共に昭和2年生まれ、平成23年、満83歳。郊外の築40年の実家にひっそりと暮らす
両親がいる。父は老人性難聴で、母には軽い緑内障と季節や気圧の変化に伴う喘息がある。
それぞれに齢相応の課題はあるが、介助や介護は必要としない老々夫婦二人暮らしだった。
2月に入ったある日、郵便の受け取りに出た母が玄関先の庭石につまずき、転んでしまった。
左足の付け根に衝撃を受けた母の脳裏には緑色の閃光が「バッ」と浮び上がったのだという。
全身が宙に浮いたような感覚に包まれていくが恐怖や不安はない。むしろ、安らぎすら感じ、
慌てることなども一切なく『人の死とはこのようなものなのか…』そんなことを思いながら
意識が薄れていったそうだ。
その後、母は室内に運ばれ、頭に浮かんだ光体が徐々に萎んでいくとともに、意識を取り戻し、
激痛に襲われることになる。私の家は実家から車で約10分。遅めの出勤支度をしていた私に
父から「すぐに来い」と電話が入った。
玄関脇の部屋で母は、匍匐前進を試みる兵隊のような姿勢でうずくまり痛みにもがいていた。
『骨折しているのかもしれない』と地元総合病院に救急搬送。そして、やはり左鼠蹊部骨折。
担当医からは「手術しなければ、このまま寝たきりになる」と告げられる。
ボルトを埋め込み、骨を繋ぐのだという。選択の余地などあるはずもなく、
同意書にサインするやいなや緊急手術。術後数日でリハビリが開始された。
入院中に東日本大震災が起こる。
それまで介護のことなどおよそ無縁だった私は、その制度についても殆ど知識もなく、
病院のソーシャルワーカーからレクチャーを受け、退院後に備えていくことになった。
一時帰宅の許可が出たのは手術から約2か月後。丁度、地元の桜が満開を迎えていた。
車の窓を全開にし、ゆっくりとアクセルを踏み、住み慣れた実家に母を連れて帰った。
埋め込まれたボルトは母のような高齢者の場合、手術を繰り返すリスクを鑑み取り除かず、
そのままにされるのだという。入院から約3か月、母の左足は右のほぼ半分の太さになり、
杖歩行。要支援区分1の判定を受けての退院となった。
さくらさくらと てんとう虫が目を醒ます