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2015年

5月

21日

センター長呼び出し

民生委員から紹介されたNPOの活動内容は成年後見人制度に関する事業が

中心ではあるが「介護サービスの質の向上に関する活動」という項目もある。

相談すればスタッフが仲介となり、会談設定のために動いてくれるのだろう。

しかし、そうした方が良いのかどうか…。

 

医学的な因果関係の立証が今更難しいとなると、センター長の医療人としての実意に訴え、

嘘のない記憶を語ってもらうしかない。なんとしても、その環境を作らなければならない。

 

介護制度上の監督から外れた責任の無いのボランティアの仲介がそれにつながるのか。

再三の会談の要請も聞き流されている状況、こちらが身構えている姿を見せるほどに、

却って、先方にも想定問答など責任回避のための準備をさせてしまうだけではないか。

そんなことを考えてしまうのである。

 

 平成25年12月、仕事納めまであと10日ほどと押し迫って、

 午後のサービスの頃合いを見計らい、前ぶれなくセンター長へ呼び出しの電話を掛けた。

「今日仕事が終わったら家によって、どのような経緯になっているのか説明してほしい」

「今日は所用が…」(センター長)

「その所用が終わってからで構わない、何時になっても待っている」(私)

「それならば7時に」センター長は来宅は時間通り来宅した。

 

 母は自室に寝ていて玄関脇の客間にセンター長と私、一対一。

「今日、まだ連絡が入っていないと(私から)聞いて驚いているところだ」(センター長) 

「最初の私の直接依頼とケアマネージャーの伝言で計4回、同じことが繰り返されて、

 今改めて『驚いている』など、端から本気で取り次ぐ気など無いのではないのか?」(私)

「本社にはその都度、連絡の要請を入れていた、本社からかも毎回『連絡を入れる』と

 返答されていたことは確かだが、そこからがいい加減であったと言われれば返す言葉がない」

 

何という子供染みた言い訳。問題としている処置が行われたのが最初の体験利用の日。

どうであれ、翌々日の本利用には通った。状態の悪化がゆっくり進んだことを伝えた。

神妙な面持ちとは裏腹に、端から「相手にする必要なし」と高をくくっているのではないのか。

 

 『いい加減にも程がある』と言ってしまいそうになり、私はこらえる。

 このまだ若いセンター長の気持ちを強張らさせず、実意を引き出して話をさせることが今日の目的。 

 早々に感情的になって雰囲気を緊張させてしまっては、敢えて仲介人なしの座を作った意味がない。

『穏やかに、冷静に』と自分に言い聞かせながら話を進めていきました。 

 

     ポケットの暖 見返れば開戦日

 


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