「リハビリ特化型デイサービスの利用を機に体調悪化をきたした」との母の訴え、
その損害賠償請求交渉が不調のまま終わった経緯を前回までの投稿で記してきた。
令和3年を迎えた現在も『訴えは一切終了』をの踏ん切りに、何らの変化もない。
だが、矛を収めたはずの憤りと義憤が、まるでフラッシュバックに晒される如く、
当時そのままに蘇ってくる習慣がある。当事者達が性懲りもなく私達の生活圏に
足を踏み入れてくる姿を否応なく見せつけられる時、正にそれが蘇ってくるのだ。
今回はこれまでの回想録を一旦中断し、ネット上で確認できるで範囲であっても、
現在の彼等の了見を推察してみることにする。
先ずは、医療系学校法人の教育顧問なども肩書きに持つデイセンター社長であるが、
虚偽の経歴とともに紹介されていた学校の顧問役については、本人の SNS からも、
その学校の教育顧問紹介欄からも表記が消えており、任を解かれたものと思われる。
だが、そんなことすら顧みる様子なく、また別の学校での無垢な若者を前にしての
怪気炎は、まだまだ衰える気配がない様子である。
次に初代センタ-長。母が彼自身に対し申し立てた苦情、それに空返事を繰り返し、
対応から逃げ続け、挙句、偽りの記憶を胡散臭い代理人に代弁させ、訴えた私達の
立証責任のハードルを上げ、終始、保身に走り続ける、そんな人格の管理者だった。
そして、センター長就任から僅か1年にも満たない次年度には、その任から退き、
業務の軸足を営業へと移し、更に、その翌年度になると後任のセンター長と共に、
そのデイセンターをも退職、起業し、県内の少し離れた別の地域に介護事業所を
開設させるのだが…。
その後、彼の個人用の SNS アカウントからは、デイセンターに関わった時代も含め、
過去の投稿記事一切が削除されてしまい、あれ程、鉄壁の意気投合ぶりを見せていた
社長や副社長との交信も今は途絶えたままとなっている様子で、センター長を務めた
経歴も、もはや確認することすらできない状況となっている。
そして、ここに来て、私達の隣駅辺りのすぐ近くにサテライト(支店)を展開させ
「商売」の触手を再び私達の生活圏にまで広げてきた、といった現在の様相である。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言う他ない彼等の行動。改めてそれらを見せられ、
彼等が母の一件から得た教訓とは一体、何だったか、そう思わずに居られないのだ。
そもそも私は、母の代理としてトラブル交渉に追われていた当時から彼等に対する
根本的な「疑念」があった。
母を担当した初代センター長、そして、引き継ぎの後任センター長。
両名とも実務僅か6~7年といった理学療法士の若者だった訳だが、
理学療法の技術というものは、かくも容易く体得できるものなのか…。
そのように理学療法士としても社会人としても、絶対的に経験値が
足りていないまま、経験豊富な同僚の先輩達から学べる職場を離れ、
一足飛びに施設長などの任に就くとなれば、以降は、専門の知識も
経験も己の責任と才覚のみで確立させていかなければならなくなる。
この類の者達は、そのことに対しての不安など感じないものなのか…。
自分だけは失敗を犯さない完璧な人間として、利用者の健康管理の
責任を全うできると思ったのか、そして今もまだ、思っているのか…。
私が持ち続けてきた「疑念」とは、以上のようなことであるのだが、
それが彼等自身の先天的な資質のみに起因しているのか、もしくは、
今の介護制度そのものに、それを許す設計上の「甘さ」があるのか、
次回もう一度、回想録を中断し、そこから得た私自身の教訓も含め、
考察を続けてみようと思う。
キナ臭き夕刊落とす鰯雲