記憶

クリニックの日帰り手術でも治療が完結する白内障。誰もに起こる老化現象だが、
放置は禁物で、進行すると炎症がこじれ緊急手術の危険まで出てくるということ。
 
母とは異なり、父は自由に動けるのだから眼科くらいは自分で行けばよいものを、
手をこまねいているのは、ひとえに難聴の進行から、特に初対面の人との会話が
億劫になっていることに尽きる。補聴器を付けていても必ずどこかで聞き取りに
エラーが出て間合いがずれてしまうのだ。
 
クリニックの通院といえど初診の受付から医師との問答、いつの間にか障壁が
高くなってしまい、又、険悪な息子に自分から折れ、助けを求める訳もいかず、
かと言って、役所に依頼し、付き添い介護を手配する機転などきくはずもない。
聴力ばかりか視力までもおぼつかなっていく不安を唯一の話し相手である母に
愚痴るしかなかった、そんな愚かとも哀れともつかぬ話である。
 
神棚蝋燭の撤去騒動から、もう数か月経っていたか、私は一方的に日取りを決め
「この日、一緒に眼科に行く、準備しておくように」と予定のメモを父に渡すと
「分かった」と父は素直に応じ、父との冷却期間がここで終了することになった。
 
元々、母には軽い緑内障があり、通っていたクリニックに父も連れて行くことにした。
人当たりの良い医者で意思疎通に関しても敷居が低く、父も馴染みやすいはずである。
クリニックは電車で一駅、駅からも近くの好立地であったが、その分、駐車場からは
少々不便で、母の場合は車椅子を押し、父には一緒に歩いてもらうことになる。
 


平成26年10月、満86歳となった父との久々の外出となるが、そこで私は改め、

耳や目ばかりでなく、予想以上の父の脚力の衰えに戸惑いを覚えることになる。

家で見ている時は気付かなかったのだが、街中を歩く父は、まるで酔っ払いの

千鳥足のような足運びをしており、全く歩調が合わないのだ。

 

そこで、こちらも落とせる限りの速度を落とし、歩みを合わせようとはするのだが、

それも中々に難しいもので、少しでも油断するとあっという間に差が開いてしまい、

ゆらゆらと追い付いてくる父をいちいち待たなければならない。


そんな光景を見せられていたためか、私に思いもかけない記憶が蘇ってくる。
ようやく歩き始めた幼少の私が父に連れられ、最寄り駅まで行く道すがらの
一場面で、私は父の歩調に着いて行けずに立ち止まり、へたり込んでしまう。
すると父も立ち止まり、私が立ち上がり歩き始めるのを見守り、待っている。
  
今、立場が完全に入れ替わり、私が周囲の安全と父の歩みを見守っている。
人混みを縫い、彷徨う流人の如く私の後を追い、老いには抗えない人間の
切なさを散々見せつけながら、ようやく受け取った診断は、やはり白内障。
高齢を理由に日帰り手術とはいかず、総合病院眼科への紹介状が出された。
一週間程度の入院が前提だとのこと。
 
この日も、未だ介助を必要としている母を一人、家に残してきている。
入院となると、クリニック通院の何倍もの手間を割かれるに違いない。
86歳父母両方の介助を担っていく、その起点となる日の出来事だった。
 
      やすやすと踏まれ秋意の影法師