発散

屋根瓦が真夏の直射日光に焼かれ、エアコンの室外機が唸りを上げ出し、母が息苦しさを

訴え始める少し前の時間帯。食材の調達など外出の要件を午前中に済ませてしまうと私は

炭酸割のウィスキーのグラスを片手に炊事場に立ち、フリーズドライの味噌汁に合うよう、

手際も悪く出汁巻き卵を焼いてみたり、塩鮭の切り身を炙ってみたり、その時々の

母の希望により、白米を粥に替えたりしながら朝・昼兼用の食事作りに取り掛かる。

 

ベッドの縁に腰掛け、丁度、配膳が乗るサイズの椅子をテーブル替わりに、病院食よりも

やや少なめの変わり映えしない献立をなんとか食べ終わると、再び母はベッドに横たわり、

午後からの灼熱攻撃に備える。上背150㎝の母の足元には丁度、人ひとりが座れる位の

スペースができ、母が自分でみぞおちの辺りを押さえ始めると、私はそこに胡坐で鎮座し、

干からびたその足を摩りにかかるのだが…。

 

その日、母は「書き遺したいことがあるから、机の引き出しから便箋を取って欲しい」

そんなことをベッドの座り込む私に向け言い始めた。足摩りを中断させられることが

煩わしかったし「書き遺す」などと縁起でもない発想を私は反射的に拒絶したのだが、

「三段重の引き出し、便箋は中段に入れてあるから、お願い」と母も引き下がらない。

 

仕方なく開けてみると、何かの冊子やチラシなどが雑然と詰め込んではあるが、解らない。

そこで、上下段も含め「ガサガサ」と紙類をかき分け探しはするも、便箋など見当たらず、

何が何だか見当もつかない。

 


本来、整理整頓が決して得意とはいえない母の収納、引き出しそれぞれの使い分け自体、

いきなり他人が覗き込んだところで判別がつくような状態ではない。馬鹿馬鹿しくなり、

「元気になって自分でやってくれ」と放棄するも「あるはずだから真面目に探して」と、

この日の母は引き下がらない。

 

「こんなこと、何でもないでしょう」「嫌だ、関わらない」そんな応酬が繰り返されたのは、

何杯目のグラスが空いた頃だったか。気怠い暑さと締まらない酔いにまかせ、私の堪忍袋が

ここで切れることになる。

 

「うるさい、いい加減な記憶で人に指図するな!」

「一体、この引き出しの何処に便箋なんかある?」

引き出しの収納をひっくり返され、当たり散らされた母は、

「訳が分からなくなる、止めて」と苦しい息で振り絞るが、

「これから整理し直してやるから、黙って見てろ」

と、結局は私から一蹴されてしまう羽目となった。

 

私には妙な整理整頓癖がある。普段から几帳面に片付けを習慣にするという訳ではないが、

仕事であれ雑事であれ、頭が混乱する程に次々と物事が立て込んでくる時がある。すると、

日頃から意識の片隅では気に留めつつも面倒臭さにかまけ、手付かずのままになっている

「放置物」の整理を、先ずは何をおいてより先に完了してしまわずにおれなくなるという、

まあ、ありがちな話ではあるが、何としたことか…、それがここで頭をもたげてきた。

 

これまで、母の収納について見て見ぬふりをしてきたのは、便箋などの小物類よりも以前に

着替え介助の度に「あれでもない、これでもない」と、いちいち煩わされる衣服全般がある。

私は母の衣装ケースや洋服ダンスから、視界に入った衣類を手当たり次第に引っ張り出すと、

「もう着ないものは捨てるからな」と、憑りつかれたように作業にかかった。

 

さすがにこうなってくると、ただ静観してもいられない母から「ちょっといい加減に…」と

発せられるやいなや、私は母の胸ぐらを鷲掴みに平手で頬を打ち「うるさい、黙ってろ」と

一切の発言を禁じると、母もそこからは空疎見詰め、時折、何か呟きを漏らしらりはしたが、

もはや、私に話しかけることはしなくなった。

 

「この息もういい…、止まって、おばあちゃん迎えに来て…」

母の漏らす呟きは、このようなものだったか…

だが、この時の私は、それにさえ事ともせず、

青色吐息の母を尻目に作業に没頭していった。

 

     花種を蒔き あっけなき死を願う