立てられた計画がある筈で、その時と

 現在の母の状態を比較し、助言もらいたいと言っているのだ」(私)

「自分はその時にはこのセンターのスタッフではなかったので、

 初めて会う利用者の体調の比較などできない」(新センター長)

「前センター長を連れて来れば問題はなかろう」(私)

「前センター長は現在ここの勤務ではないのでそれも出来ない」(新センター長)

  

本社や前センター長からどんな引き継ぎをされたとしても、ここは施設責任者として

利用者からの訴えを直接聞いて、事の次第を自分でも確かめてみようとする柔軟さや

臨機応変さがどうにも感じられない。 

  

前センター長同様に話し方や声から受ける印象はまだ若輩で、この新センター長もまた、

利用者や利用者家族の対応経験が不十分なまま任に就いているのではないかと思われた。

  


  

 このまま電話でやりとりを続けても事の進展に繋がるとは思えず、

「何故、直接料金の支払いを希望するのかを記録を提示しながら説明したいのだ、

 契約を引き継いだ立場として、私達の側からの話も聞いておいてもらえないか」

 有りのままにそう言ってみると、遂には新センター長も根負けしたか

「こちらに来てもらえるならば」とその日から更に一週間後の営業後の

 時間が指定され、ようやく面会の手筈が取り付けられることになった。

 

数日後「仔細を聞いた」とケアマネージャーから連絡を受けた。自分も同席したいのだと言う。

新センター長が頼んだことか、ケアマネージャー自らの申し出かはまでは敢えて聞かなかった。

この際、民生委員にも同席を頼めばどうかとも言う。

 

担当民生委員のTさんにはこの件では既に相談を済ませており、その際には

地区の民生委員会長と共に市社会福祉協議会にまで話が引き継がれていった。

結局は民生委員には荷が勝つとされ、地元NPOを紹介されることになった。

 

私はこの件で民生委員の手を煩わせることは、もうあるまいと思っていたが、

より多くの人に経緯を知ってもらう絶好の機会であり、不都合などある筈もなく、

民生委員・ケアマネージャー・私の3人で当日センターに出向く段取りとなった。

 

    地球儀の芯ぐらぐらと半夏生

 


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2016年

4月

11日

契約解除

面会の約束は5時半、民生委員Tさんは私と待ち合わせて

センターに行き、ケアマネージャーとは現地集合となった。

当日は昼過ぎから気温も上昇し、すっかり真夏日和である。

7月も、もう下旬となっている。

 

提示する資料と記録を揃え、準備も整ったと思った矢先携帯が鳴った。着信を見て一瞬で胸がざわつく。

てっきり待ち合わせていたTさんかと思ったがそうではない、掛けているはあの代理人の弁護士だった。

「当方(センター)はそちら(母)との契約を終えることにした、面会は中止にさせてもらう

 センターには行かないでもらいたい」などと。

 

新センター長と面会の約束を交わして一週間。途中ケアマネージャーが話に入ってきて、

そのケアマネージャーからも特に変更の話などはなかったが、約束の時間直前になって

やはりと言うか、ここで代理人が口を挟さんで来た。一気に髪の毛までが逆巻いてくる。

 


 

「本日の面会は新センター長が指定した時間で、こちらはそれに合わせ準備してきた、

 民生委員も手配済みで直前になり、そんな一方的な通達は受け入れられる訳がない」(私)

「これは決定したことで、とにかく行くのは止めて頂く」(代理人)

「契約の解除など私は了承しないし、される理由もない」(私)

「契約書・契約の終了の条項を適応させての決定である」(代理人)

 

事業所側から契約を切るための条件は2項。

1・2か月以上の料金支払いの遅延があり、催告を受けても支払われない場合。

2・利用者が事業者に対して契約を継続し難いほどの“不信行為”を行った場合。 

前センター長の処置により、右大腿部の痛みが増し障害を負ってしまったと

苦情を申し立てたこと自体に対し、この2番目を適用させるというのである。

 

「支払いを済ませ介護計画の作成を依頼するのだ、もう代理人は関係なかろう」と切り返すも、

「気に入らなければ裁判でも何でも好きにしろ」と言わんばかり、代理人は取り付く島もない。

そもそも、契約の終了は利用者側からでも事業者側からでも、文書の通知をもって成立すると、

条項の前提に記されてある。特に事業者は理由を示した文書を通知しなければならないとある。

 

「その類の文書を受け取ってはいない、頭ごなしに行動を拘束される謂れはない」(私)

「文書はこれから送るので同じことだ、契約は既に終了したと理解して頂く」(代理人)

 これまでも散々に弄ばれてきたが、それもここに極まった。

 怒髪衝天、これ程の怒りを覚えるのは全く以ていつ以来か。

「無理が通れば道理が引っ込むとは正にこのこと、貴方の講釈などは聞くに値しない、

 これ以上のやり取りはもはや時間の無駄でしかない」私はそう言って電話を切った。

 

      蛙田の沸騰したる一軒家

 


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2016年

4月

21日

面会決行

予定通り面会に出向く、その決心に何の躊躇も持たなかった。

待ち合わせて一緒にセンターに向かった民生委員Tさんには

「今日は横で話を聞いていてもらえばよいです」とだけ伝えた。

 

契約解除・面会中止と決め込み、終業するや否やスタッフが引き揚げてしまう恐れがある。

現地集合のケアマネージャーに「Tさんと先に行っているから」と電話で断りを入れると、

「センターから来ないでくれと連絡が入った、自分はこれ以上関われない」と返してきた。

「Tさんはあなたの提案で時間を割いて来てくれているのだ、見届けるのが筋ではないのか」と諭すも、

「事業所の意向に逆らってまでは出来ない」と結局、ケアマネージャーは面子から外れることになった。

 

ケアマネージャーの参加は自身の申し出があってのこと。

民生委員に立ち会ってもらうのも、その話の一環だった。

面会中止がこの土壇場になって通告されたことを思うと、一連のケアマネージャーの動きは、

その時々のセンター側の要望に沿ったものだったのかもしれない、そんなことが想像された。

居宅介護支援と通所介護、やはり同じ介護事業者同士の繋がりを重視しているということか、

こちらが立ち会いを依頼した時の冷やかさ思い返すと、わだかまりは深まるばかりである。

 

    藁帽子飛んでわらわら訣れける 

 


 

私自身は自分の行動に間違いはないものと腹はくくれているが、センター側の対応次第では

多少の悶着位は覚悟しておかなければならない。Tさんには申し訳のない思い一杯であるが、

当の本人はさほど気にしていない様子で「それでは行きましょうか」とセンターに向かった。

 

センターの間口に立ってスタッフを呼ぶと、まだ20代かと思われる若者が応対に出てきた。

新センター長である。想像通りだが、その風貌は前センター長よりまだ更に若い印象だった。

 

「契約を切る、面談も行わないようにと代理人から指示を受けている、お引き取り頂きたい」

(新センター長)

「契約解除の手続きなどは何も完了していない、現時点ではまだ契約状態にあることは明白、

 施設責任者として取り交わした約束、覚悟を決めて自分の判断で誠実な対応を行うべきだ」(私)

「自分は雇用されている立場、雇用主の代理人である弁護士から指示されれば従うしかない」

(新センター長)

「とりあえず、名刺位は頂けないものか」(私)

「渡せません、何も渡すな何も受け取るなと言われているので」(新センター長)

 

足を肩の幅に広げ、両手を後ろに組みバリケードを張る警官のように姿勢を崩さず

Tさんと私の前に立ち続ける新センター長、入場させることすらも許さない構えだ。

夕刻とはいえもう真夏、首筋には流れる汗がまとわりついていた。

 

     風吹くな地震よ来るな桃実る

 


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2016年

5月

21日

決行の顛末

自分が責任者の任に就いた施設でその前年、弁護士が代理に立って交渉する程のトラブルがあった。

その利用者家族が自分達の立場からの主張も聞いておいて欲しいと、記録物を持って目の前にいる。

 

契約解除といっても手続き自体まだこれからで、民生委員が横でずっと経緯を見ている。

今後、この地域の老人相手にリハビリセンターの施設責任者を務めていく立場となれば、

自分が指定・約束した時間にやって来た利用者家族を無下にあしらうことは出来ない筈、

そう思っていたのだが…。

 

この若いセンター長は横にいる民生委員にどう思われようと、私を追い返すことが

自分の役割だと確信を持っているのか、間口に立ちはだかったまま私達を見下ろし、

「何かの記録物を置いていかれても自分は見ないし、ただ代理人に渡すだけだ」とにべもない。

  


 

そんな新センター長の人となりに、言いようのない違和感を感じていた。

天の霹靂の契約解除宣告で頭に血が昇っていたし、実際に通知文書が

発送されてしまうと、センターと接点を持つこと自体が更に困難になる。 

『今日は何としても、手ぶらでは帰らない』と心中決するものがあった。

だが、その決意にも迷いが出てくる。

 

この若者に対して何を言っても所詮、暖簾に腕押し、糠に釘。

懐柔して前センター長への取次ぎの手配を計らせるなど、やはり絵に描いた餅。

血気に逸り無暗に記録を見せても、結局素通りして代理人に渡されてしまえば、

ただ、こちらの手の内を無駄に晒して終わるだけでは…。

 

新センター長と向き合ったまま、どれ程の間そんなことを考えていただろうか。

私達に「不信行為を行う利用者」とのレッテルを貼り、不利益な邪魔者として

排除にかかるセンターへの抑え切れない憤りを、とにかく発散させたい衝動と

『今、それをしても何も得るものはない』と冷静に状況を見つめる自分との葛藤が始まった。

 

「代理人の指示以外の判断はあり得ないのか?

「あり得ない」といった問答を何度か繰り返した。

 その繰り返しが頭に昇った血を降ろすのに必要な手順だった。

 そして、私は「仕方がないから、今日は引き揚げるとしよう」

 奥歯を噛み締めそう言って、この面談計画に見切りをつけるに至った。

 

契約解除の通知は早晩、送り着けられることになるだろう。

内容証明付きで来れば、受け取りを拒否するという手もあるが、

きちんと受け取っておけば、センターの許し難い愚行の痕跡が、

またひとつ付け足されることにも繋がる。

まだ出来ることは一体何があるだろうか。

そんなことを考えながらの帰路となった。 

 

母のパーキンソン病の診断を受け、ケアマネージャーから

このリハビリ特化のデイサービスを紹介された。

その最初の訪問から丁度丸一年後の有様だった。

 

    カナカナやふと今際かと未生かと

 


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