蓄積

朝昼晩の三度の適切な食事摂取と一定の運動量の維持が、就寝と起床時間を規則正しく導き、

人としての機能を維持し続ける。そのリズムを止められてしまった齢86歳の母は、誰かに

足を摩り上げてもらうことを日課にしなければ、降りた血液を自力で心臓に戻せないまでに

衰弱が進行している。介助を担う側の人間は、自分の心身まで消耗しきってしまわないよう、

その制御法を心得ておくことも必要となってくるのだが…。

 

脚力が衰え、自力移動が困難となった時点から介護用紙オムツを常用している母ではあるが、

排便にそれを使用することはなく、介助要請が入る。排尿においても紙オムツが役立つのは

就寝し無意識に排出する時だけで、一旦、尿意を意識してしまうと、着衣のままでは用など

足せないと母は言うのだ。

 

その局面に備え、私は母の隣室で寝起きするのだが、正に今、自分も寝入ったという頃合に

名前を呼ばれることもあり、そんな時は、口から心臓が飛び出るかと思うほどに「ワッ」と

驚いて飛び起きる。別に危険が迫っている訳でもないと知っているはずなのに、バクバクと

心臓が音を立てて鳴り始め、その鼓動を治めるのに暫しうつ伏せ、呼吸を整えねばならない。

そうしてよたよた、介助を済ませ無事に母を眠りに戻せても、一度、吹き飛んだ私の眠気は

そう簡単には呼び戻せない。      

 

そのような事を繰り返すうち、誰かに起こされることがなくても私は、2・3時間程も眠れば

自然と目を覚ましてしまう体質となっていく。足りない睡眠は昼間の仮眠で補うことになるが、

夜中の目覚め、これがどうにもタチの悪いことになっていた。夜の闇がその引き金を引くのか、

ここでもやはり、心拍が高まり思わず嗚咽してしまう程に、みぞおちの奥底までもが重苦しい。

悪夢だったというのならまだしも、夢を見ていたのか、それすらも憶えていないのに、圧倒的な

不安と孤独に支配されている。

 


一体、何がそんなに不安で怖いのか…。職を離れ一年半超、先の見えない生活への不安か。

卒なく対応せねばならないと、気を張り続けきたデイセンターとの応酬、そのストレスか。

暗闇の中、一人うずくまり意識を整えようとはするが、どうにもやりきれず、そんな時は、

吸い寄せられるように冷蔵庫まで辿り着くと、グラスに氷を放り込み、安物ウィスキーを

炭酸で割って一気に胃袋に流し込む。

 

とにかく、この訳のわからない呪縛から逃れることが急務である。この場合、ウィスキーに

勝る<特効薬>は他に見当たらない。杯を重ねるほど、意識と身体は浮遊感に包まれてゆき、

鈍く突き上げていた鼓動も静まり始める。観るでもない音声を落とした深夜のテレビを肴に、

酔いに身を任せてみると、思考回路はシラフでいる時よりも却って冷静に状況の分析を始め、

さしあたり、特に何かに怯える必要がある訳ではないと、私は平静を取り戻してゆく。

  

こんな時もやはり私は、デイセンターへの対応について止め処もなく考え始めてしまうのだ。

『最後は裁判で決着を…』そんな思いも、法律相談で弁護士が見せた展望の持てなさそうな

冷めた反応を思い返すと、己の見通しの甘さ詰めの甘さ、その恥ずかしさばかりが去来する。

 

紆余曲折を辿った交渉、各々の局面で何がしかの後悔や反省がある。その場面場面を想い起し

「見落としていたことは何だったのか、今からでも突破口を開く材料はないか」と抑うつ的な

はんすうのループが始まり、記録物を見直したり、当てどないネット検索の闇に陥っていくが、

既に万策も尽き果てているようで、新たな方策や手段に辿り着くことは、もうない。

 

次にするべき事が定まらない、それが今までとは違う。思えば、僅かな可能性しかないと

承知の上の手段ばかりではあったが、それに一縷の望みを託すことができていたのならば、

それが介護に明け暮れる先の見えない生活の、その先を進む燈火であったのかもしれない、

そんな風に思ったりもする。 

 

2・7ℓのペットボトルで買い込んだウィスキーとケース24缶350mℓの発泡酒。

それが一週間ともたないまでに酒量が増し続け『自分はアルコールの依存状態にある』

そうはっきりと自覚する事態であった。母の呼吸を絶え絶えにする酷暑の中、息を潜め

秋の訪れを待つ。この時の私達には唯一それだけが、この状況をやり過ごす手段だった。

 

      カワハギの優しい顔をもう一度