同時入院

元より父は、母が介護認定を受けた時点で既に相当程度難聴が進行していて、
その時の母のケアマネージャーの手配で要支援2の認定を受けることになる。
だが、手足の不自由はなく「躰は動かせているから」と、日々の買い物から
炊事・洗濯まで制度に頼ることなく自立生活を成り立たせていた。
 

だが、今回の白内障入院にとりかかる一年程前にも「救急搬送された」と

緊急連絡を受ける騒動があった。母のリハビリデイセンター通所が頓挫し、

私がその事後交渉に翻弄され始め出した丁度そんな局面、交通事故である。

 
信号のない三差路の横断歩道上で、営業中の乗用車との接触事故だった。
車は低速だったが接触の弾みで父はボンネット上に倒れ込み、そのまま
路上に滑り落ち卒倒し、鎖骨にひびが入る全治三か月程の怪我を負った。
 
車の運転手は全面的に過失を認め、示談交渉も滞りなく完了したものの、
現場検証の警官からは老人の危険回避能力の衰えや外出時の付き添いの
必要性など、逆にこちらが何かと苦言を賜る羽目となった。
 
そこで、先ずは買い物代行ヘルパーの活用を始めてみようという話になる。
さすがにこの期に及んでは、人嫌いを極めた父も足腰の衰え防止のためと、
任せきりにせず一緒に出掛け、荷物だけを持ってもらうなど聞き分け良く、
暫くはヘルパーを受け入れくれていたのだが…。
 
左腕を固定していた三角巾が取れるとリハビリが始まる。きちんと通えば
それだけ保証金も出るし、全身の機能回復にも良い効果となるはずだった。
 
だが、他の誰かのスケジュールに合わせ行動することで、自分の決めた
生活時間が守れなくなることをとにかく嫌う父は、左腕を庇いながらも
買い物の荷物を持つコツなど掴むや否や、せっかく手配したヘルパーも
いつの間にか勝手に断ってしまい、リハビリにも通わなくなってしまう。
 


耳が遠くなって近付いてくる車があっても、その音を感知しての危険察知は

もはや叶わないのだ。にも拘わらずリハビリも中途半端なまま、また一人で

フラフラと出掛け、同じ失敗を繰り返されていては、たまったものではない。

 
「せめて、ヘルパーだけは続けろ」と散々、説得を繰り返すことになった。
結局「今後一切、信号のない横断歩道は渡らない」と押し切られてしまう。
警察からの緊急連絡、病院への駆け付け、示談交渉、ヘルパーの手配等々、
私にとっては、ただ徒労感だけが残る騒動だった。
 
そんな父の眼科入院。この時、私は母の介助を一人で抱え込んでしまっている。
デイセンターでのトラブル仲介の件で、母担当のケアマネージャーとの関係に
隙間ができていることも一因だ。
 
一週間程度とはいえ、未だベッドから出ることさえ介助の要る母を一人家に残し、
父の「通訳」も兼ね、病院を行き来しなければならない。気の重さしかなかった。
この際は、ケアマネージャーへのわだかまりを一先ず割り切り、相談してみると、
今回はケアマネージャーの側から母のレスパイト入院を提案されることになった。

 

      反抗期その父に置くシクラメン