市役所の用意された会議室で主幹と部下の職員もう一人を交え、聞き取りが行われた。
予定2時間。1時間の予約で気忙しかった法律相談と比べ、時間だけは余裕があった。
私はデイセンターからの連絡帳・通知書・回答書等、訴えの根拠となる<材料>を提示し
「介護施設の記録簿は、裁判所が求める医学的立証に必要な基準を満たすものではない。
介護制度も今の法律の下、作られたとなれば、その法律に対応する運用が必要なはず。
役人なりの裁量の範囲内ででも、個々の状況に応じた臨機応変な指導をお願いしたい」
そう訴えると、
「認可や指導・監督の基準は全国一律、どんな制度にも完璧なものなどなく、隙間がある。
役人の裁量というが、それも状況次第。この場合は業者が弁護士を代理に立てたことで、
役所の出る幕はもうない」主幹は改めて、そう答え直した。
それからの問答は以下の通り、
「私達利用者は、いい加減な業者からどうやって身の安全を守ればよいのか」(私)
「国会議員への働き掛けなどで、制度そのものを変えて、出直してもらうしかない。
例えば、リハビリなど医療的な専門性が必要なサービスと、通常の介護・介助の
生活サービスでの業務記録のあり方を根本的に見直すとか」(主幹)
「それが叶うまでは、こんな馬鹿げた所業も黙認してるしかないというのか」(私)
「裁判所がそう判断するというのなら、止むを得んでしょう」(主幹)
私はこの半年間、窓口を巡回しながらも、制度としての問い合わせを続けてきた。
それは、身体機能や判断力の低下した介護認定者が相対す<苦情の申し立て>という難儀に
その立会いも仲介もないまま「裁判で決着させろ」と判で押したように返され続けた違和感、
それをどうにも拭えなかったからであるが、この日は<保険者>としての役割を担わされる
自治体が、諸々の<隙間対応>にいかに尽力しているか、そういった話にも時間が割かれた。
地域包括支援センターから民生委員などとの連携・ネットワークの構築、後見人制度の周知。
ということだが、それにも限界があるのだと。保険料納付<義務>と引き換えに確約される
<権利>は、介護認定の申請し被保険者証を交付を受けるまで、それが現実というとなのだ。
介護サービスを利用するには、認定を受け、事業所を選び<契約>を交さなければならないが、
その<契約>ということの意味。署名・捺印する以上、そこから先、契約を交わした相手との
関係は、その完結まで、あくまで署名・捺印した本人の<自己責任>と心得なければならない。
様々な状況に則した<手助け>が得られるかどうかは、その時々に巡り合う担当者の裁量次第。
事業所の良し悪しの見極めから、老いた自分がサービスを利用すべき局面かどうかの判断まで、
制度自体が完全に<利用者自己責任>の原則で完結するように作られている。そして、それが
「裁判所へ行け」と、どの窓口でも一様に言われ続けてきたことの意味であったと、ようやく
私は、この役所への直談判で悟ることになった。
まだ30分程も時間を残し、このような展開で話は行き着いた。私はこれ以上この会議室に
留まるべきではないと思い、最後にデイセンターへの指導を要請する嘆願書を主幹に手渡し、
市役所指導監査課を後にした。
五月野のすみずみ見えて疲れるよ