転換

昼間から酩酊し、母に手を上げてしまったことでウィスキー断ちの決心をしたのだが、

夜中に目覚める度、襲われ続けている得体の知れない不安感や恐怖心までも、それで

解消された訳ではない。

 

母の肉離れを機に、離職し、介護漬けの生活がもう一年半以上も続いているのだから

「不安」の由来はそこにあるのだろうが、毎夜毎夜こうも決まって、恐怖心まで伴い

苛まれ続けているとなると、単純に「介護疲れ」という話では済まなくなってくる。

 

やはり、デイセンターに対する憤懣やる方ない思い、それを収められずにいるのだが、

結局それも、為す術なく翻弄されてきた己自身の不甲斐なさに向けられることになり、

忌々しさは一入となる。更に厄介なのは、これまでに繰り返されてきた交渉の局面が

不規則に蘇ってきて、意識は常に、憤りと後悔に支配され続ける状態にある。

 

負のスパイラルに陥り、迷走する意識を「リセット」する必要があった。

人はその時々において、なぜそう言い、そうしたか、また出来なかったか、

個々の性格や状況的要因が絡み、一つ一つの行動にはその理由があるはず。

 


デイセンターへの対応に行き詰まり、その突破口を探し、様々なサイトを閲覧してきた。

必然と、介護や医療がテーマのブログの存在を数多く知ることとなった。私自身もまた、

デイセンターとの関わりだけでなく、母が介護認定を受ける起点となる転倒骨折からの

出来事を時系列に洗い出し、意識を「整頓」する。そのための回想ブログを立ち上げる。

 

当然、特定の個人や団体も表記の対象となるので、匿名性の担保だけは必須となるが、

そのブログの継続により、これまで弁護士への法律相談として以外、誰からも親身に

取り合ってもらえなかった私達の実情を、誰かに知ってもらうことができるとしたら、

もう、それで何も言うことはないのではないか…。

 

そのような想いで初回投稿「転倒骨折」の原稿をまとめ、打ち出し、それを母に見せ、

・デイセンターとの交渉は接触手段が一切断たれてしまい、八方ふさがりにあること。

・よって、賠償交渉は「敗北」の結果をもって、訴えを続けること自体終了すること。

・それら経緯を含め、介護認定を受けて以降の事柄がテーマのブログを開設すること。

以上の現状と方針を告げ、改めて「暴力」についての詫びを入れた。

 

すると母は「やることが見つかったんだね、多くの人が読んでくれるものになるといいね」

そんなふうに言い、原稿を読み終えると「さくらさくらと てんとう虫が 目を醒ます」と

即興で一句ひねり出し「こんなのはどうかな?」と本当に久しぶりに少し笑った。

 

      奥の間に盆灯篭が起きて居た