母の回復は遅々としたもので、依然として、生活全般に介助の必要な状況が続いていた。
そんな家族の負担軽減のため、ショートステイも含め、デイサービスも様々ある訳だが、
痛みに苛まれ続け、起床時刻もまた不定期となった現状では「初めて名前を聞くような
事業所なんて、もう真っ平」とすっかり怖気づいてしまい、警戒なく体を触らせるのは
家族と担当の医者くらいで、決まった日程を組める状況でもなかった。
一方、ケアマネージャーはといえば、交渉の錯綜ぶりを後目にも、もはや自分から
それを話題にしようとすらしない。私とすれば、そこのところに不信の根源があり、
こちらから相談事を持ち掛けようとする気持ちなど、すっかり萎えてしまっている。
しかし、一連の経緯を直に見てきた唯一の関係者がこのケアマネージャーとなってくると、
交渉が決着するまでは担当を替える訳にはいかない、そんな行き詰まりが変わらずあった。
そんな折、そのケアマネージャーから「別の支所に移動になった」と報告が来た。
市内6か所に支所を持つ事業所、数年に一度は移動の辞令が出るということだが、
言葉を失いかけたのは、この次だった。
「この際は、うちを辞めて別の事業所に変えて頂いたらどうでしょうか」などと。
デイセンターとの交渉にあたっては仲介者を求め、見当たる限りの窓口に問い合わせを
続けてきた訳だが、問題意識を共有し、自分の役割として事情を聴こうとする人間には
未だに出会えないままでいる。そのケチの付き始めが、このケアマネージャーなのだが…。
係争中のリハビリ特化のデイには、今後も担当する契約者を紹介することもあるだろうに、
事の顛末を見届けておこうとは思わないのか、それとも、こんな揉め事を抱えた利用者は
事業所にとっても迷惑な存在でしかなく、同僚に後を引き継がせたくはないということか、
私は、ただ唖然とするばかりとなる。
「デイセンターとは今も交渉中で、別の事業所を探す余裕はない。決着まではそちらに
担当をお願いしていくつもりだ。これまでの経緯説明に手間を掛けなくても済むよう、
後任への引き継ぎを完了させておいてもらいたい」と私はこの軽薄な提案を一蹴した。
事ここに至り、この事業所との関係維持に気遣いや配慮の必要は、もう、何もなかった。
発つ雁にもの言うてただ半端なる