センターからの回答

センターからの回答書は医療調査を求めた理由を述べることで始まっている。

 

<医療機関へ調査を求める理由について>

体験利用日に受けた処置に問題があると訴える以上は、その体験日直後に発生していた傷害が

医学的に診断され、カルテに残されているはずである。提出された診断書はそれが確認できる

具体的・客観的な内容ではない。又、診療明細の日付からも体験日直後の受診は確認できない。

 

<私達の主張について>

体験日におけるセンター長の貴殿(母)への措置はあくまで、問診・触診の類である。

その日、初めて会う貴殿(母)に対し「足が強くなっている」などと言うはずがない。

本件の争点は体験日当日、センター長が貴殿(母)に対し、どのような措置を施したのか、

その結果、貴殿(母)に生じた傷害が、どのようなものであったのか、ということである。

見解・認識の相違があるため、医療調査で体験日直後の傷害の状況を確認する必要がある。

従って、調査が出来なければ賠償にも応じられない。

 

とにかく、こちらの主張は闇雲に否定した上で、くどい程に「直後・直後」と言葉が挟み込み、

双方の見解・認識に相違があることを理由に医療調査の必要性を主張してくる。そんな内容だ。

 

センター長から母の右足に繰り返された処置は<触診>だったというが、そもそも、何故それを

行う必要があったのか。「十か月前、右足に肉離れを起こした」と私達が事前に親告したからだ。

「痛みの確認を行っていた」センター長は自らの言葉でそう説明した。まだ完全でないにしても、

右足が強さを取り戻し、回復が確認できたからこそ、体験運動を実施させたのではなかったのか。

責任回避に走るが余り、その見識まで崩しては、ますます言葉の辻褄が会わなくなり、かえって

信用を失墜させることになるとは思わないのか。

 

私は体験日も本利用の日も、次に欠席を届け出た時でさえも、母の状態については包み隠さず

本当のことをセンター長に伝えてきた。信頼を持って母のリハビリを任せたいと思ったからだ。

検証会談を申し入れた時ですら「状態の悪化はゆっくり進んだ」とありのままを話した。

 

センター長にも、社長・副社長にも家族が居るだろうに。

「これが、もし自分の家族の身に起きていたなら…」そんな、ごく当たり前の想像力すらも

持ち合わせない者達。組織としての機能は自分達が提供した<行為>の検証には活かされず、

信頼を預けた利用者を貶め、見事に裏切ってくれた。

 

「感謝の想いをもって高齢者の幸福を追求し、安心できる地域社会の実現に貢献する」

こんな彼らのうたい文句も理念もただ空々しいだけで、私達を嘲笑う声にしか聞こない。

このような者達の<幸福追求>のために、介護保険が貪られることがあってはならない。

このような貶めをまた何処かで、他の誰かが強いられることも決してあってはならない。

 

訴えを続ける程に理不尽が積み重なり、憤りも新たになる。

私はただ一心に次の<方策>を思案し続けるしかなかった。

 

      梅散るや手話の母子の影法師