作業が一段落したのは父が夕食を済ませ、夏の陽も西に傾きかけた頃だったか。
日没が近づき、幸いにも母の呼吸は徐々に落ち着きを取り戻してはいくのだが、
私がそのことを確認したのは完全に衣類の整頓を終えてからのことで、たとえ、
不測の事態に陥っていたとしても気付かない程、私はただ作業にのめり込んだ。
そして、このタチの悪い酔い醒めの後に待っているのは、これでもかという程の自己嫌悪。
法律相談の際に弁護士から言われたことを思い出していた。内容証明で己の主張を相手に
送り付けるなどというのは「お前達と(社会的に)喧嘩をするぞ」と宣言するようなもの。
「交渉」や「係争」ではなく「喧嘩」という言葉を敢えて私に聞かせたその意味を…。
「勝てば官軍」その時こそ全ての手段が正当化され、意気揚々と闊歩していけば良い。
だが、仮にも「負ければ賊軍」相手の高笑いを尻目に、惨めさと更なる遺恨の呪縛に
喘ぐこととなり…。
「望むところ」と気色ばんだが、ものの見事に手も足も出せない状況に落とし込まれ、
ぐうの音も出ない。弁護士から言わせれば、端から「負ける喧嘩」ということだった。
そして実際、言われた通りの結果となり、その手っ取り早い八つ当たりの標的として、
あろうことか全く抵抗する術を持たない瀕死の母を餌食にしてしまったというオチだ。
この時期私は、ウィスキー2・7ℓと発泡酒350mℓ24缶を一週間足らずの間隔で
消費している。そもそも、これ程の飲酒を常習化させたのは昼夜の区別ない介護生活で
不規則になってしまった睡眠リズムと精神の安定を手っ取り早く修正するためであった。
だが、体内のアルコール濃度が下がってくると、その依存度合により、手や全身の震え、
寝汗、不眠、吐き気、嘔吐、血圧上昇、不整脈、幻覚、幻聴などが「離脱症状」として
表れるのがアルコール依存症というもの。アルコールでやり過ごそうとしていた症状が
そのアルコールで、より、こじれていったと観念せざるを得ない事態であった。
今の自分はアルコールに支配され、制御不能、身動きすら取れなくなっている。
このままでいけば今のメリハリのない生活の中、感情も理性も酒に呑み込まれ、
世間そのものからも押し流されていく。そして正に今、そうならんとしており、
それこそが「奴等」の思う壺ということではないか…。
そんな経緯で、ようやく断酒の決意を固めることになったはいいが、ウィスキーとくれば、
専ら炭酸割りを好んだ私は、アルコールのみならず<炭酸渇望>にまで悶えることとなり…。
そして、スーパーのビールの陳列、視野に入るや否や、当初の決意どこ吹く風、アッサリ
挫折の憂き目を見る羽目となった。
断酒を決意しようが、どんな性根を入れ替えようが日々炊事場に立ち、スーパーに通う
日課が続くことに何ら変わりない。厳格すぎる目標は却って腰砕けの結果を招くだけと、
夕方6時以降の発泡酒に限り、飲酒制限は適用しないことにした。
舌と喉が炭酸の清涼感を求めてくれば、間髪入れずノンアルコールビールを流し込み、
胃袋がアルコールの刺激を欲すれば、即席ラーメンなど、唐辛子をたっぷり効かせた
<代替品>でその感覚を麻痺させる。うらぶれ五十路男のそんな<脱ウィスキー>に
向けた苦闘は続いていくのであった。
守護神に睨まれてきて生ビール