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2014年

10月

10日

転倒骨折

共に昭和2年生まれ、2011年、満83歳。郊外の築40年の実家に、ひっそりと暮らす

両親がいる。父は血圧が高めで、母には軽い緑内障と、季節や気圧の変化に伴う喘息がある。

それぞれに、齢相応の課題はあるが、介助や介護は必要としない老々夫婦二人暮らしだった。

 

2月に入ったある日、書留郵便の受け取りに出た母が、玄関先の庭石につまずいて、転んでしまった。

左足の付け根に衝撃を受けた母の脳裏には、緑色の閃光が浮び上がった。体全体が宙に浮いたような

感覚になっていくが、恐怖や不安はない。むしろ、心境は穏やかさ、安らかさに包まれていたらしい。

『人の死とはこのようなものなのかな…』そのようなことを考えながら、意識が薄れていったそうだ。

 

その後、母は郵便配達員によって室内に運ばれ、頭に浮かんだ光体も萎んでしまい、意識を取り戻し、

激痛に襲われることになる。私の家は実家から車で約10分。遅めの出勤支度をしていた私に父から

「すぐに来い」と電話が入った。

 

母は玄関脇の部屋で痛みにもがいていた。その体勢は匍匐前進試みるも、身動き取れない兵隊のよう。

『骨折をしているのかも』と推測された。地元総合病院に救急搬送。そして、やはり左足鼠蹊部骨折。

 

担当医から「手術をしなければ、このまま寝たきりになる」と診断結果が告げられた。

同意書にサインするやいなや、割れた骨を繋ぐため、ボルト2本を埋め込む緊急手術。

術後数日で直ぐに、リハビリが開始された。

 

入院中に東日本大震災が起こる。 

一時帰宅の許可が出たのは手術から約2か月後。丁度、地元の桜が満開を迎えていた。

車の窓を全開にし、ゆっくりとアクセルを踏み、住み慣れた実家に母を連れて帰った。

 

その後、私は病院のソーシャルワーカーから介護制度について、基本からの説明を聴くことになる。

老々の親を横目で観ながらも、それまで介護など全く無縁だった私には、その制度についても殆ど、

知識の持ち合わせがなかった。

 

入院から約3か月後、母の左足は右足のほぼ半分の太さになり、杖歩行。要支援区分1の

介護認定を受けての退院となった。『区分認定には要支援から要介護への段階があるか…』

この時の私の介護に対しての実感は、まだまだ、その程度のものだった。

 

   さくらさくらとてんとう虫が目を醒ます

   


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