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2016年

1月

21日

教育制度と介護制度

平成23年10月に滋賀県大津市で地元公立中学2年の男子生徒がいじめが原因で、

自宅マンションから飛び降りて自殺した。母の転倒骨折の約8か月後のことになる。

 

当初の報道は簡単に事実関係を伝えるだけであったが、その扱いは次第に大事になっていく。

担任も学校も陰湿で執拗ないじめを把握しながら見て見ぬ振りで、対策がとられることはなく、

事後対応も、事実を口外しない様に生徒達に口止めをするなど不適切極まりないものであった。

検証を担う立場の市教育委員会も、いじめの事実を認めながらも自殺との因果関係は不明とし、

責任問題に発展しないように学校と組織ぐるみで証言の核心部を封印し、調査内容を隠蔽した。

更には地元警察も家族からの被害届の受理を繰り返し拒否したりと、おかしな対応が次々に

露見していき、翌年にはマスコミが連日学校に押し掛ける大騒動になっていった事件がある。

 

交渉の糸口が見つけられずに、訴えをことごとく門前払いにされている

私を見て、母はこの学校のいじめ問題とまるで同じことだと言い始めた。

 

 


 

その後、この事件は県警が学校と教育委員会に捜査に入り、加害者の生徒達は書類送検され、

市も新人市長の一念発起で、最終的にはいじめと自殺の因果関係を認め、謝罪し、

第三者委員会も設置され、市は裁判所の勧告に従い遺族側と和解することになる。 

  

そもそも、子供が自殺に追い込まれるなど原因不明のままで済まされる問題ではなく、

現在は子供が自殺したりすると報道でもその事実だけではなく、いじめは無かったか、

学校や教育委員会の対応は適切であったか、背景も検証がされるのが常となってきた。

 

一方、介護に疲れた老々夫婦が連れ合いを殺めてしまったり、無理心中を図ったりする事件も、

その人達が誰とも問題を共有できず、立ち往生していたことは子供の自殺と同様の筈であるが、

介護制度では、本来なら誰が何をすべきだったかという検証までは至っていないように見える。

 

戦後から続く学校での義務教育が基本の教育制度と、まだ開始されてから

20年経たない在宅重視の介護制度を同じ土俵で見比べられる筈もないが、 

問題解決と再発防止のため役割を果たすと思っていた者達が全く機能せず、

事実まで無かったことにされ、理不尽がまかり通っていく。

その状況や境遇が母の眼には同じに見えたのかもしれない。

 

自殺した少年はいたたまれず、担任に助けを求めたということだが、

担任は殆ど聞き流してしまい、まともに応えなかったとされている。

窮状を訴えても同じ目線で話しを聞いてもらえず、邪険にされたり

厄介者のように思われたとなれば、それを口にすること自体が

ストレスや罪悪感になって、やがて諦めてしまうことになる。

 

教育制度では、担任や学校が義務を果たさなければ、責任を追及していくことになるが、

介護制度では、その役割は用意されておらず、私の場合は民生委員に相談するように言われた。

そして、一連の事柄をどこかに問い合わせる度に「迷惑がられている」と気重になっていった。

 

この時の私はその様な軟弱な自分の一面を母はもちろんのこと

他の誰に対しても決して、けどられてはならないと思っていた。

 

    バラ散るや哭きつつバラを抱く家族

 


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