教育制度と介護制度

平成23年10月に滋賀県大津市で地元公立中学2年の男子生徒がいじめが原因で、

自宅マンションから飛び降りて自殺した。母の転倒骨折の約8か月後のことになる。

 

事実関係を簡単に伝えるだけであった発生当初の報道も、その扱いは次第に大事になっていく。

担任も学校も陰湿で執拗ないじめを把握しながら、見て見ぬ振りで対策がとられることはなく、

事後対応も、生徒達には事実を口外しないよう、口止めするなど不適切極まりないものだった。

検証を担う立場の市教育委員会も、いじめの事実を認めながらも自殺との因果関係は不明とし、

責任問題に発展しないように学校と組織ぐるみで証言の核心部を封印し、調査内容を隠蔽した。

更には、地元警察も家族からの被害届の受理を繰り返し拒否したりと、おかしな対応が次々に

露見してゆき、翌年にはマスコミが連日、学校に押し掛ける大騒動になっていった事件がある。

 

自殺した少年は、いたたまれず担任に助けを求めたということだが、窮状を訴えても、

同じ目線で話を聞いてもらえず、邪険にされたり厄介者の如くあしらわれるとなれば、

それを口にすること自体がストレスや罪悪感となり、諦めてしまうしかなかったのだ。

 


 

その後、学校と教育委員会に県警が捜査に入り、加害者の生徒達は書類送検され、

市も新人市長の一念発起で、最終的にはいじめと自殺の因果関係を認め、謝罪し、

第三者委員会が設置され、市は裁判所の勧告に従い遺族側と和解することになる。

 

そもそも、子供が自殺に追い込まれるなど、原因不明のままで済まされる問題ではなく、

現在は子供が自殺したりすると、報道もその事実だけではなく、いじめは無かったのか、

学校や教育委員会の対応は適切だったか、その背景も検証されることが常となってきた。

それもひとえに、我が子を失ったの家族が責任の所在を特定するところまで戦い続け、

「いじめ防止対策推進法」の制定を実現させた、その<たまもの>ということである。

 

一方、介護に疲れた老々夫婦が連れ合いを殺めてしまったり、無理心中を図ったりする事件も、

その人達が誰とも問題を共有できずに、立ち往生していたことは子供の自殺と同様のはずだが、

介護制度では、本来なら、誰が何をすべきだったかという検証までには至らないように見える。

同じような不運な理由で人が命を落とし続けていたとしても、それをただ嘆いているだけでは、

この国の有り様を変えることはできない、のだろう…。

 

戦後から続く学校での義務教育が基本の教育制度と、今世紀に入り開始された在宅重視の

介護制度を同じ土俵で見比べられるはずもないが、 各々の問題解決に公の機関が機能せず、

事実まで無かったことにされ、理不尽がまかり通っていく。その状況や境遇が母の眼には

同じに見えたのかもしれない。

 

苦情の申し立てが行き詰まり、募る気鬱さに辟易する自分の立場までも重ねてしまう訳だが、

自宅マンションから飛び降り、自ら命を絶った我が子の無念を訴える親の心情いかばかりか。

一連の報道に触れながら私は、己の弱気を母にだけは気取られることがあってはならないと、

ただ自分を戒めるだけだった。

 

     バラ散るや哭きつつバラを抱く家族