5枚綴りの通知書。
電話で告げられた通り、賠償の請求は了解できないと最初に述べられており。
次に、その結論に至るまでの理由が続いている。
<センター長が母に施した措置について>
センター長が体験利用日に実施した措置は、問診・触診で、揉みほぐし・マッサージではない。
その上で、短時間ずつ備え付けの器具で体験リハビリを実施したが、その日は終始異常はなく、
二日後の本利用日においても格段変わった様子はなかった。
母の右大腿部は膝関節症や筋肉の硬直が原因で、体験日の時点で既に運動痛・圧痛の訴えがあり、
慣れない運動で、筋肉に一時的な張りや痛みが出たとしても、そのことまで不手際とは言えない。
<センター長が社長と共に自分の責任の可能性を認めたことについて>
会談では、自分(センター長)には非はない、との主張に納得が得られず、水掛け論となった。
会談も長引き、やむを得ず「自分の処置が原因となった可能性がないとは言えない」と述べた。
そのような経緯で代表(社長)は診断書の提出をもって第三者の判断を仰ぎ、医学的見地から
センター長の過失が認められれば、誠実に対応すると答えた。
太字がセンター長との確認事項から確信的に話が変えられてしまった箇所である。
体験利用日は終始異常はなく、二日後の本利用日においても格段変わった様子はなかった。
故に「全く非はない」との主張を押し通していく魂胆のようだ。だが、そうなってくると、
「座位によるゆっくりとした運動を約1時間実行したが(残り時間は)痛みを和らげる為、
横になって頂き対応した」とある、二日後の連絡帳の記述内容との整合性はどうなるか。
座位によるゆっくりとした運動しかできず、痛みを和らげるため、横にならなければならない。
それが体験日と変わらない状態とし、そんな人間にロウイングマシンなど、体に負荷の掛かる
器具でリハビリを何種類も実行させ、二日後からの実質2時間メニューの契約を交わしたのか。
だとすると、逆にそちらの方がリハビリセンターとして問題があるのではないか。
センター長はこの連絡帳も確認の上で責任の可能性を認めたのではなかったのか。
結果「体験日の二日後には症状が出始めていた」と必然性をもって認めた責任の可能性も、
要所を実際とは違う話にすり替えた上で「やむを得ず述べた」と合意を反故にしてしまい、
「右腿はあまり強く圧迫しないで」といった体験日の私達とセンター長とのやり取りまで、
「体験日の時点で既に運動痛・圧痛の訴えがあり」などと都合よく括られてしまっている。
全くミスを犯さない完璧な人間などいない。施された処置が裏目に出て残念至極ではあるが、
それを受け止め、修復していく方法はあったはずだ。だが、センター長のこの手の平返しは、
回復を願い、信じ、契約を交わした利用者を、母を、愚弄する背信行為というほかないのだ。
この背信行為をもって、彼らには「医療人であり続ける資格を自ら放棄してしまった人間」
「もはや、医療や介護には携わるべきでない人間」との烙印を押さなければならなくなる。
そのような事態、介護を生業とする者なら<恥>と思わないはずはないのだが…。
この期に及び、弁護士を代理に立てたセンターは明らかな矛盾が浮き彫りとなる文字と書面を
その弁護士の手で残す結果となった。これらをどのような形で提示すれば、こちらの正当性を
認めさせられるか…。海千山千の弁護士を相手にする以上、こちらも拙速な素人判断は禁物だ。
私は整形医への診断書依頼と共に、医療事故などの事案を手掛ける弁護士探しに取り掛かった。
一枚の踏み絵の如し雪残る