この対面にあたって、私が母に繰り返し念を押していたこと、
センター長から施された処置について固執しすぎないように。
「揉んだ・揉まない」の水掛け論に持ち込まれるだけだから。
それよりも、彼等の事後対応のあり方を問い詰める方が良い。
「解ってるよ」と応えていた母ではあったが、いざ蓋を空け、話し出すとセンター長の
「評価」だとする説明に逐一反応し始める。これまで抑えていた無念が一気に噴き出し、
全く予想通りの水掛け論。結局、センターの事後対応の反証は私の役割となっていった。
「この件に関して、どう対処するべきと考えるか」との私の問いに
「医師の診断書の提出をもって、賠償手続きに入る用意がある」と。
それにしても、センター長の携帯の振動音がよく鳴る。
だが、センター長は確認をするだけで出ることはない。
掛けてきているのは、やはり、門前払いの社長なのか。
自分の目の届かない所でセンター長と私が話している。それが気が気でないという訳か…。
センター長においては、現在も認識に変更はなく、食い違っている本社との見解についても
「(本社が)何故、このようなことを言ったのか解らない、自分に嘘はない」と言い切った。
その上で「社長とも直接話して欲しい」と言う。
社長と対面する時は立会人をつける、これは鉄則だ。対本社会談の後日設定は崩せない。
だが、その<後日>には、こんなことを言ったセンター長の同席を本社が許すだろうか。
説明の食い違いを直接正すのは、二人が顔を揃えた今日が唯一の機会なのかもしれない。
この日のセンター長の様子を伺っていて、そんな雑念が私の中で過ぎってくる。
立会人はいないが二人が揃っている今日、本社との会談も済ませてしまうか…。
センター長同席が不確定でも、予定通り後日設定にして立会人を準備するか…。
最初に会談を申し入れ、4か月。ようやく母は自分の無念を訴えた。センター長はそれを神妙に
聞きはするが、謝罪はなく「<評価>として、力の感じ方・捉え方の違いがあった」という説明。
以降の対応は、損害保険会社に引き継ぐとは言うが、認めるのはあくまで責任の<可能性>まで。
これが、センター長と社長が擦り合わせてきた見解ということなのか…。
一方、母は「保険会社に引き継ぐ」と聞き、賠償の手続きが進められると、了解したのか
「後の事は、間違いなく頼みますよ」そう念を押し、矛を収めようとしている。だが何故、
その方針を聞くのに、こんなにも時間が掛かったのか、センター長と社長の説明の相違は
いかんともし難い。そこを有耶無耶にしたままの事態収束など、有り得るはずがないのだ。
「今日これからでも、社長とも話をさせてもらいたい」
私はセンター長にそう伝え、車椅子の母を自室に戻した。
女が釘を打って煮つまる新小豆