せん妄

「せん妄」とは環境や体調の急変を機に突発的に現れる意識の混乱のことで、

特に高齢の入院患者によく観られる症状だという。

 

宅で介護する家族の負担軽減のため健康保険を用い、期限付きで療養病院に

入院するレスパイト入院。先ずは母を 11月末から約二週間レスパイトで預け、

その期間中に父の白内障手術を片付けてしまおうという運び。母のレスパイト、

リハビリ科を備えた療養病院で、頓挫していたそのリハビリも日程に組まれる。

 

家族の負担軽減としてのレスパイトとはいえ、着替えやタオルの洗濯物管理は

家族の役割とされ、取り換えのため一日置きには病院に通わなければならない。

入院の事前説明を聞かされている時は正確に予定を理解していた母であったが、

面会の度に私は「何時までここに居るの?」と母から問い直されてしまう。

 

母が聞く「何時」とは自分が家に帰るための時間のことで、私が迎えに来たと

錯覚を起こしてしまっているのだ。何の問題もなく理解できていたはずだった。

だが、入院のスケジュールはその入院を起点に母の意識からすっぽり抜け落ち、

何度説明し直しても日が変わると、また同じ問答が繰り返されることになる。

 

一方、父は入院直後も状況把握に問題が出ている様子もなく、治療経過も理解し、

聞き分け良く順調な入院生活を送れているようだった。そして私が顔を見せると、

ベッドに寝ていてもむくり躰を起こし、大声で話せるはずもない病室で補聴器も

つけず、母や家の様子を尋ねてみたり、あれこれと話し掛けてくる。

 


ある時などは、何の気紛れか「エレベーターまで送ってやろう」と帰り支度を整え、

病室を出る私の後を着いて来ようとすることがあった。地元拠点の急性期総合病院、

病棟の部屋数も多く道順も入り組んでいる。エレベーターまで一は緒に来るとして、

その後、迷わず部屋まで一人で戻れるのか「余計な気は遣わなくいいから」と私は

いなすのだが「馬鹿にするな」と言わんばかり、結局は自信満々の父に押し切られ、

病棟の廊下を一緒に歩くこととなった。

 

少々道順が入り組んでいるとはいえ普通に歩けば 1分掛かるかどうか、その距離を

父は両手を背中の後ろに組み、靴のサイズ程の僅かな歩幅で実に慎重に、一歩一歩、

ここは会話もなく進む。

 

看護ステーションで父の帰りの見守りをそれとなく頼み、途中の階でいちいち

止まるエレベーターを父と並んで待ち、ようようこれで解放されると思いきや、

気付けば、開いたエレベーターに父も一緒に乗り込んできており、相変わらず

私の横に突っ立っているではないか。

 

「どこまで着いて来るつもりだ?」と私、それに対し、狐につままれたような

表情を見せる父。辺りを観回し、少し考え「ああ、そうだった」と笑いながら

エレベーターを降りた。父のその先には、もう、看護師が待機してくれている。

 

それまで気付かずにいただけで、父にも母同様の症状が出ていたとするのなら、

ここは私もエレベーターを降り、状態を確かめねば、と一瞬は思ったが、結局、

待機する看護師に一礼だけし、その日はそのまま退散させてもらうことにした。

 

母のせん妄については、元より認知症の発症がある訳でもなく、以前の生活に

戻れば、次第に症状は落ち着いてくるものと病院から聞かされてはいたのだが、

退院後も簡単な計算や日付、数字への理解だけができない状態が続いてしまう。

 

年も押し迫りかけた師走の退院「15日の退院から一週間、今日は何日?」

母はその程度の質問にも答えられないまま、新年を迎えることになった。

 

       南縁に紙たゝむ母 お正月