診断パーキンソン病

回復はほぼ医師の診断通り、薄皮を剥がすよう少しずつ少しずつ、そういった具合。

半年も過ぎ、気候も良くなってくると、ようやく自力での移動を試みるようになる。 

 

「無理はするな」と忠告する周囲の声も余所に、室内に運ばせた手押し車にしがみつき、

なんとか立ち上がり歩き出そうとする。しかし、一歩目がなかなか踏み出せなかったり、

その場で小刻みに足踏みを繰り返すばかりで、思うように前進できず、ままならぬ様子。

 

<パーキンソン症候群>が進行しているのかもしれないと、神経内科に検査を依頼。

改めて<RI>という検査を半日近くも掛けて受け、正式にパーキンソン病と診断。

母は特定疾患の指定難病患者となった。

 

パーキンソン病は<振戦>という規則的な手の震えが現れることで知られるが、母の場合、

歩行、特に歩き出す時に難があるものの、安静時に体のどこかが震えるということはない。 

症状に個人差はあるが、いずれにしても脳内の神経細胞が減少し、運動機能が衰える病で、

神経伝達物質ドパミンを補充する投薬対処療法が中心となる。発症原因は不明で根本的な

治療法が未だ見つかっていない進行性の難病である。 

 

高齢になっての発症は「年のせい」と発見が遅れてしまうことも、ありがちなことで

「やはり、転倒骨折の時点で既に症状が出始めていたのだろう」そういう診断だった。

 

7月、薬の調合を見直すため、リハビリを日課とする約3週間の検査入院に入ることに。

整形科で右足の状態確認を受けながらの入院で、処方薬メネシットが1日1・5錠から

2・5錠に変更。病院のリハビリ科は入院患者が対象ということで、退院後は最寄りの

施設でリハビリを継続するよう<診療情報提供書>を持たされての退院となった。

 

一定の距離の移動には車椅子はまだ手放せない。しかし、自力で動ける範囲を

少しでも広げようと、母は片手に杖をもう片手は私の手を握り締め立ち上がる。

 

パーキンソン進行の不安が無い訳はない。だがその不安を肉離れからの回復が紛らせていた

退院はちょうど土用丑の頃、夏の日差しが眩しい午後、やはり「鰻を食べて帰ろう」となった。

母にとっては久方ぶりの外食となる。そこで私達はようやく少し一息入れ、帰宅の途についた。

 

        女・女・男・女と土用灸